サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2026
小菅 優プロデュース「音楽朗読劇『借りた風景』」 「小菅 優と仲間たち」
小菅 優(ピアノ)・藤倉 大(作曲) インタビュー
2026年に開館40周年を迎えるサントリーホールが毎年開催している室内楽の祭典「チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)」。この大きな節目の年にCMGでユニークな2公演をプロデュース・企画するのが、真摯に音楽芸術に向き合い続けるドイツ在住のピアニスト、小菅優だ。小菅本人と小菅のプロデュース公演「音楽朗読劇『借りた風景』」の音楽を手がけた作曲家・藤倉大にインタビューした。
小菅 優プロデュース「音楽朗読劇『借りた風景』」(2026年6月14日)
――第二次世界大戦で生き残ったヴァイオリン、コントラバス、ピアノという3つの楽器が世界に実在する。その戦火をくぐり抜けてきた楽器を軸に、今を生きる架空の音楽家が楽器の歴史や記憶を語るのが、音楽朗読劇「借りた風景」である。2022年にドイツのラジオで世界初演され、2025年2月に被爆から80年を迎えた広島でも上演された話題作が、東京でも披露される。この作品に当初から関わっているのが小菅と藤倉である。
小菅: 『借りた風景』はドイツのラジオ劇として2022年に初演されました。そのときはまだコロナ禍のさなかで、コンサートや企画が毎回変わったり、キャンセルが続いたりする不安定な状況にあったのですが、大さんが「(広島で被爆し亡くなった河本明子さんのピアノをテーマにした曲)『Akiko’s Piano』を含むラジオ劇に参加しない?」と企画を持ちかけてきたのが、私が関わるようになったきっかけです。
藤倉: そもそもの始まりは広島交響楽団から委嘱された「Akiko’s Piano(ピアノ協奏曲第4番)」です。この曲のカデンツァ部分は明子さんのピアノで作曲しました。協奏曲は2020年の被爆75年の時に初演され、カデンツァ部分は「Akiko’s Diary」という独立した作品になりました。そしてドイツの劇作家から僕のマネージャーへ、「借りた風景」という音楽劇にその「Akiko’s Diary」を使いたいというメールがありました。
その時はコロナ禍で僕も時間があったので、マネージャーから転送されてきたメールの履歴をたどってみたんです。すると、「音楽劇の他の部分の音楽は『藤倉大スタイルの音楽』を他の作曲家に依頼しようと思います」という文面がありました。僕が忙しいと思っていて、頼むのを遠慮していたようです。そこで、僕が直接「その『藤倉大スタイルの音楽』を書く人って、僕、藤倉大じゃダメですか?」と連絡したところ、「ぜひやってほしい」という返答でした。僕は途中から作品に参加した「転入生」のような感じで、こういう作品の場合、信頼できる演奏家にやって欲しい。そこで、僕から小菅さんに連絡しました。
――藤倉に連絡したドイツの劇作家というのが、ドイツを拠点に活動するハイケ・タウフとフロリアン・ゴルトベルクによる劇作家ユニット「タウフゴルト」である。彼らは「楽器には記憶が宿る」と考え、第二次世界大戦中にハンガリー・ブダペストの地下室に閉じ込められていたヴァイオリン、ポーランドからイスラエルに逃げる際に置き去りにされたコントラバス、そして広島の明子さんのピアノをテーマにした朗読劇を思い立った。
小菅: 『借りた風景』は、ピアノ、ヴァイオリン、コントラバスという楽器編成が珍しいです。『借りた風景』という言葉は日本庭園の“借景”を表していて、この音楽劇の意味は「一つ一つの楽器に記憶があるか」ということです。楽器の場合、例えばヴァイオリンは一定の期間楽器を借りることがあります。一人一人の人生を超越して歩んでいる楽器の記憶。ただ戦争や平和を直接語るのではなく、芸術を通じて、人生、人間の記憶について哲学的にアプローチしていることに惹かれました。ハイケさんは残念ながら2024年に亡くなったのですが、真実を追究する方でした。この作品では楽器同士が対話している感じが好きです。ハイケさんも大さんの曲を気に入っていました。
ハイケ・タウフ(左)とフロリアン・ゴルトベルク(右)による劇作家ユニット
――藤倉が明子さんのピアノを実際に弾きながら作曲したカデンツァ部分は、タウフゴルトの当初要望通り、『借りた風景』の中に使われた。
藤倉: カデンツァは明子さんのピアノと真剣に向き合って作りました、そのとき、明子さんのピアノをずっと調律してきた調律師の坂井原浩さんに広島の被爆についていろいろ話を聞きましたし、その場で曲を弾いたりもしました。響きからして明子さんのピアノらしい曲になりましたし、ピアノからインスピレーションを受けイマジネーションを膨らませたことがよく分かると思います。
