サントリーホール サマーフェスティバル 2024
テーマ作曲家 フィリップ・マヌリ
サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ No. 46 (監修:細川俊夫)
新しい響きの地平を求めて
フランスの作曲家フィリップ・マヌリ、そしてオーケストラの未来への大胆なアイディアについて
「私がもっとも関心をもっている媒体は、大規模なオーケストラとエレクトロニクスです。後者は私にとってある意味では新しいオーケストラなのです。大規模なオーケストラには数多くの発生源があり、こうした声の複数性が好きなのです。オーケストラ作品を書くのはチェスのゲームみたいなものです。すなわち、すべてのルールを知っていても組み合わせは無限大なのです」*
フランスの音楽はつねに色彩やテクスチャーに重きを置いてきた。フィリップ・マヌリの作品も例外ではなく、彼は響きの幅をつねに拡大しつづけている。主としてオーケストラ音楽の作曲家であるが、伝統に縛られることはなく、オーケストラという形態を再創造し、現代のコンサートホールの音響が提供する新しい可能性を追求している。また彼は電子音楽のパイオニアでもあり、電子的な響きと伝統的な楽器を組み合わせている。これもまた新しい響きの地平へとつながり、オーケストラ音楽および室内楽を鮮やかな新しい世界へと導く。

リアルタイムのコンピュータによる音響処理によって電子音楽はライブ演奏の場においてアクティブな役割を果たせるようになり、マヌリはそのアプローチを生涯追求してきた。1981年より彼はブーレーズ率いるパリの電子音楽スタジオ、IRCAMに勤務、そこで数学者ミラー・パケットと協働でMax——音楽演奏の一環としてコンピュータが楽器とインタラクトできるようにするプログラム——を開発した。
当初、彼はこうしたコンピュータによる音響処理 electronic transformationsを独奏楽器や小さなアンサンブル作品において行った。たとえばフルートとライブエレクトロニクスのための『ジュピター』(1987、1992改訂)、ピアノとライブエレクトロニクスのための『プルトン』(1988、1989改訂)、3人の打楽器奏者とライブエレクトロニクスのための『ネプチューン』(1991)などである。1990年代以降はより大規模な作品に取り組むようになり、エレクトロニクスを使っていない時も、ライブエレクトロニクス computer manipulationの影響は続いていた。ピアノと17の楽器のための『東京のパッサカリア』(1994)では、ヴィルトゥオーゾ的な独奏ピアノ・パートを、アンサンブルの中の楽器を繊細に組み合わせることによって補完する——他の作品でエレクトロニクスが果たした響きの層のように。『東京のパッサカリア」は、『プルトン』の初演も行ったピアニストの野平一郎のために書かれた。アリオン音楽財団の委嘱により〈東京の夏〉音楽祭で初演された作品で、マヌリの日本との長く実りの多い関係を築くきっかけとなった。
1990年代を通じてマヌリの作品の規模はさらに大きくなり、1996年以降、5作のオペラを作曲している。いちばん新しいオペラ『光のない。』(2017)は福島の原発事故を題材にしている。その一方で小編成のアンサンブル作品にも回帰しており、8月27日のコンサートでは近年作曲された室内楽作品が演奏される。『六重奏の仮説』(2011)は、室内楽とは奏者同士の密なコラボレーションであるべき、という前提——「仮説」——に疑問を投げかける。タイトルは彼が日本を訪れたときにたまたま出会ったキュレーターたちが直前に「水晶の仮説(The Crystal Hypothesis)」という展覧会を開催したと聞いたことから着想された。ここではアンサンブルのコラボレーションが「仮説」として扱われる。すなわち個々の奏者はしばしばグループとしてのまとまりからひとりで脱線していく。『イッルド・エティアム』(2012)はソプラノとリアルタイム・エレクトロニクスのための作品である。イングマール・ベルイマンの映画『第七の封印』から着想を得ており、中世の魔女狩りが言及される。この凝縮されたドラマにおいてソプラノは魔女の役も審問官の役も担い、マヌリのオペラの経験が活かされている。アルディッティ弦楽四重奏団からの委嘱で作曲された『弦楽四重奏曲第4番』(2015)もまた、室内楽の慣習に挑む。音楽形式への伝統的なアプローチを取らず、副題「フラグメンティ」からも明らかなようにエピソード的であり、11のセクションはそれぞれ単一のアイディアを提示し(そのいくつかはマヌリの過去の作品から採られている)、セクション相互のインタラクションは最小限にとどまる。『六重奏の仮説』と同様に、各声部はばらばらに動くことが多く、音楽は同時に別の方向に進んでいるかのように聴こえる。
ピアノとライブエレクトロニクスのための『ウェルプリペアド・ピアノ(第3ソナタ...)』はダニエル・バレンボイムの委嘱によって作曲され、彼自身が2021年に初演を行った。本作ではマヌリは鍵盤とエレクトロニクスの関係性を、バッハの時代の対位法と音律の関係性の現代版とみなしている。バッハが当時の新しい音律システムを取り入れ、遠隔調のあいだを自由に行き来できるようになったのと同様に、マヌリは電子的操作を用いることで、ピアノを新しい、これまでに聴いたことのないような響きの世界へと導く。バッハとのつながりは、自由なファンタジーに厳格なフィナーレが続くという作品構成——すなわち前奏曲とフーガ——においても示される。他方、電子音はピアノのテクスチュアを模倣し、多層的に重ねることで、音の群れ(flocking)とよばれる聴感覚を作り出す。ピアニストは音の群れのリーダーとなり、それが奏者と聴衆を取り囲む。

