サントリースポーツの活動に込められた「想い」とその未来図を、様々な視点からロングインタビュー形式で掘り下げる<SPIRITS OF SUNTORY SPORTS>シリーズ。
第3弾は、サントリーサンバーズ大阪・西田寛基マネージャーと東京サントリーサンゴリアス・中靏隆彰副務兼リクルートの2人による、チームを越えたクロストークです。
サントリーの2つのチームスポーツであるバレーボールとラグビー。ほぼ同じタイミングでそれぞれのチームから現役を引退し、今シーズンからスタッフとしてのキャリアをスタートさせた二人。サントリーでは選手引退後にそのキャリアを活かしてスタッフとなる社員選手が多く、元トップアスリートの二人への期待も高まります。チームサポートに忙しい合間を縫って、リモートながらサンバーズ・西田マネージャーとサンゴリアス・中靏副務兼リクルートが初めて顔を合わせて、スタッフとしての夢を語り合いました。
《西田寛基》
1997年8月15日生まれ。幼少期より、兄が通っていた玉名ジュニアバレーボールクラブへお迎えに行く中でバレーボールに親しみ、小学2年生のときに競技を始める。小学6年生時には全国大会に出場。中学ではスパイカーへ転向し、熊本県選抜として都道府県対抗大会に出場。高校は熊本の名門・鎮西高校に進学。高校3年時の「春の高校バレー」では全国2位の成績を収めた。
その後、法政大学に進学。4年間2部リーグでプレーしたが、3年生の冬に栗原GMから声をかけられ、2020年にサントリーへ入社。入部後は5年間にわたり、セカンドセッターおよびリリーフサーバーとしてチームを支える役割を担った。好きな食べ物は焼肉。
《中靏隆彰》
1990年10月24日福岡県福岡市生まれ。10歳の時に玄海ジュニアラグビークラブでラグビーを始める。
西南学院中学ではラグビー部を作り、クラブチームと掛け持ちでプレー。その後、西南学院高校、早稲田大学でプレーし2013年にサントリーに入社。ポジションは右ウイング 2016-17、2017-18シーズン ラグビートップリーグ2連覇。2024-25シーズンをもって、現役引退し、現在は副務兼リクルートを務める。
5人家族の次男で、兄もリーグワン選手として活躍。好きな食べ物は馬刺し。趣味は魚釣り(小型船舶操縦免許1級)とキャンプ。
――おふたりは初対面なんですね
西田:はじめまして。今季の6月よりサントリーサンバーズ大阪のチームマネージャーを務めることになりました、西田と申します。よろしくお願いします。
中靏:よろしくお願いします。はじめまして。2024-25シーズンでラグビーを引退して9月から東京サントリーサンゴリアスの副務とリクルートを担当させていただくことになりました、中靏(なかづる)と申します。よろしくお願いします。
――お互いに自分はどんな選手だったか教えてください
西田:選手としてはポジションはセッターで、スターティングメンバーとしての起用はなかなかなかったんですけれども、セカンド・セッターとしてプレーしていました。ファースト・セッターは昨シーズンまで在籍していた大宅(真樹)選手で、大宅選手が何か不調であったり、怪我が起きた時や、何かチームで上手く回っていない時などに、私がコートの中に入って、チームの軌道修正の役割を担わせていただいておりました。
セッターだけでなく、ピンチサーバー、リリーフサーバーというポジションも務めていたので、後半のチームが苦しい状況の時にコートインして、チームを盛り上げたりする役割を担ってました。私は結構、緊張しいだったんですけれど、緊張しいだからこそ「自分なら絶対に行ける」とか、そういうポジティブな言葉がけをして、「やってやるぞ」という意気込みでコートインしていました。
中靏:西田さんみたいなカッコいい役割はなくて、私は走るウイングというポジションをやっていました。走ってトライを取ることが仕事です。今の選手たちはキックも出来てパスも出来て、身長も高くて何でも出来る選手がどんどん多くなっているんですけれど、僕はひとつのポジションしか出来なくて、パスもキックもぜんぜん得意じゃなかったので、走ることだけに特化してトレーニングをして、自分の強みだけで勝負してきたウイングでした。
子どもの頃はあまり足も速くなくて、身体も小さくて、子どもの頃はそこまでラグビーは好きじゃありませんでした。だんだん身長も大きくなって、足が速くなっていって、そこからラグビーも好きになっていきました。そこから走ることで勝負していきました。身長が伸び始めた中学3年くらいですが、結局は177cmくらいまでしか伸びなかったんですけれど(笑)。
――西田さんは身長が180cmありますが、いつ頃から伸びたんですか?
