『S i n R a』ジャワ・ガムランと声のために(2023)[世界初演]
プログラム・ノート
Ⅰ.水 −Jala
Ⅱ.風 −Vayu
Ⅲ.地 −Prithvi
<背景>
私は幼少期より音楽に魅せられ、特に演奏することより創造することが好きだったので、作曲の道を志しました。大学ではいわゆる西洋音楽の作曲法を学び、楽譜を使って主に西洋楽器のための作品を作ってきましたが、大学院進学を考えていた年のサントリーサマーフェスティバル、芥川作曲賞本選会で三輪眞弘氏の曲を聴き、その魔力に引き込まれるような音楽の力に魅せられ、IAMAS進学を決意しました。しかし入学してみると、先端テクノロジーアートの世界、日々プログラミングや電子工作の課題の嵐で、何の素養も無い私には全くついていけず、またそういったテクノロジーの表現がどうにも肌に合わない印象もありました。スピーカーから流れてくる無機質な電子音のコンサートを見て、舞台に表現する身体がないことにとても違和感があり、私はやはり人間の身体を通して生まれる有機的な響きが好きだと言うことも改めて気づかされたのです。また、これまで音楽と捉えていたものから大きく幅が広がった中、自分が表現したい音楽は何なのか、そもそも音楽とは何なのか、全く分からなくなってしまいました。
そこで私は音楽の生まれた起源をたどってみることにしたのですが、その結果出会ったのが世界中の民族音楽でした。そこには楽譜なんて存在せず、人から人へ伝えられ、毎回変化していく“生きた音楽”がありました。また、専門家と聴衆という分け方もなく、誰もが参加できるもので、そんな境界線がない音楽はとても魅力的で、私はこれこそ本物の音楽だ!と確信しました。そこで私は、これまで培った西洋音楽の表現も離れ、より生きた音楽を生み出せる作曲法を目指すことにしました。そして、楽譜を使わず、呼吸など人間の身体が持つ有機的なリズムをもとにしたシンプルなルールで音を紡ぎ出していく、独自の表現法にたどり着いたのです。その表現法を実践しているのが「つむぎね」という音楽パフォーマンスグループです。そして特に「声」という、誰もが持つ唯一無二の楽器に強く興味を持ち、その多様な表現を活かした作品作りに挑戦してきました。また、老若男女、誰もが身一つで参加でき、生まれ持った自然な声をそのまま生かして共に音を重ねるワークショップ活動を数多く実践してきました。その活動は小学校や大学、特別支援学校、社会福祉施設の人々、さらに日本だけでなくアメリカ、インド、東南アジア諸国など様々な国でも実践し、コロナ禍にはオンラインでの実践にも挑戦しました。
そういった活動を通して日々実感することは、音楽は「コミュニケーションツール」そのものであると言うことです。ワークショップで初めて出会った人同士、始めはぎこちないやりとりでも、ともに声を重ねるうちに、言葉よりもずっと深いコミュニケーションが取れたように、終わりにはもう昔からの友達みたいな何とも言えない一体感を感じられたりすることは、多く体験されました。また、人と人をつなぐだけでなく、時には自然界との調和のため、死者の弔いや神への祈りのため、というふうに、人間は長い年月、音楽を通して目に見えない存在とのコミュニケーションを図ろうとしてきたのです。音楽は人間社会において調和のために生み出された、偉大な“智慧”そのものだと感じます。そしてそれは現代社会においても不可欠なものであるはずです。しかし近年、音楽のそういった重要な役割が生かされる機会は少なくなってしまい、西洋音楽中心で商業ベースのものが主流となっています。現代において、社会をつなぐ役割を持った音楽を改めて目指したいというのが、私が音楽をする“意味”です。そして、今でも日常生活の中で、社会的役割をもって機能している音楽を見聞きしたいと、2018年に国際交流基金アジアフェローにて半年間東南アジア諸国を周りました。そこで改めて出会ったのがガムランだったのです。
ガムランは演奏を通して、他者を思いやる、感じあうという人間社会においてとても重要なことを自然と身につけられるメディアだと感じます。長年次世代へと継承されながら、演奏の技術を伝えるだけでなく、人としての生き方、他者や世界との接し方を伝える、教育的ツールでもあったのです。だから私は、道徳の授業で「人に優しくしなさい」とか、「相手の気持ちを考えて」などと言われるよりも、ガムランの演奏をしたほうがよっぽど自然に身体から体感できるのではないかと感じます。西洋音楽のように、楽譜というタイムラインに従って、指揮者という絶対的な存在に合わせて縦のラインを揃えるのではなく、それぞれが自由なグルーヴを持ちながら、太鼓の合図など、他者が出すサインを敏感に聴き合って反応し合い、おおらかな一体感を生み出していくあり方は、私が目指してきた理想の表現であり、同時に理想の社会を描いているようにも感じました。また、楽器を代わると聞こえる音は変わり、様々な楽器に交代していくことで多角的な世界の捉え方ができるのも魅力です。いつも自分中心の視点ではなく、様々な立場から世界を見てみる視点も身につけられるのです。さらに、スコアがないからこそ、その場で無限のアレンジができ、毎回一期一会に生まれる生きた表現が可能になるのですが、それは混沌とした予測不能な世界で、常にリアルタイムに判断して生き抜いていく術を身につけることにもつながるかもしれません。本作品では、ガムランのそういった特徴を生かしつつ、私自身も自分なりの表現で「コミュニケーション音楽」を目指してきたので、その2つを融合させた、新しい作品作りに挑戦してみたいと考えました。
