サントリーホール オペラ・アカデミー修了コンサートが
聴き逃せないこれだけの理由
~3人のアカデミー生が語った「ここでしか得られないもの」
彼らの演奏が心地よい理由
5月29日夜、麻布台ヒルズ内のBMWのブランド・ストアで、サントリーホール オペラ・アカデミーで学ぶ若い演奏家たちのコンサートがあった。ソプラノの山元三奈、テノールの谷島晟、ピアノの齊藤真優。一言でいえば、聴いていて心地よいコンサートだった。
まだ学びの途上にある2人の歌手だが、よい方向に進んでいる。発声も、フレージングも、言葉の活かし方も、理想の歌唱に向かう道筋から外れていない。ピアノもそこに理想的に寄り添っている。
音楽にかぎらず、いや、芸術にかぎらず、ある分野でオリジナリティを発揮するには、最初に定型をしっかり身につける必要がある。オペラも同じだが、現実には、定型が身につく前に癖がつき、我流に陥ってしまう演奏家は少なくない。
だが、サントリーホール オペラ・アカデミーで学んだ若者は違う。私はアカデミー生たちの演奏を長年、聴いているが、彼らの演奏は鍛えられて身についた定型が土台になっているから、安心して聴いていられる。また、聴きながら将来への期待がふくらむ。事実、内外のオペラ・シーンで活躍する修了生は多く、彼らの演奏も心地よい点で共通している。
この「心地よさ」の由来をひもとくために、冒頭で述べたコンサートの終了後、このアカデミーでの学びについて3人に聞いた。
「正しいことがどんどんインプットされる」
3人は、どうしてこのアカデミーで学ぶ道を選んだのだろうか。まず谷島に尋ねた。3人とも、エグゼクティブ・ファカルティである往年の名テノール、ジュゼッペ・サッバティーニのことを、親しみを込めて「サバ先生」と呼ぶのが印象的だ。
「大学卒業後、ステップアップのために大学の外で学ぼうと思ったとき、アカデミーの存在を知って受験しました。サバ先生の指導で、イタリア人ならではの感情の出し方なども教えてもらえそうだと思ったら、実際、その通りでした。先生は厳しいけど、僕は温い環境にいたくないので、その点でも自分に合っていました」
その環境で学び、いまどんな感想をいだいているのか。
「アカデミーをプリマヴェーラ・コースからアドバンスト・コースまで修了すれば、海外に進出する自信になる一方、修了できなければ、海外に渡っても売れる歌手になれないと感じています。だから、くじけたくないです。イタリアに行くなら、ここで下地を作ってからにしたい。でも、少しずつ下地が作れている実感はあります。ここでは正しいことがどんどんインプットされ、どうしていままで知らなかったのか、と思うことが多いです。イタリア語も通訳なしでレッスンを受けられるレベルになり、そういう点でも海外に行くときの自信になります」
続いて、山元に同じことを聞いた。
「私は大学卒業後、二期会オペラ研修所の本科に所属して、その途中からこのアカデミーにもお世話になりました。大学では発声や音楽の作り方を、ちゃんと勉強できなかったという思いがあったところに、このアカデミーではそういう勉強ができると聞いたのです。実際、いまの自分に足りないことをサバ先生は明確に教えてくれて、この2年間、自分にすごく向き合えました。過去の自分の動画や録音とくらべても、いまのほうがよくなっていて、ここで学べて本当によかったです」
学びのスタイルもよかったという。
「大学時代は個人レッスンしか受けず、自分とだけ向き合っていましたが、ここではほかのアカデミー生の歌を聴きながら、『自分だったらこうするな』とか、『自分はここができていないから真似しよう』などと考えることができ、歌と自分の声に向き合えました。とくに発声をきちんと教えてもらえる環境がよかったです」
日本で身に着く本場の感覚
ピアニストの齊藤は、なぜオペラ・アカデミーで学ぶ道を選んだのだろう。
「たしか『コレペティ』と検索にかけたら、最初に出てきたのがこのアカデミーだったのです。ヴォーカルスコアのピアノのパートって、オーケストラのリダクションですが、私はそれをそのまま弾くのではなく、音を足してより原曲に近い演奏にするのが好きです。そんな勉強もできるのかな、と考えました。大学は卒業していましたが、あらためて、しかも無料で学べるのは魅力で、歌手と一緒に勉強できることにも興味を惹かれました」
実際、入ってみてどうだったのか。
「(コーチング・ファカルティの)古藤田みゆきさんは、音へのアプローチに妥協がなく、一つひとつの音への愛もすばらしく、それを隣で見て、実際に指導もしていただき、『こう考えたらいいんだ』『こういうアプローチがあるんだ』『こんな息遣いがあるんだ』ということを学べました。ピアニストはソロの勉強はしても、伴奏者としての勉強はあまりしないので、それができたのは貴重でした。また、ほかのピアニストの伴奏を聴いて、『自分にはこういう音は出せないけど、どう弾いているんだろう』などと考えながら勉強できたのも、意味がありました」
