ファビオ・ルイージとN響が満を持して届ける、初のオペラ
演奏会形式でこそ輝く《トスカ》の魅力

西川彰一(NHK交響楽団 芸術主幹)

ファビオ・ルイージの首席指揮者就任以来、信頼を深め、演奏の成熟を重ねてきたNHK交響楽団。両者が初めて取り組むオペラに選んだのは、プッチーニの音楽が濃密なドラマを描き出す名作『トスカ』です。演奏会形式だからこそ際立つ作品の魅力と、ルイージ自らが選んだ世界で活躍する歌手陣にも期待が高まります。
本公演の実現に至る背景から注目のキャスト、作品の聴きどころまで、NHK交響楽団 芸術主幹の西川彰一さんにご寄稿いただきました。

ファビオ・ルイージがN響の首席指揮者に就任したのは、今から4年前の2022年9月。
それ以来(正確にはその少し前から)、私たちは主に、ブルックナーやマーラー、R.シュトラウスといった、スケールの大きなドイツ音楽のレパートリーに取り組んできた。回を追うごとに、お互いの信頼は深まり、パフォーマンスは成熟を重ね、それに伴って終演後に寄せられる拍手も、ひときわ熱を帯びたものになりつつある。
タイトル指揮者(※1)とオーケストラの関係は、時の経過とともに、不穏な空気をはらんだものにもなりかねないのだが、このように理想的な状態を保ちながら、100周年のシーズンを迎えられることは、決して当たり前ではない幸せだと思う。

ドイツ音楽だけでなく、フランスやロシアを含む広範なレパートリーを、ルイージと一緒に演奏してきた私たちだが、今までまだ手をつけていなかったジャンルがある。それがイタリア・オペラの演奏会形式である。
ルイージが、メトロポリタン歌劇場の首席指揮者や、チューリヒ歌劇場の音楽総監督を歴任した、世界トップ・レヴェルのオペラ指揮者であり、しかもジェノヴァ生まれの生粋のイタリア人であることを考えると、これを抜きに任期が終わってしまうのは、あまりに勿体ない。いつかチャンスを、と思っていただけに、サントリーホール開館40周年の記念事業に誘っていただけたのは、願ってもない話であった。

※1 タイトル指揮者…首席指揮者や常任指揮者など、各オーケストラにおいて楽団の音楽的な中心となる指揮者。

写真提供:NHK交響楽団
ファビオ・ルイージとNHK交響楽団の最近の共演より
写真提供:NHK交響楽団
2001年7月の共演時より

ドイツ音楽のイメージが強いN響だが、1950~70年代に来日した、伝説のイタリア歌劇団と共演した歴史もある。比較的最近では、分厚いスコアをことごとく暗譜していた博覧強記のマエストロ、ネルロ・サンティとの、濃密なイタリア・オペラ体験も忘れられない。今回のプロジェクトが、埋もれていたN響のDNAを呼び覚ましてくれることを期待したい。

演奏会形式である以上、当たり前の話だが、舞台上のセットや、歌手の演技は伴わない。それを物足りないと思う人もいるだろうが、逆に音楽そのものに没頭できるというメリットがあることも、オペラ好きなら知っている。
ただし、それは演目にも拠るだろう。サウンドトラックの域を出ない音楽だと、演出なしのステージは退屈に違いないし、たとえ音楽が雄弁でも、プロットが複雑すぎたり、登場人物が多過ぎたりすると、ストーリーを追いかけるのが難しい。
そう考えると、「トスカ」ほど演奏会形式に向いたオペラは、それほど多くないのではないか。数ある名作の中から、ルイージがこれを選んだのも、まさにそのような理由からである。

写真提供:NHK交響楽団
ネルロ・サンティ
写真提供:NHK交響楽団
ネルロ・サンティ指揮/オペラ「シモン・ボッカネグラ」演奏会形式(2013年11月)

舞台は19世紀初頭のローマ。画家のカヴァラドッシは、友人である逃亡中の政治犯、アンジェロッティをかくまったために、警視総監スカルピアに拘束される。歌姫トスカは、恋人のカヴァラドッシを救うために奔走するが、冷酷なスカルピアは、トスカの思いにつけこみ、彼女に究極の選択を迫る――。
物語は常に緊迫感をはらみながら、劇的な幕切れに向かって進んでいくのだが、大半のシーンは2人もしくは3人の掛け合いで構成される。第1幕の終わりに現れるコーラスも、新たな展開を導き出すわけではなく、全体としては静的なイメージが支配的だ。ストーリーを見失う心配は不要であろう。
一方でこのオペラは、トスカが歌うあまりにも有名な「歌に生き、愛に生き」をはじめ、カヴァラドッシの「妙なる調和」や「星はきらめき」など、美しいアリアに事欠かない。
「登場人物の内面に何が起きているかを、視覚的にではなく、音楽そのものを通じて感じ取ってほしい」と、マエストロは語る。

アドルフ・ホーヘンシュタインによる挿絵(1899年)

