連載

ワイナリー便り:シャトーラグランジュ便り
2007年5月22日

温暖化の影響はとどまる事を知らないかのようです。ボルドーでは3月に続き4月に入っても好天が続き、4月の下旬には29℃と7月並の気温が3日も続く事態となりました。これにより萌芽、その後の生育も平年を2週間以上上回る早いペースで進んでいます。ご参考までに気象データを示しますと、4月の平均気温は16℃で、平年の11.6℃を4.4℃も上回りました。日照時間は219時間(平年比124%)、降水量は35.4mm(平年比44%)で、晴天の多い気候であることがわかります。新聞ではフランスの四季を、冬を2ケ月、春を1ケ月、夏を6ケ月に定義し直す必要がある、などと揶揄するコメントもなされてますが、近い将来、笑い話ではなくなる可能性もありそうです。

この熱気と対照的に穏やかなのは、プリマーキャンペーンです。世紀のミレジムとなった昨年と比較出来ないのは当然としても、昨年異常に高騰した価格のレベルが今年どのレベルに落ち着くのかを、内に秘めた熱気を押し殺しつつ、窺っているというところです。注目のパーカー評点も公表され、2006ビンテージの高品質はサプライズとコメントされたことから、実はそれほど価格が下がらない可能性もささやかれ始めました。動きが出始めると、一気に熱くなるのかもしれません。

さて、今日の本題に入りましょう。表題のように、ラグランジュは今、ステージの変わり目にいます。サントリーがラグランジュの経営に参画したのは1983年12月です。当時のシャトーは前オーナーの経済難から必要な投資が為されておらず、品質も名声もグランクリュの最下位とまで酷評される状況でした。当初からシャトーの再生は並大抵のものではなく、長期戦覚悟の経営が必要であることは、誰の眼にも明らかでした。この厳しい再生ステージを陣頭に立って指揮してきたのが、デュカス社長です。彼は、その類い希なテイスティング力に加え、物事の本質を常に探り続ける学者肌の気質、さらにトップとして必要な実行力を併せ持ち、際立ったリーダーシップを発揮してきました。荒れ果てた畑の新植に始まり、醸造設備の一新など、必要と思われるあらゆる手立てを講じてきたのです。
彼の打つ手に反応するかのようにラグランジュのワインは品質を着実に回復し、20年の時を経て、評価も3級の上位グループとして認識されるに至りました。ラグランジュのルネッサンスを為し得た背景に、彼は欠かせない存在だったのです。

そのデュカス社長が、この4月末にバトンを後任者のエイナール氏に渡しました。エイナール氏は91年にラグランジュに加わり、以後17年間、デュカス社長の右腕として再生を支えてきた人物です。彼もデュカス前社長同様、品質への熱い思いを持った、非凡なエノログであり、特に栽培面でのルネッサンスには彼の貢献に負うところが大でした。
『復活』を為し得た今、エイナール新社長と私に課せられているのは、次のステージに向けての、グラン・デッサンの仕上げとその実行です。デュカス前社長と前任の鈴田氏が20年の歳月をかけて築いてくれた土台を更に固めつつ、いよいよラグランジュの持つテロワールの限界に挑戦する『創造』のステージに、着実な一歩を進めたいと思っています。

3年間という短い期間でしたが、私は『復活』というステージの最後をデュカス社長といっしょに働くことが出来て幸運でした。1月のニューヨーク、そして4月のロサンゼルス、サンフランシスコで開催したお別れプレスイベントではそれぞれ100名ほどが、また3月にクルチエ、ネゴシアンを招いての国内でのフェアウエルパーティではなんと200名に及ぶ業界関係者の参席があったことが示すとおり、彼は、その仕事ぶりのみならず、人としても魅力的なリーダーでした。
デュカス社長に、改めて謝意と敬意を表したいと思います。本当にご苦労様でした。

ラグランジュでのフェアウエルパーティには200名もの参席者が集った。
ラグランジュでのフェアウエルパーティには200名もの参席者が集った。
公式には最後となったロスでのプレスイベントを行うデュカス前社長。
公式には最後となったロスでのプレスイベントを行うデュカス前社長。
社内のフェアウエルパーティで、『復活』のステージを共に歩んだメンバーと。
社内のフェアウエルパーティで、『復活』のステージを共に歩んだメンバーと。
ぶどう栽培研究室、ガイゼンハイム大学留学、ロバート・ヴァイル醸造所勤務、ワイン研究室、原料部、ワイン生産部課長を経て、2004年6月よりシャトー ラグランジュ副社長。2005年3月より同シャトー副会長。  
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