サントリーホールの歴史
サントリーホール誕生
1986年10月12日、サントリーホールは、東京で初めての“コンサート専用ホール”として誕生しました。クラシック音楽を理想的な音響と雰囲気で楽しめるコンサートホールは、多くの音楽家、音楽愛好家が待ち望んでいたものであり、当時のサントリー株式会社社長・佐治敬三の長年の夢でもありました。
サントリーグループには、事業で得た利益をお客様へのサービスや社会に還元する「利益三分主義」という企業理念があります。創業以来、その精神に基づいて文化・社会貢献活動を行ってきました。
1961年にサントリー美術館、69年に鳥井音楽財団(後のサントリー芸術財団)を創設した二代目社長・佐治敬三は、心豊かな社会を育み、人々の暮らしの中に文化を根付かせ、日本の芸術文化の発展に寄与することを、信念としていました。
財団の活動を通じて、日本を代表する音楽家および関係者たちと広く密な交流があり、なかでも、財団理事で戦後日本の音楽界をリードした作曲家・芥川也寸志氏の尽力は、日本にまだ数少ない本格的なコンサートホールを建設・運営することへの、大きな後押しとなりました。
作曲家 故・芥川也寸志(中央)と佐治敬三
世界最高峰のホールを作り、コンサートを楽しむ文化そのものを広めていきたいーーその夢は、東京都の赤坂・六本木地区再開発計画のなかで、森ビルが構想した大規模複合施設「アークヒルズ」で実現しました。広場(後にアーク・カラヤン広場と命名)を中心に、オフィス棟、住宅棟、ホテルや文化施設が建ち並び、豊かな緑地も備えた、新しいライフスタイルを提案する街。そこで、サントリーが文化施設を作ることになったのです。
多目的イベントホールではなく、コンサート専用ホールを創設すると決め、そのコンセプトを「世界一美しい響き」としました。
「世界一美しい響き」で「最高の音楽体験」を実現するために、新しいコンサートホールの有り様があるのではないかと、設計の安井建築設計事務所・佐野正一社長(当時)を中心に、模索が続きました。
その結果、19世紀以降世界中のコンサートホールではステージを正面に配したシューボックス型(長方形)が主流な中、サントリーホールでは、ステージを中心にして客席が全方位に広がる「ヴィンヤード(ブドウ畑)型」を、日本で初めて採用することにしました。決定には、世界的大指揮者ヘルべルト・フォン・カラヤンのアドバイスが、大きく影響しました。
1983年、佐治敬三は、佐野氏らと共に欧米の著名なコンサートホールを視察。ベルリンでは、世界で初めてヴィンヤード型に設計された、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地「フィルハーモニー」を訪問。建設に深く関わったカラヤン氏に、意見を問うたのです。答えは明快でした。「コンサートは舞台上の演奏家と聴衆が一体となってつくりだすもの。ステージを中央に配置し、その周りを客席がぐるりと囲んで、皆で音楽をつくっている雰囲気ができあがるヴィンヤード型こそ、ふさわしい」。さらに、「段々畑に太陽が降り注ぐように、段々に配された客席のどの場所にも等しく音楽が響く」という理念に、佐治敬三は深く共感し、サントリーホールの形式を確定しました。
カラヤンは大ホールのヴィンヤード形式を熱心にすすめた
大ホールの客席は、ゆったりと音楽を聴けるように、従来より大きめのサイズで、音響板の役割も果たすような特別設計。列の間隔も広めにとり、総客席数は2006席としました。
正面には、5898本のパイプを有する世界最大級のオルガンを配置。「オルガンのないコンサートホールは家具のない家のようなもの」というカラヤン氏の一言から、プロジェクトチームがヨーロッパ中のオルガンを聴き歩き、オーストリアの名門リーガー社に発注したものです。
床や壁、天井は、音響的に優れた材料・形を厳選。設計段階から永田音響設計事務所が関わり、正確な1/10模型を作ってレーザー光線による音響実験を重ねたことなども、画期的でした。すべては「世界一の美しい響き」のために。
室内楽に適した小ホールは、座席を固定せず、様々な用途に使える仕様にしました。
最高の音楽体験の場であるとともに、コンサートを楽しむ文化そのものを根づかせたいと、雰囲気づくりの細部にまでこだわりました。大きなシャンデリア、壁画やステンドグラスなどのアート作品、赤い絨毯が広がる華やかなホワイエ。お客様に快い時間を過ごしていただくために、ご案内専門職のレセプショニストや、クロークのサービスを配し、お酒も提供するドリンクコーナーを設けたことも、日本のコンサートホールでは初めての試みでした。開演前や休憩のひととき、コンサート後の余韻まで含め、大人の社交場としての新たな空間価値を創造したのです。
約5年間を経て1986年秋、サントリーホールは完成しました。初代館長は佐治敬三。カラヤン氏は、ベルリン・フィルとの最後の来日公演でサントリーホールを訪れ、極上の演奏と、「まるで音の宝石箱だ」という言葉を残しました。
サントリーホールは、音楽文化創造の場として、連日連夜世界最高峰のアーティストが集い、また、日本から音楽文化を発信する場として、一年を通してオリジナル企画の主催公演を始めとした、多数のコンサートを開催し続けています。