<作品コンセプト>
この作品のタイトルである「S i n R a」とは、森羅万象を意味します。ガムランとは、万物を抽象化した象徴であると私は捉えており、この世の全て(宇宙)の円環構造を表していると感じます。生きとし生けるものの、生命の循環と自然界の巡りを作品化したいと考えた本作品では、仏教における、世界を構成する五大要素である「地・水・火・風・空」をテーマとし、その中から「水」「風」「地」の3つを楽曲化しました。よって将来的に「火」「空」も作品化することを目指します。
全ての楽曲を通して、・1・5・6・3・5.2.3・⑥という1つのバルンガン(骨格旋律)が一貫して使用され、このバルンガンだけで3つの楽曲が構成されています。また、それぞれを独立して演奏することも可能ですが、私の表現の特徴として、3曲というよりは3つのシーンと捉え、一連をつないで1つのパフォーマンスとなるように構成しています。よって、空間配置や身体表現など、舞台パフォーマンス的な要素を含み、より音楽の原点に近い表現、それは人々が長年営みの中で行ってきた祭りや儀礼の場にあった音楽と同じく、音楽と踊りや祈りが渾然一体とした、より自然な表現であると考えます。
1曲めは「水」、水の雫が落ち、波紋の響きあいやゆらぎが重なり合いながら一つの流れを生み、廻る様を描きます。2曲めは「風」、声とルバブによる旋律の糸がズレたり重なったり、絡まり合いながら響きを織りなしていきます。3曲めは「地」、大地から湧き上がる生命のエネルギーや、大地を踏み鳴らす生き物たちの命の鼓動や躍動感、そして祝祭や儀礼の様子を表現しています。
また、本作品はガムラン音楽が持つ特徴を極力生かしたいと努めました。相似形構造、「インバル」「コテカン」と呼ばれる他者と交互にやりとりするインターロッキングな表現、セレ※1に落ちる感覚、Irama※2の変化によるマクロとミクロの世界観や時空の伸び縮み、などといった独特の表現を生かしつつ、自身の作曲法との融合を試みました。特に、「コミュニケーション音楽」であるという、2つの共通項であり、ガムラン音楽最大の神髄である部分を大切にしたいと考えました。よって、楽譜ではなくルールベースでできており、他者とのやりとりで生み出される旋律やリズムは無限の組み合わせを持ち、また誰かの合図で流れが多様に変化する「生きた音楽」が生まれる構造になっています。それは、私はあくまでも演奏を通して互いに、そして世界と“深く響き合う”ことを最大の目的としているためです。そして、ガムラン音楽も、上述の特徴から、もともと同じ目的を持っていると感じます。音楽は、様々なものをつなぐ“メディア”そのものです。現代に失われつつある、音楽本来の役割であるメディエーション機能を持った表現を、先人が生み出してきたガムラン音楽から学び、新たな形で自分流に発展させていくことが、本作品の大きなテーマです。
西洋で発明された楽譜は本当によくできた便利なツールで、それによって音楽は大きく発展しました。しかし、そこからこぼれ落ちる表現は切り捨てられ、何より、効率化を重視した結果、お互いが向き合って音を重ねて作り上げていくという、音楽が持つ一番大切な「コミュニケーション」のための時間、他者と響き合う時間を大きく失ってしまった面もあります。また、最近ではコンピューターやAIの台頭で機械による表現が増え、またコロナ以降は人とリアルに集まって、生演奏することはますます希少な体験となってきています。もちろん多忙な現代社会において逆行する発想なのかもしれませんが、そんな現代だからこそ、失われてしまった一番大切な、他者と響き合う時間の尊さを、私は大切にしていきたいと考え、このような“楽譜のない”表現に取り組んでいます。そして、その活動は、私たちが目指したい、誰もが自分らしくありつつも、ゆるやかに他者と繋がり、皆が響きの大事な一要素として受け入れられるような未来の音楽のあり方、やさしい社会の実現に繋がるに違いないと私は信じています。これが、このコンサートで三輪氏や中川氏から提示された「未来の音楽や社会を考えるための集会(フォーラム)」という問いに対する、私なりの答えです。今回、マルガサリの皆さんとつむぎねのメンバーには、その実現に向けてとても好意的にご一緒いただけたこと、心から感謝したいと思います。本番までのかけがえのない時間を共有しながら、8月27日のサントリーホールに、今ここにしかない響きが生まれることをとても楽しみにしています。
※1 セレ:一連の旋律の終始音
※2 Irama:テンポの変化を音の密度で表現すること (用語解説:中川 真)