8月23日のオーケストラ・コンサートは、現代の音楽文化におけるマヌリの位置づけについてより広い観点から明らかにするものとなろう。彼は、ピエール・ブーレーズおよびフランチェスカ・ヴェルネッリという、自分の前の世代と後の世代の作曲家をひとりずつ選んだ。ヴェルネッリ(1979年生まれ)はイタリアの作曲家で、マヌリと同様、IRCAMと関係の深い作曲家である。彼女を選んだ理由として、そのオリジナリティ、芸術的な独立心、そして独自の音世界を挙げる。「彼女は〈探求する作曲家〉であり、その点で自分に近しく感じる」とマヌリは話す。ブーレーズもマヌリにとって近しい存在で、それは彼が若い頃にIRCAMにいた頃にさかのぼる。ブーレーズは20世紀のフランス音楽においてきわめて重要な人物であり、フランス・ロマン主義的な伝統と同時に、戦後のモダニズムとも結びついていた。マヌリはブーレーズを友人としてあたたかく回想する。「とても陽気でありながら真面目な人で、自由さと厳しさが混在していて、私自身はそれを心地よく感じました」。マヌリの主要作品である『響きと怒り』(1998-99)と「若い芸術家の肖像」(2005)は、それぞれブーレーズの75歳と80歳の記念に作曲された。
プログラムではドビュッシーにも重点が置かれるが、それはマヌリがドビュッシーの影響——とりわけオーケストラへのアプローチにおいて——を強く認識していることの表れだ。「ドビュッシー以前はオーケストレーションというのは階層的で、弦楽器が支配的であり、管楽器や打楽器は従属的な役割しか果たしていなかったのです」と彼は話す。でもドビュッシーの音楽では、アイディアはどの楽器属からでも現れ、いかなる色彩や組み合わせとも結びつけることが可能になった。こうした解放されたオーケストラの音色の感覚が、マヌリによるドビュッシーのピアノ曲『夢』のオーケストラ編曲のもとになっている。ドビュッシーつながりでいえば、マヌリは指揮者フランソワ=グザヴィエ・ロトからも個人的な影響を受けてきた。ロトはとりわけピリオド楽器を用いたロマン派の音楽を得意とするが、現代の音楽も積極的に指揮してきており、とくにマヌリの音楽を多く取り上げている。バレンボイムに『ウェルプリペアド・ピアノ(第3ソナタ...)』の委嘱を勧めたのもロトであった。
ロトとのもっとも重要なコラボレーションは、「ケルン三部作」とよばれる大規模作品のシリーズ——オーケストラ曲『リング』(2016)、『その場で(イン・シトゥ)』(2017再演)、そしてミュージック・シアター作品『Lab.Oratorium』(2019)——である。この三部作はドビュッシーのレガシーを礎に構想された。すなわち、「現代のコンサートホール設計の進歩によって、ドビュッシーが始めた革新的なオーケストラの響きの探求をさらに突き詰めていくことができるのです」と彼は語る。それを実現すべく、彼は各作品において舞台のレイアウトを変える。『リング』ではモーツァルトを弾くときの大きさのオーケストラがステージに置かれ、ほかにいくつものグループがホールのあちこちに散らばっている。『その場で(イン・シトゥ)』ではその構想をさらに突き詰め、オーケストラ全体を客席のまわりに配置し、奏者たちは会場の平面図に描かれた幾何学的な形の角に配置される。
「ケルン三部作」が、同市のフィルハーモニー・コンサートホールがもたらす可能性を利用したのと同様に、8月23日に世界初演される彼の最新作《プレザンス》もサントリーホールというすばらしい演奏空間を活用した作品である。「2つの音楽家たちのグループがオーケストラの中から出てきて、そこから離れる過程で独立していく。それは、私たちの目(そして耳)の前で絶えず変化し、未来への不安を残す現在の隠喩である」とマヌリは語る。
マヌリの手にかかれば、オーケストラの未来は、予測不可能とはいえ、明るいように思える。ドビュッシーやブーレーズといった過去の声は引き続き彼に影響を与えるだろうが、古くからの決まりごとはさらに問われることになるだろう。《プレザンス》では、歴史や伝統よりも音響的な可能性に導かれた、オーケストラの新しい未来を垣間見ることができるだろう。「二世紀以上、私たちは同じオーケストラのために作曲してきました——同じ配置、同じ構成、同じ楽器属、同じヒエラルキー。私はそうしたことを変革し、オーケストラを異なる視点から見ることが可能であることを示したいのです」
ギャヴィン・ディクソン
音楽ライター、ジャーナリスト、英国『グラモフォン』誌のレビュー担当編集者。アルフレート・シュニトケの交響曲に関する論文で博士号を取得、シュニトケ全集の編集チームのメンバーを務める。2022年に出版された『The Routledge Handbook to the Music of Alfred Schnittke』の著者。アルト、BIS、ノーザン・フラワーズ、SOMM、ソノ・ルミナスなどのレーベルのためにライナーノーツを執筆。ジャーナリストとしては、『グラモフォン』、『オペラ』、『テンポ』、『クラシック・ミュージック』、『ライムライト』など幅広い音楽媒体に寄稿している。
日本語訳:後藤菜穂子