歌手を選ぶにあたり、ルイージが最も重視したのは、「イタリアのスタイルに精通していること」であった。
その点、エレーナ・スティッキーナは、ロシア出身ながら、理想のトスカと言ってよいだろう。強靭な声と歌唱力に加え、イタリア語の自然な発音も会得している。彼女はこの役によってメトロポリタン歌劇場でブレイクした後、ウィーンやミラノ、パリなどでも、立て続けに成功を収めた。歌い込むにつれ、単にロマンティックな作品という認識から、このオペラの“病んだ主人公たち“に視点が向くようになったという。極限状況に追い込まれた女性の心理を、エレーナがどう表現するのか、注目したい。
リッカルド・マッシは、代表的なスピント・テノールで、カヴァラドッシは彼の当たり役。バイエルン国立歌劇場やベルリン・ドイツ・オペラをはじめ、各地の音楽祭でも、カヴァラドッシを繰り返し演じている。
ファルスタッフ役で名高いアンブロジオ・マエストリは、数年前からスカルピアにも本格的に取り組み始めた。2023年のボローニャ歌劇場来日公演をご記憶の方も多いだろう。明瞭なディクション(※2)と輝きのある声質で、一味違った悪役の魅力を提示してくれるはずだ。
アンジェロッティの妻屋秀和と、教会の番人を演じる井出壮志朗、スポレッタ(スカルピアの副官)の糸賀修平も、オーディションによってルイージ自身が選出した。

サントリーホールとN響の記念イヤーを彩る、とっておきの公演を、多くの方に楽しんでいただきたい。

※2 ディクション:歌唱における言葉の発音の明瞭さのこと。オペラでは、歌詞の内容やニュアンスを伝えるうえで重要な要素となる。

エレーナ・スティッキーナ、リッカルド・マッシ、アンブロジオ・マエストリ
妻屋秀和、井出壮志朗、糸賀修平

N響100周年&サントリーホール40周年
ファビオ・ルイージ指揮 プッチーニ:オペラ『トスカ』(演奏会形式)

【日時】2026年10月10日(土) 16:00開演(15:20開場)、12日(月・祝) 16:00開演(15:20開場)

【会場】大ホール

【曲目】
プッチーニ:オペラ『トスカ』(演奏会形式)
全3幕(イタリア語上演/日本語字幕付)

【出演】
指揮:ファビオ・ルイージ
トスカ:エレーナ・スティッキーナ(ソプラノ)
カヴァラドッシ:リッカルド・マッシ(テノール)
スカルピア男爵:アンブロジオ・マエストリ(バリトン)
アンジェロッティ:妻屋秀和(バス)
教会の番人:井出壮志朗(バリトン)
スポレッタ:糸賀修平(テノール)
シャルローネ:藪内俊弥(バリトン)
看守:畠山茂(バス・バリトン)
合唱:東京オペラシンガーズ(合唱指揮:仲田淳也)
児童合唱:NHK東京児童合唱団
NHK交響楽団

※チラシPDFはページ下部からご覧いただけます。

ファビオ・ルイージ(指揮)プロフィール

イタリア・ジェノヴァ出身。現在、NHK交響楽団首席指揮者、ダラス交響楽団音楽監督、デンマーク国立交響楽団(DNSO)首席指揮者。イタリアのプーリア州マルティナ・フランカで行われるヴァッレ・ディートリア音楽祭音楽監督、トリノのRAI国立交響楽団の名誉指揮者も務めている。
これまでに、チューリヒ歌劇場音楽総監督、メトロポリタン歌劇場首席指揮者、ウィーン交響楽団首席指揮者、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団および同歌劇場音楽総監督、MDR交響楽団プリンシパル・コンダクターおよびチーフ・コンダクター、スイス・ロマンド管弦楽団芸術監督、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団首席指揮者、グラーツ交響楽団芸術監督などを歴任。また、フィラデルフィア管弦楽団、クリーヴランド交響楽団、ミュンヘン・フィル、ミラノ・スカラ座管弦楽団、ロンドン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団などに定期的に客演するほか、バイエルン州立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、パリ・オペラ座、スカラ座、ザルツブルク音楽祭、ウィーン国立歌劇場などでもオペラ上演を指揮している。
最近の録音ではデンマーク国立交響楽団とのドイツ・グラモフォンによる『ニールセン交響曲全集』が2023年の最優秀オーケストラ録音としてライムライト賞およびアッビアーティ賞を受賞し、交響曲第4番・第5番の録音は、グラモフォン誌の年間最優秀録音に選ばれた。メトロポリタン歌劇場との『ジークフリート』『神々の黄昏』の録音ではグラミー賞も受賞。
ウィーン交響楽団より「ブルックナー・リング」を授与されたほか、イタリア共和国功労勲章「カヴァリエーレ」およびイタリア連帯の星勲章「コメンダトーレ」を受章。

NHK交響楽団 プロフィール

1926年10月に新交響楽団の名称で結成。1951年には日本放送協会(NHK)の支援を受けることとなり、NHK交響楽団と改称。以来、今日に至るまで世界一流の指揮者・ソリストたちと共演し、歴史的名演を残してきた。2026年10月に創立100年を迎える。2013年のザルツブルク音楽祭に出演するなど世界最高峰の舞台でも活躍し、2025年5月には「マーラー・フェスティバル」(アムステルダム・コンセルトヘボウ)などへの招待に合わせ、ヨーロッパでツアーを行った。現在、年間54回の定期公演をはじめ、全国各地で約120回のコンサートを行い、その演奏は、NHKの放送や公式YouTubeチャンネルなどを通じて全世界にも紹介されている。また社会貢献として、被災地や病院に安らぎと元気を届ける室内楽コンサートなど、多彩な活動を行っている。指揮者陣には、首席指揮者ファビオ・ルイージ、名誉音楽監督シャルル・デュトワ、桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット、桂冠指揮者ウラディーミル・アシュケナージ、名誉指揮者パーヴォ・ヤルヴィ、正指揮者 尾高忠明、下野竜也を擁している。

写真提供:NHK交響楽団
マーラー・フェスティバル出演公演より(2025年5月)
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