西田:中学校の3年間ですね。中学に入学した時は150cmしかなかったんですけれど、その3年間で30cm弱くらい伸びました。その頃は、なんならもっと伸びてくれという感じでした(笑)。
――それぞれの分野でトップ選手として活躍されましたけれど、その競技人生の中でいちばんの思い出は何ですか?
西田:大宅選手が日本代表活動に選ばれて、セッターが私ひとりしかいない状況で、黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会に挑むことがありました。その黒鷲旗は5月のゴールデンウィークに行われるんですが、だいだい1ヶ月前くらいにリーグ戦が終了して、そのシーズンはリーグも制覇して、大宅選手がMVPを取り、ベストセッターに選ばれて、とても輝かしい成績を収められていました。
そんな中、あまりリーグ戦で出場機会がなかった私に、突如黒鷲旗で出番が回ってきまして、私ひとりでやらなければいけない状況でした。そのシーズンの初めに、私はイップスになりまして、セッターとしてトスが上げられないくらいメンタル的にキツい状況でした。
――イップスは初めてでしたか?
西田:初めてです。イップスになって非常に苦しいシーズンで、シーズンが終わってリーグ優勝して、黒鷲旗は私しかいない状況で、その中でイップスを断ち切って優勝することが出来たので、その思いでは非常に印象深いですね。大ピンチの中で優勝できたので、本当に達成感がありました。
――あらゆる責任を背負って、どのような心の持って行き方をしたんですか?
西田:やっぱり開き直るじゃないですけれど、イップスなどもあり、本当に苦しいシーズンで、逆にイップスがあったからこそ開き直れたと言いますか。マイナスなことを考えても生産性がないですし、「シンプルにやり切る」というマインドセットを行って、上手く乗り切ることが出来ました。
――イップスになった理由は何ですか?
西田:無意識のうちに自分にプレッシャーをかけていたんだと思います。「しっかりしなければ」という思いから、アンコンシャスバイアスを自身にかけてしまっている状態でした。
――中靏さんもそういう時がありましたか?
中靏:僕がゾーンに入った時と似ていると思っていて、それまでは自分にとてもプレッシャーをかけるタイプだったのが、大事な試合で開き直って「楽しんでやるしかない」というマインドでやったら、とても良いプレーが出来て、自分の中で分岐点になった試合がありました。その境遇とよく似ていると思いました。
私はコナー・マクレガーという有名な格闘家のドキュメンタリーを見て、その人が試合当日に楽しそうにしている姿がとても印象的で、「自分も好きでラグビーをやっているんだし、試合当日はどうせなら楽しもう」というマインドになりました。その試合はワールドカップ後で超満員の試合でしたが、良いプレーがたくさん出来たということがありました。
――西田さんは自分で気持ちを整えたんですか?
西田:そうですね。メンタルトレーニングは行っていました。イップスを機にメンタルトレーニングを行うようになって、ポジティブシンキングを実践したり、そもそものマインドセットについて、どういう脳への信号でネガティブな感情になっているかということを脳科学から学ばせていただきました。
――もともとポジティブというよりは、変わった時があったんですか?
西田:私はもともとそんなにポジティブな性格ではないので、自分に足りない部分がメンタル的な部分であったからこそ、メンタルトレーニングが必要だと思いました。
中靏:私はネガティブではないんですけれど、ラグビーに対する準備は、あれもこれもやりたいという感じですが、サンゴリアスに入って、初優勝した試合がいちばんの思い出です。私が入る前も連覇をしていて、チームにいれば優勝が経験できるだろうと思っていたんですけれど、4年目のその時まで優勝は経験できませんでした。その年に優勝できたということもありますし、チームに貢献できた実感もあったので、とても印象に残っています。
――優勝を決める試合に出て活躍したんですよね?