歌手出身のサッバティーニから学ぶことも大きかったという。
「イタリア人がイタリア人の感覚を伝えてくれる。日本ではここ以外には難しいと思います。活きたイタリア語を聴いて、イントネーションや音のつながりまで勉強できたのは、歌手ではない私にも、とても貴重なことでした。それを知ることはピアノ伴奏にとっても絶対に大事です。たとえば、『ピアーチェ』という語を『ピア・チェ』と弾いたらダメ。そういうことを学べる場所です」
言葉がどうつながるか。それは意味を、ひいては音楽の流れを左右する。山元もこのアカデミーで、そのことの大切さを教えられたという。
「恥ずかしいのですが、以前は旋律を歌うのに必死で、歌っている内容をどう伝えればいいのか、教えてくれる先生もなく、わかりませんでした。ここに入ってからは、イタリア人の先生から直接、意味をどうとらえればいいか聞くことができ、曲への向き合い方がすごく変わったと実感します。なんとなく流していた言葉も、相応しい色づけをすべきだと知って、まだまだですが、そういう演奏をしたいと思えるようになりました。このような、日本で勉強していても得にくいものが習得できています。ゆくゆくは海外のコンクールも受けたいし、海外の舞台でも歌ってみたいという思いはあります」
定型に加えられる自分らしさ
谷島も、言葉への感覚が深まったと強調する。
「一つひとつの歌詞に意味を持たせて歌うことは、以前から意識していたとはいえ、たとえば、比喩表現の裏の意味など理解できませんでした。ここでは、そういう意味を深く掘り下げて理解できました。サバ先生は曲の解説もすごく詳しく、言葉の裏にどういう意味があるのか理解させてくれます。ただ、気持ちを乗せて歌う前に、サバ先生が求める技術の壁があって、まずはそこに届くようになりたいですね。1回だけ、言葉の意味をわかって技術も乗り越えて、すべてが合体したことがありました。2022年7月のコンサートで歌った『カーロ・ミオ・ベン(いとしい女よ)』です。ゲネプロで技術的にしっかり歌え、さらに本番で気持ちを乗せられ、客席と一体化した感覚が得られました。一流の歌手になるにはこうしたことが必要なんだな、と実感しました」
さて、7月12日には、彼らの学びの成果が披露される「サントリーホール オペラ・アカデミー修了コンサート」が行われる。そこで彼らは、どんな演奏を聴かせてくれるのだろうか。谷島は目標をこう語る。
「4曲も歌う予定で、アクート(鋭い高音)もあるので大変です。でも、技術面をクリアし、歌詞の意味までしっかり考え、ピアノ伴奏とも会場の空気とも一体化し、納得がいく演奏ができたとき、音楽をしていると実感できるので、全曲がそこまでたどり着けたらいいな、と思っています」
山元は、去年のコンサートの反省を口にする。
「去年の7月、私には初のアカデミー・コンサートだったこともあって、とても緊張してしまいました。求められることをやらなければ、というプレッシャーが重く、教わったことを出し切れませんでした。終了後に後悔があっただけに、次のコンサートでは楽しんで音楽をしたい、という気持ちが強いです。そこにサバ先生から教わったことを加えてお届けできたら、と思います」
ピアノの齊藤も、これまでプレッシャーが大きかったそうだ。
「『これが正しい』『こうやるんだ』といわれると、応えたいと思ってプレッシャーになるので、私は最近、自分の音楽をやりながら、そこに先生の方法を取り入れる、と考えるようにしています。歌手たちも『こうしなければ』という気持ちが強すぎると、楽しめず、音楽にならなくなることがあります。だから、『これで合っていますか?』と先生に尋ねるような下手に出る演奏ではなく、教わったことはしっかり消化しながら、私たちの演奏がのびのびとできたら、と思っています」
むろん、身につけた定型を土台に、自分の音楽を築いてほしいというのが、サッバティーニをはじめとするファカルティたちの願いである。プリマヴェーラ・コースを2期続けている齊藤の成長が頼もしい。谷島の以下の言葉も、同じことの表裏だと思う。
「僕はサバ先生とは音楽性が合うところが多いので、わりとすぐ吸収できます。でも、コンサートでは、正しいことをしながら、やりたいこともやります。決めのアクートは、先生が伸ばしすぎだといっても、僕は伸ばします」
チャレンジの結果、「サバ先生」が納得すればいいのである。定型が身についたアカデミー生たちは、そこにこうして自分らしさを重ねていく。そんな前途が楽しみで仕方ない若者たちの演奏が、7月12日に思いきり味わえる。