小菅: 20世紀初めのピアノの魅力は低音から高音まで音が全然違うことです。大さんの曲はそうしたピアノの特長を上手く生かしていると感じました。
――ドイツでの『借りた風景』ラジオ初演が無事成功に終わった後、アメリカでの上演を経て2025年2月、日本でも上演された。
小菅: 25年2月に広島で日本初演され、私がピアノを弾きました。日本語版の翻訳は、明子さんのピアノについての本も出されている中村真人さんです。ハイケさんとフロリアンさんはずっと日本で上演することを望んでいました。広島の方々は坂井原さんをはじめ、皆さんすごく一生懸命で素晴らしいです。
――CMGでの『借りた風景』は広島公演とキャストも異なり、また違うアプローチでの朗読劇になりそうだ。
藤倉: 劇は役者が変わるだけで全然違うものに変わりますが、音楽はどんな伝説的な指揮者でも同じ作品に接して、それぞれの解釈で演奏できるのが面白い。今回はヴァイオリンもコントラバスも広島公演とは異なる奏者ですが、いろんな人がいろんな解釈をできるのが楽譜の機能であり、強みだと思います。
小菅: ヴァイオリンは過去のCMGでも共演した金川真弓さんです。コントラバスは弊隆太朗さんで、CMGにはよく出演されています。お二人とも素晴らしい演奏家です。朗読の方は長年の友人であるバリトン歌手の駒田敏章さんがいろいろ声をかけてくれました。駒田さんは読書が大好きでこの企画に最初から興味を持ってくれました。ミュージカルで活躍する横山友香さん、ベテラン俳優の酒向芳さん、音楽劇で駒田さんと共演したことがあるくまさかりえさんという、素晴らしいキャストが揃いました。
(下段)横山友香、酒向 芳、くまさかりえ
――明子さんのピアノは老朽化も激しく、修復されたといっても通常の現代ピアノと比べると演奏に支障もあるに違いない。だが、今回もカデンツァ部分は明子さんのピアノを使う。
小菅: 広島公演は明子さんが通っていた学校で演奏し、「Akiko’s Diary」だけ明子さんのピアノで弾きました。最後に明子さんのピアノを弾くとタッチも全然違います。
藤倉: 坂井原さんもあえて明子さんのピアノの音は直していません。音も含めて何かを感じ取ろうとしたのだと思います。もともとこのピアノは何か特別な仕事や企画があったわけではなく、坂井原さんが夜中にピアノを整備していたようです。そんなピアノをまさかマルタ・アルゲリッチやピーター・ゼルキンが弾くことになるとは思わなかったはずです。明子さんの家族からすればピアノを処分することも検討されたようですが、明子さんのピアノがなければこの作品は生まれませんでした。物事にはストーリーがあります。僕たちは広島出身ではないので、坂井原さんのような存在は頼りになりました。
――小菅や藤倉の世代は直接戦争を体験したわけではない。だからこそ、この『借りた風景』を通じて平和への思いを訴えたいという願いは強い。
藤倉: 海外では、広島が今復興して都市化していることを知らない人もいます。芸術はすべての政治的・外交的なやりとりを解決できます。言い合いにならないですから。芸術的アプローチはソフトパワーです。
小菅: 今考えないといけないことを伝えたいです。私たちは祖父や祖母からかろうじて戦争について聞いたことがある世代ですが、もっと若い世代や広島についてよく知らない人々にどう伝えるかが重要だと思います。また、この作品は戦争についての話だけはでなく、「芸術の重要性を訴えていること」だと思います。それぞれのストーリーにより、異なる編成で音楽を演奏し、朗読と一体となるとどのようなものができるのか。タウフゴルトの2人が望んでいるものは何かを考えてやりたいです。サントリーホールのブルーローズは家族的な雰囲気で温かく、お客さんとの一体感を感じられる空間です。お客さんと一緒になって私も何を感じ取れるか楽しみです。
室内楽公演「小菅 優と仲間たち」(2026年6月17日)
――小菅がプロデュースするもう一つの公演が、「小菅 優と仲間たち」である。取り上げる作曲家は十二音技法を生み出したシェーンベルクと米国を代表するコルンゴルト。ともにウィーンで活動したユダヤ系作曲家で、ナチスから逃れて米国に亡命した。それだけに、1公演目の『借りた風景』に通じるような要素もある。小菅自身はどんな思いで共演者とこの2曲を選んだのだろうか。
小菅: チェロのベネディクト・クレックナーさん、ヴァイオリンの金川真弓さんとはCMG2021の武満徹プロジェクトで共演しましたし、普段から良きパートナーです。芸術全般への視野が広い金川さんには『借りた風景』も含めた両公演で弾いて欲しいと最初からお願いしました。毛利文香さんは金川さんの紹介で、今回初めて共演できることを楽しみにしています。
