はじめにクロツラヘラサギという
鳥がいます。
長いヘラのようなくちばしが特徴の
ユニークな姿の水鳥です。
その数は世界で約6,000羽。
世界自然保護連合の
絶滅危惧種に指定されている希少種です。
東アジアに分布する鳥で、
夏は、朝鮮半島西海岸や
中国遼東半島沿岸などの離島で繁殖し、
冬は、日本や台湾、
ベトナム、中国などの干潟で暮らします。
越冬地である日本に
クロツラヘラサギの
新たな繁殖地をつくることができないか。
そう考えるのが、
本州最大のクロツラヘラサギの
越冬地である山口湾で活動している
NPO法人野鳥やまぐちの人々。
繁殖地が増えることは
より絶滅の回避につながるからです。
そして、今、
繁殖地の創出のチャレンジが始まっています。
「サントリー世界愛鳥基金」では、
これまでNPO法人野鳥やまぐちの活動を応援するために
「水辺の大型鳥類保護部門」として助成を行ってきました。
今回、その助成がどの様に活かされ、
どんな工夫で繁殖地を産み出そうとしているのか、
山口湾の現場を視察し、お話をうかがいました。
クロツラヘラサギは、ヘラのようなくちばしを水に差し入れ、左右に振りながら前進し、エビや魚などの獲物を捕らえます。(写真提供:NPO法人野鳥やまぐち)
「山口県立きらら浜自然観察公園」の
日本クロツラヘラサギ保護・リハビリセンターへ
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2022年11月末、私たちは山口湾の一画にある山口県立きらら浜自然観察公園を訪ねました。
ここはNPO法人野鳥やまぐちが指定管理者として管理・運営する公園で、クロツラヘラサギの保全活動を行っている現場です。
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そのきらら浜自然観察公園の一画に、2018年11月、日本クロツラヘラサギ保護・リハビリセンターが「サントリー世界愛鳥基金」の助成によって完成しました。
現在、世界全体のクロツラヘラサギの個体数は増加傾向にありますが、個体数増加とともに釣り糸に絡まるなどの事故が発生し、ケガをする鳥が増えているのです。しかし、日本にはクロツラヘラサギを専門とした収容施設はなく、その必要性を感じたNPO法人野鳥やまぐちの提案によってこの施設が作られました。
今のところ、当センターでのケガをした鳥の受け入れ実績はありませんが、不測の事態に備えて建設した意義は大きいとNPO法人野鳥やまぐち理事長の原田量介さんは言います。事故が起こってからでは対応が間に合わないからです。
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公園がオープンしたのは2001年。阿知須干拓地の一画の30ヘクタールが自然環境を保全する場所として整備され、淡水や汽水の池、広大なヨシ原、干潟、樹林帯などの多様な環境があります。手前に見えるのが日本クロツラヘラサギ保護・リハビリセンターの保護ケージと人工島です。(写真提供:NPO法人野鳥やまぐち)
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今回、案内をしてくださったNPO法人野鳥やまぐち理事長の原田量介さん。
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日本クロツラヘラサギ保護・リハビリセンターのメイン施設である保護ケージを見学します。
日本初の繁殖を目指す人工島の設置
ケージは、縦16m×横20m、高さ3m、320㎡の広さがあり、干潟の水辺に建てられているため、潮の干満に合わせて水が出入りし、エビや魚などの食べものが自然に供給されるようになっています。
保護ケージは干潟の一画に建てられています。これは単にケガをした鳥を野生復帰しやすくするためだけではなく、野生のクロツラヘラサギを誘引して、繁殖させようという試みでもあるのです。
現在、ケージ内には東京都立多摩動物公園で生まれたメスのクロツラヘラサギが2羽、実証実験のために飼育されています。この2羽のメスに誘引されて、野生のクロツラヘラサギがケージまで飛んでくるようになりました。それを受け、次のステップとして、「サントリー世界愛鳥基金」の助成事業としてクロツラへサギの営巣地となる人工島をケージの隣に造成しました。
海外の事例では、クロツラヘラサギはサギ類と一緒に繁殖することが多いため、まずはサギ類が営巣できるように島に竹を置くなどして繁殖を促し、ゆくゆくはクロツラヘラサギも繁殖させる作戦だといいます。また、野生復帰した鳥が、この島で繁殖する可能性も考えられるとのこと。そのほか、越冬期はクロツラヘラサギが安心して休む場所にもなり、この島は重要な役割を担う場所なのです。
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飼育の2羽に誘引され、ケージの上にとまる野生のクロツラヘラサギたち。手前下に見えるのは模型です。(写真提供:NPO法人野鳥やまぐち)
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ケージにはカメラが設置されており、ビジターセンターでモニターすることができます。機材は「サントリー世界愛鳥基金」の助成を活用しました。
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人工島を見学する運営委員の先生方。サギ類が営巣するには、もっとたくさんの竹を入れた方が良いとのアドバイスがありました。
