アーティスト・インタビュー

日本フィル&サントリーホール
とっておき アフタヌーン Vol. 15

横山 奏(指揮) インタビュー

日本フィルとサントリーホールが贈る、エレガントな平日の午後『とっておきアフタヌーン』。2020~21シーズンは「クラシックの『今』をシェアする」をテーマに、注目の気鋭指揮者と多才なソリストによる演奏をお届けしています。シーズンを締めくくる指揮者は、2018年東京国際音楽コンクール<指揮>第2位および聴衆賞を受賞された横山奏さん。北海道・札幌のご出身。広い視野と生き生きした感性で音楽を届けてくれる、若きマエストロです。ピアニスト角野隼斗さんとの組み合わせも楽しみなVol.15ならではの「とっておき」を伺います。

――奏(かなで)さんというお名前が、音楽そのものですね。

はい、とても気に入っている名前です。が、音楽一家に生まれたわけでもなく、音楽の英才教育を受けたとかではまったくないんです。趣味で音楽好きだった両親が、音楽が好きな子どもになればいいなという単純な願いで付けたそうです。おかげさまで、小さい頃から歌ったり踊ったりすることが好きで、得意で。でも、音楽家になるなんて考えてもいませんでした。

――では、指揮者になられるまで、どのように音楽に接してこられたのでしょうか?

小学校に上がったばかりの頃から、通っていた教会で毎年クリスマスに、子どもたちだけで出し物を、ミュージカルをしたりしていました。そういうのが大好きでした。聖歌隊で歌ったこともあります。小学5年生からピアノを習い始めました。クラスにピアノの上手な子がいて、どうやら世の中には、ピアノを先生に習って上手になっている子がいるんだということに気づきまして。それまで音楽というものを、レッスンを受けて学ぶものだという認識が全然なかったんです。「僕も習ってみたい」と両親にお願いして、ピアノを始めます。学校の必修クラブでは、和太鼓をやっていました。リズムを叩くのが大好きで。それで、中学校では吹奏楽部に入って、打楽器パートに。ここで初めてクラシック音楽に触れたんです。吹奏楽は、オーケストラ用の曲をアレンジして演奏したりしますからね。それまでは、オーケストラの曲を聴いたこともありませんでした。初めて演奏した曲が、サン=サーンスの『サムソンとデリラ』。家で「今度コンクールでこういう曲を演奏するんだ」という話をしたら、アマチュアのオーケストラでテューバを吹いていた父親が、カセットテープを貸してくれて。「これが原曲だよ」と。それでオーケストラというものを初めて知ったのです。テレビのBGMなどで耳にしたことはありましたが、「あの音楽って人間が演奏しているんだ!」と驚いて、父親に質問したのを覚えています。コンピューターか何かでやっていると思っていたんですね。それから、音楽を聴くようになって、コンサートにも行ってみたりするようになって。そんな、ごく普通の男の子でした。

――学校では吹奏楽を楽しまれて、進学は教育大学に。

そうなんです。僕はずっと学校の先生に恵まれて、小学校では小学校の先生になりたいと思い、中学では中学の先生、高校では高校の先生になろうと。小学校の卒業文集に、将来の進路は北海道教育大学って書いているんです(笑)。その通り、教育大学の音楽科を目指したのですが、打楽器専攻がなくて。それで、得意だった歌を、高校3年生から付け焼き刃で先生について習い始め、声楽専攻で入りました。でも声楽家になるつもりはなかったですし、3年生で転科できるシステムがあり、選択肢の中に指揮科があったんです。吹奏楽を通じて漠然と、指揮者に対する憧れもあったんでしょうね。それに、教育者になるんだったら、できるだけ音楽についてたくさんのことを知っていた方がいい、そのためには指揮者として勉強するのが一番広い範囲で学べると思って。しかし、たった2年間でしたから、卒業する時にまだ入り口にも入っていない感覚でした。なにもできていないまま終わったのでは意味がない。もうちょっと勉強したいと東京に出て桐朋学園で指揮を学び、もうちょっと勉強したいと藝大の大学院に進み……音楽の奥深さを知り、もっと知りたい、もっと学びたいと突き詰めていくうちに、道が開けていった感じです。

――そして2018年、東京国際音楽コンクール指揮部門で第2位、聴衆賞も受賞され、一躍注目されるわけですが、コンクール後はどのような日々を?