中靏:そうですね。そのシーズンの開幕戦の時にはノンメンバーでしたし、そのシーズンが始まる頃には、そんな終わり方になるとは想像できていませんでした。監督とミーティングをしても、「同じポジションの選手の中で4番手だから試合には出さないよ」と言われて、「今シーズンは絶対に出られないじゃん」って思いました(笑)。ウイングは2番手までしか出られませんし、私は他の選手みたいに2つ3つのポジションが出来るわけではないので、控えメンバーに私を入れてもメリットがないんです。
――それを乗り越えて、トライ王を取り、シーズンMVPも獲得しました
中靏:そうですね。チームのおかげですけれど、終わってみれば出来過ぎな結果でした。
――おふたりとも競技への向き合い方が相当真面目だと思いますが、競技自体をどう捉えていますか?
西田:本当に人生の一部でありますし、バレーボールを小さい頃からやってきているので、バレーボールを通じで出会った方々に本当に助けてもらいました。今後もいろいろなご縁があると思いますし、バレーボールに対する向き合い方として、本当に大好きなバレーボールなので、これからも大好きでいたいと思っています。
――ラグビーをやってみようとは思いませんでしたか?
西田:いやー、全くないですね(笑)。
――中靏さんはどうですか?
中靏:全く一緒ですね。人生の一部ですし、本当に好きでやって、そのおかげで道が広がって仕事にも関わらせていただいて、いろいろな人に出会えて、本当に人生の一部です。
――バレーボールをやってみようとは思いませんでしたか?
中靏:は、はい(笑)。
――サンバーズとサンゴリアスには過去何百人という選手が所属してきたわけですが、その中で選手引退後に仕事としてチームを支える人は、その真面目さで選ばれているということがあるんじゃないかなと思いますが、現在はどんなことを主にやられていますか?
西田: 第一に、選手やチームがより気持ちよくバレーボールに取り組めるよう、環境づくりに力を入れています。また、経理業務やチームに必要な備品の購入、遠征時の宿泊先や移動手段の手配など、多岐にわたる業務を担当しています。
――元選手として、選手にとって良い環境とはどんな環境ですか?
西田: 選手がバレーボールに全力で取り組むためには、プレー以外のストレスを最小限に抑える環境づくりが欠かせません。練習や試合に必要な備品が常に整っていること、スケジュールや移動がスムーズに進むこと、そして万が一のトラブルにも迅速に対応できる体制が整っていることが重要です。こうした「当たり前」が確実に守られていることで、選手は安心して競技に集中でき、パフォーマンスの最大化につながります。
――中靏さんは副務とリクルートを担当していますが、どうですか?
中靏:今は採用をメインに動いています。日々、いろいろな大学の練習に行って、そのチームの監督や選手とコミュニケーションを取っています。そんな中「この選手に声を掛けたい」という選手がいれば、一度サンゴリアスの施設を見に来てもらったり、練習に参加してもらったり、そういう手配も含めやっています。そして週末には、大学のシーズンが始まっているので、「何試合見れば良いんだろう」というくらい大学の試合を土日に見ていて、その合間に副務という仕事をしています。大学に行っていない時にチームのサポートをしています。
――声を掛けたいという選手は試合を見て?それとも練習を見てですか?
中靏:やっぱり最初は試合ですかね。試合に行ったり練習に行って、監督から「この選手は良いよ」とか、そういう話を聞いたりもします。そこから試合で注目してみて追いかけていって、サンゴリアスのチームスタイルに合っている選手か、話をしてみて性格とか、サンゴリアスの場合は社員選手がメインになるので、社業もやっていけそうな選手なのか、そういうところを見ていきます。
[続く]
(インタビュー&構成:針谷和昌)