(右)毛利文香
――1つの公演で演奏するにはかなり「重い」曲が2曲揃ったが、その分聴き応えがあるのは間違いない。
小菅: すごく大きな作品2曲を演奏することになりました。両方ウィーン出身のユダヤ人という共通点があります、シェーンベルクの『浄められた夜』は1899年、シェーンベルクがまだ20代の時の作品です。元々は弦楽六重奏ですが、これをシュトイアーマンがピアノ三重奏に編曲したものです。リヒャルト・デーメルの詩をもとにした曲で、官能的な雰囲気が漂う中、自然の風景(月、森など)と共に人間の感情が表現されます。女の悲劇的な告白、暗闇、不安から、最後に男が女を許す寛大な温かみの光が射すまで、後期ロマン派の感情的な世界が繰り広げられます。
コルンゴルトはアメリカ、ハリウッドのイメージが強いですが、ウィーンで活躍した天才です。第一次世界大戦で右腕をなくしたピアニスト、ヴィトゲンシュタインのために書かれた『2つのヴァイオリン、チェロ、ピアノ(左手)のための組曲』は、5楽章構成で、こちらも後期ロマン派の、そしてウィーンの雰囲気が漂っています。ピアノソロで始まる堂々とした1楽章、第2楽章のオペラ的なワルツ、皮肉でダークなユーモアに富んだ第3楽章、マーラーの緩徐楽章を思い起こさせる抒情的な第4楽章、牧歌的なメロディから華やかなクライマックスへと盛り上がる第5楽章。盛り沢山な素晴らしい作品です。
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)
――両作曲家は活躍した年代は近いものの、音楽は対照的に映る。
小菅: シェーンベルクはシリアス、コルンゴルトは明るい感じの音楽で特徴が全く違う音楽です。2024年のCMGで演奏した『月に憑かれたピエロ』は、より後に書かれた作品で、シェーンベルクの音楽は年代によって全然違う。『浄められた夜』は文学から深く掘り下げてつくられていて、シェーンベルク自身が変化していった時期の画期的な作品です。
――初期のシェーンベルクによる音楽は後期ロマン派的な情感あふれる響きや旋律を残しながらも、新しい音楽を生み出そうという気概を感じさせる。
小菅: 調性音楽から十二音技法へと向かう、その境目のところにある音楽だと思います。ピアノは直接的でなく、他の楽器をイミテート(模倣)する楽器で、お客さんの想像力をかき立てることができます。今回のピアノ三重奏では3人がインティメイト(密な関係)に対話できればいいと思います。
――コルンゴルトは左手のためのピアノ曲だが、両手で弾くのと左手だけで弾くのは、感覚が全く違うという。
小菅: 左手のための作品を演奏するのは初めてですが、もう本当に大変です。特に重心のかけ方が難しいです。片手で一番高い音から低い音まで弾かなければなりません。足の置き方も両手の作品とは全く違います。ピアノ四重奏曲の通常の編成ではなく、2本のヴァイオリンのアンサンブルが高音で美しい響きを放ち、色気ある音を奏でます。
――両作曲家にはウィーンで活動後、米国に亡命したユダヤ系という共通点がある。戦争との関わりを意識した上での選曲なのだろうか。
小菅: 今までのCMGの企画を踏まえたテーマになっています。必ずしも戦争を意識したわけではありませんが、いずれも世の中との関わりという点で訴えたいことがたくさんある中で作られた曲であると思います。他ではなかなかできない挑戦的なプログラムですし、私も思い入れがある作品です。
――挑戦的な2曲をどのように聴けばいいのか。小菅が重視するのが、室内楽特有の聴衆との一体感である。
小菅: シェーンベルクは30分ほど、コルンゴルトは50分ほどありますが、今は3分くらいで短い動画を見るのが主流の時代です。ぜひコンサートの現場では私たち演奏者と一緒に冒険している気分で聴いて欲しいですし、ライブで音楽に集中する感覚を体験していただきたいです。
また、シェーンベルクは十二音技法のイメージが強いですが、実は画期的で人間味のある音楽です。アカデミック、理論的なだけでなく、人間の精神の深いところまで掘り下げた音楽です。
特に若い人には音楽だけでなく、芸術全般に触れる意識で聴いて欲しいです。音楽、演劇、文学、アートなど様々な分野への好奇心は大事だと思いますし、そこからインスピレーションを受けることができます。武満徹さんたちの時代はジャンルを越えた交流がかなりあったと思いますが、今はそうした交流があまりなくなっている気がします。ですので、こういう企画は芸術全般に触れるいいチャンスだと思います