劇的な変化はないですけれども、業界の方々からは注目していただけるようになりましたし、今回のように、日本フィルという素晴らしいオーケストラと、サントリーホールで共演できるなんて。そのように、いろいろなオーケストラといい機会をいただけることが増えたと実感しています。同時に、まだお客様に十分に認知されていないと感じることも多く、それが逆にやりがいになっています。行くたびに、横山奏です、と見せられるチャンスがあると思って。

――今回は、どんなプログラムになりますか?

作品タイトルからそのままインスピレーションを受けて、曲を聴いてさらにイメージを膨らませられる、そんな曲ばかりです。とくに身構えず、予習とか準備も必要なく、楽しんでいただけるプログラムだと思います。初めてオーケストラの音楽を聴く方や、初めてサントリーホールにいらっしゃるという方々も、緊張せずに、ポップミュージックのコンサートに行くのと同じような気持ちで、いらしていただければ。

――どこかで一度は聴いたことがあるような曲が並びますね。

そうですよね。3曲とも、どこかワンフレーズは誰でも必ず耳にしたことがあると思います。選曲は、最初にソリストの角野隼斗さんからガーシュウィン『ラプソディー・イン・ブルー』が挙がっていたので、それに合わせるような曲、いらっしゃるお客様もイメージして、たくさん色々な曲を候補に挙げた中から、日本フィルに選んでもらいました。

――「モルダウ」(スメタナ:連作交響詩『我が祖国』より)は、この時期だからこそ、心にゆったり響きそうですね。

チェコの音楽は、なにか懐かしい気分にさせるような、良い思い出を思い起こさせてくれるような気がします。深刻にならずに、温かい気持ちになれる。なんとなくすり減っている時代の中で、聴きやすい曲だと思います。

――一方、『ラプソディー・イン・ブルー』(ガーシュウィン)や『展覧会の絵』(ムソルグスキー、ラヴェル編曲)は、次々と展開していく、かっこいい曲、そんなイメージがあります。

僕自身も変奏曲のように、あるひとつのことから、いろいろ膨らませてつくっていくようなものが好きなんです。例えば漫才やコントでも(笑)。『展覧会の絵』は、1曲2~3分ぐらいのものが、次々いろいろなキャラクターで出てくる、カラフルな組曲です。僕もわりと気まぐれでコロコロ気分も変わるほうなので、楽しく飽きずに練習できますし、好きな曲です。

――1曲1曲、絵画のタイトルが曲名になっています。その中で、テューバがソロで活躍する曲があるのだと、日本フィルの奏者の方がおっしゃっていましたが。

第4曲「ビドロ(牛車)」ですね。今回の公演ではテューバで吹いてくださるのですね、嬉しい、嬉しい。テューバのパートをユーフォニウムで吹くことも多いのですが、やはりテューバの音色が、曲自体を表現するのに合っています。人々の苦しい訴え、重い足取り……それをテューバが、う~んんんって苦しんで吹く(“ビドロ”はポーランド語で牛車、または、虐げられた人々という意味があるそう)。ムソルグスキーが書いたピアノ曲を、ラヴェルが管弦楽に編曲するときに、絶対そのように思って書いたオーケストレーションだと思います。テューバの音域ではないところで演奏するんです。あんなの、なかなか思い付かないですよね(笑)。

――オーケストラは、ひとつひとつの楽器を見る視覚的な楽しみもありますね。ご自身は、『展覧会の絵』のなかでお好きな部分は?

やっぱり、「キエフの大きな門」(第10曲)ですね。パーンと三和音が美しく鳴って、いちばん気持ちいい瞬間です。

――日本フィルハーモニーとは、すでに何度か共演されていますか?

はい、今回で3度目ですね。最初は、鑑賞教室でシンフォニーを。もう一回は先日、杉並区の小学生たちと一緒にレコーディングをしました。日本フィルの拠点である杉並区が、東京五輪でウズベキスタンとパキスタンの選手団を招聘しているそうで、そのオリジナル応援ソングを。(※下部リンクから視聴いただけます)

――日本フィルとの相性はいかがですか?

相性なんてそんな大それたこと言えませんけれど、すごく親身になって協力してくれるオーケストラです。きちんとオーケストラ自身の演奏を持っていて、それでいて、僕みたいな若い指揮者にもちゃんとついてきてくれて、僕のやりたいことを実現してくれる。一緒に演奏していて気持ちいい、素晴らしいオーケストラです。

――「とっておきアフタヌーン」は平日14時からの昼公演(マチネ)ですが、夜公演とは気分が違いますか?