もう一つの営巣地候補である山口湾の波多瀬へ
山口湾のほぼ中央に位置する岩礁地帯の波多瀬。広大な干潟にあります。 (写真提供:NPO法人野鳥やまぐち)
「公園の外にもぜひ紹介したい場所があります」。
原田さんにそう言われて到着したのは、広い山口湾が見渡せる海岸です。
「沖に見える小さな島に白い鳥が見えませんか?」。
原田さんが指さす方向を見ると、確かに小島の上に白い点々が見えます。
かなり距離があるので、肉眼ではよくわかりませんが、フィールドスコープで見ると、30羽ほどのクロツラヘラサギが休んでいました。ここは波多瀬と呼ばれる岩礁地帯で、満潮でも水没しないため、クロツラヘラサギをはじめ、多くの鳥たちの休息場となっているそうです。
原田さんによると、この波多瀬はクロツラヘラサギの有力な営巣地候補だそうで、繁殖地の朝鮮半島では、同じような海の岩礁で営巣していることから、この波多瀬でもその可能性は十分あるのではとのこと。ただ、高さが足りないので、なんらかの方法で営巣環境を整えてやることが必要ではないかという指摘が運営委員の先生方からありました。
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休息するクロツラヘラサギたち。オナガガモやカワウもいっしょに休む。
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クロツラヘラサギを双眼鏡で観察。ようやく野生の鳥を見ることができました。
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山口湾ではこれまでサントリー世界愛鳥基金助成事業として3回の海岸清掃が行われてきました。(写真提供:NPO法人野鳥やまぐち)
国際シンポジウムの開催、域外保全の動物園との連携
クロツラヘラサギは、日本や韓国、北朝鮮、台湾、中国、ベトナムなど、多くの国にまたがって分布する鳥です。そのため、この鳥を保全するには各国の協力なくしては成り立ちません。そこで、2019年11月23・24日の2日間、サントリー世界愛鳥基金助成事業としてNPO法人野鳥やまぐち主催の「クロツラヘラサギ国際シンポジウムinきらら浜」が開かれました。
この国際シンポジウムには、日本や韓国、北朝鮮、台湾、中国などの研究者や保護関係者が参加。各国の現状や保全の取り組み、問題点などが報告され、これからクロツラヘラサギをどう保全し、共生していけばいいのかなどが話し合われました。
また、絶滅に瀕する鳥類の保全には、飼育して個体を増やす「域外保全」も同時に進める必要があります。きらら浜自然観察公園の近くにある宇部市ときわ動物園でも、クロツラヘラサギの域外保全が行われおり、その状況も視察しました。オス1羽、メス2羽の合計3羽が繁殖のために飼育されていて、来年には繁殖が成功するのではと期待をかけているとのことでした。
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国際シンポジウムでは、クロツラヘラサギの繁殖地、越冬地に関係する人々が一堂に会い、有意義な情報交換や議論が行われました。
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ときわ動物園で飼育されているクロツラヘラサギ。自然の営巣地と同じような岩場環境が飼育ケージ内に再現されています。
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ときわ動物園の木村嘉孝さんから(一番右)から説明を受ける視察チーム。「当園だけで繁殖を繰り返すと遺伝的多様性が失われていくので、山口県内飼育施設であるきらら浜、徳山動物園が連携して繁殖に取り組んでいければ」とのお話でした。
クロツラヘラサギを
山口湾の環境保全のシンボルに
そしてラムサール湿地登録を目指して
山口湾を日本初のクロツラヘラサギの繁殖地にするNPO法人野鳥やまぐちは、その夢に向かって着実に歩みを進めていました。
クロツラヘラサギに特化した保護・リハビリセンターも完成し、不測の事態に備えて受け入れの体勢も整っていることが今回の視察でわかりました。
また、繁殖地となるためには、大きな課題があることも事実です。
しかし、一歩一歩問題をクリアにしていけば、夢物語ではないことがわかりました。
なぜ、クロツラヘラサギを保全するのか。
それはクロツラヘラサギを守ることが、結果的に山口湾の自然を保全することにつながるからだと原田さんは言います。
クロツラヘラサギが生息できるのは、それだけ生物多様性に富んだ豊かな環境がここにあることの証だからです。
NPO法人野鳥やまぐちでは、クロツラヘラサギが生息する山口湾をラムサール条約の登録湿地にするという目標も掲げているそうです。
今回の視察では1日の滞在でしたが、絶滅危惧種のサンカノゴイが飛び出すなど、ラムサール条約登録の基準に達している環境であることを実感。
近い将来、登録される可能性が高いのではと思いました。
このかけがえのない山口湾の環境が守られ、日本初のクロツラヘラサギの繁殖地が生まれる日が来ることを願いながら今後も活動を見守っていきたいと思った取材でした。
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視察の最中に飛び出した絶滅危惧種のサンカノゴイ。
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広大な干潟が広がる山口湾。貴重な生物が生息するかけがえのない環境です。 (写真提供:NPO法人野鳥やまぐち)