いいですよね、平日昼間のコンサート。僕は好きです。あまり夜型ではないので、演奏する立場としても、昼の公演とか昼の練習の方が好きですね。お客様の雰囲気も、少し変わるかな。メニューは同じでも、ディナーかランチかで違いがあるみたいに。夜のコンサートだったら、今日1日いい日だったなあという締めとしてコンサートを聴きますけれど、昼だったら、コンサートの後にもまた他の活動がありますし、その後の1日も含めて潤してくれる。平日の昼間のコンサートで、いい気分になって帰れたら、家族に優しくできるかもしれないし、いつもよりちょっといい晩ご飯を作るかもしれないし(笑)。

――2020年は未知のコロナ禍で、音楽家も皆さん大変なご苦労をされたと思います。どのように過ごされていましたか?

3月からすべての公演がなくなって、最初の1~2ヶ月ぐらいは、すごくゆったり過ごせました。それから、やっぱりちょっと不安になって、夏ぐらいには大丈夫だろうなんて思っていたのに全然そんなことなくて、いつ始まるんだろう、この先どうなるんだろうと。それより何より、演奏に対する欲求が大きくなって。早くやりたい、早くやりたいと。なんかそれまでとは違う気持ちが芽生えて。
この期間に不思議と僕の心の中で変化が起きたことのひとつは、僕は専門教育を受けるのが遅かったので、ある意味コンプレックスというか自分の弱い部分だと思っていたので、それをカバーするためにも色々勉強して知識を蓄えて、背景にある歴史やスタイルを考えて、理性的に、これはこういう音楽なんだ、この時代の音楽だからこう演奏するんだということをいつも考えて大事にしていたんです。自分が理由をつけて導き出されるものでないとやらないという考え方。でも、コロナで演奏する機会が何もなくなって、自分の演奏とも向き合っていろいろ考えているうちに、確かに僕は考えることによって足りないことを補っていこうと思っていたけれど、でも本来、僕のいいところはそこじゃなかったんじゃないかな?と。少年の頃、やりたいように踊ったり歌ったりして楽しんでいた時を思い出し、僕のいいところって、そこにあったんじゃないかと、イメージがふと蘇ってきたんです。それがきっかけで、もっと自分が感じるものの良さを大事にして、考えすぎずに、また演奏してみたいなあと思いまして。
その再開の最初が7月7日、ここサントリーホールでのコンサートだったんです(「イマジン七夕コンサート」)。実際演奏して、喜びもすごく大きかったですし、色々なことを感じながら演奏して、終わって「楽しかったなあ!」と思えるコンサートでした。
音楽との向き合い方が少し変わったというか、そうじゃないかもと思うこともやってみようと思うようになりました。コンクール入賞後、一度立ち止まって考えることができた、良いタイミングだったと思っています。それで、新しい曲に挑戦するよりは、今までやったことのある曲をもう一度いろいろやってみたいと思って。今回の『展覧会の絵』もそのひとつです。また違う視点からこの作品を見られるかなあと思って、すごく楽しみです。

――最後に、このシリーズに出演される皆さんに、「あなたの“とっておき”は何ですか?」というのを伺っているのですが。

とっておきですか……うーん。僕はやっぱり「人と会うこと」かなあ。昔からの幼なじみも仲良い人がたくさんいますが、新しい人と会うのも大好きで。お酒も好きなので、旅先で一人で知らない店にすぐ入るんです。特にボロッボロの怪しい店に入るのが好きで。何が出てくるかわからなそう、行ってみよう!って。そこで、僕のことを全然知らない人、その店の常連さんと仲良くなるのが好きなんです。よく行く街では、決まって飲みに行く店があって、そこでしか会わない常連さん、音楽に何も関係ない人たちと仲良くなって飲んで、「今度いつ来るの?じゃあその時また会おう!」みたいに。音楽家ではない人と触れ合うのが、僕、大好きなんです。「どんな仕事しているの?」って聞かれても、説明するのも面倒くさいのでいい加減に応じたりして(笑)。僕が指揮者ということを知って、「それなら一度、奏さんのコンサート、見てみたい!」と来てくださる方がいたりするのも、嬉しいことです。
僕にとっては、人と会うことが、自分を見つめることだと感じるんです。他人は自分を映し出す鏡というか。誰かと会ってコミュニケーションをとることによって、自分を見つめ直す。だから昔から人と会うのが好きです。

大阪の行きつけの居酒屋にて
壁には横山さんご出演公演のポスターが。
ザ・プレミアム・モルツと共に (ありがとうございます!)

――ありがとうございました。