サントリーホールディングスは、グループの企業理念として「人間の生命(いのち)の輝き」の実現を掲げている。
その「生命(いのち)の輝き」を実現するための取り組みの一つが、スポーツ事業だ。サントリーでは、バレーボールチームの「サントリーサンバーズ大阪」、ラグビーチームの「東京サントリーサンゴリアス」、さらに女子プロゴルフトーナメント「宮里藍 サントリーレディスオープン」を運営している。
サントリースポーツは、スポーツを通じて「熱量」や「感動」を生み出し、人とスポーツが共鳴、共振することで「自分も輝きたい」という思いを呼び覚ましている。そして、その一歩を踏み出す瞬間に寄り添い、力強くサポートし、『人間の生命(いのち)が輝く、新しい毎日』を切り拓く存在であり続けようとしているのだ。
サントリーがスポーツ事業を推進する真意は何か?目指すビジョンや展望について、同事業を率いるスポーツ事業部の島田博之部長に聞いた。
「社員選手は一般社員にも好影響」
島田部長は1995年にサントリーに入社した。最初の配属は静岡支店。県の東部・中部地区の家庭用・業務用酒類の営業担当としてキャリアをスタートさせた。スポーツ事業との出会いは1999年、「日本ゴルフトーナメント振興協会(GTPA)」に出向したことから始まった。
2001年に宣伝事業部に異動後は男子プロゴルフトーナメントの『サントリーオープン』を担当、その後スポーツフェローシップ推進部でJリーグ・Jクラブのスポンサード業務などを担当した。以降宣伝部、CSR推進部、スポーツ事業推進部とサントリーのスポーツに関わる部署を渡り歩き、2025年からはスポーツ事業部(部署名改称)の部長に就任した。このように、島田部長はほぼ4半世紀にわたりスポーツビジネスに携わってきた。
日本のスポーツ、特に実業団スポーツを振り返ると、その時々の企業の経済状況に翻弄されてきた歴史がある。特にバブル崩壊後に廃部となったスポーツチームは数知れない。しかし、サントリーはどんな状況にあってもスポーツチームを擁してきた。
そんなサントリーも、1990~2000年代は苦しい経営状態だったという。ウイスキーは厳しいダウントレンドで、今や主力商品であるコーヒー「BOSS」は発売した直後、「サントリー天然水」は家庭用市場へ広がりはじめた時期だった。医薬事業部門も切り離した。このような状況にあっても、サントリーは実業団チームを残す判断をした。サントリーにとって、スポーツ事業がいかに重要であるかが分かる。
島田部長は「スポーツと仕事を両立する社員選手の存在は、一般社員にも良い刺激になるんですよね」と話す。
ある社員選手の一例として、朝5時にクラブハウスで2時間ほどウエイトトレーニングをし、その後出社して得意先に営業に行く。終業後には再びクラブハウスに戻り、全体練習に励んでいた、という。
「そういう頑張っている社員を見ると、他の社員も頑張ろうと思いますよね。応援したくなるし、試合会場にも足を運びたくなると思います。だから厳しい経営状態であっても、チームを解散するという話にはならなかった、と聞いています」
バレーとラグビーでは、現在リーグのプロ化を目指している。「強いチーム作りに欠かせないのは『パートナーシップ』だと考えています」と島田部長は話す。
現在、サンバーズは80社、サンゴリアスは50社を超えるパートナー企業に支えられている。さらなるパートナーシップの発展を目指して、日々約15名の営業部員が、サントリースポーツの理念に共感してくれる新しいパートナー探しに奔走している。
島田部長にサントリースポーツの課題と目指すところを聞くと、「サンバーズやサンゴリアスという『チーム』のファンを、いかにして拡大させるかです」と話す。
プロ野球の阪神タイガースやJリーグの浦和レッズといった人気チームでは、その時々の人気選手が退団したとしても、ファンはチームを応援し続ける。サンバーズにも2024年に今を時めく髙橋藍選手が入団したが、長期的に見れば、選手の人気だけに頼るわけにはいかない。
島田部長は「チームにはフィロソフィーが不可欠です。そこに共感してもらえないことには、なかなかファンにはなってもらえないからです」と話す。
「最初は『推し(の選手)』から入ってもらって良いと思います。でも、そのあと、いかにしてチームのファンになってもらうかがすごく重要だと思っています。だからスポーツ事業部ではラグビーに倣って『一緒にスクラムを組んでファンを増やしていこう』と呼びかけ、みんなで協力して仕事を進めています」
ファン拡大のために、地域とのつながりも強化している。一つの事例として、サンゴリアスでは東京都港区に小中学生向けのラグビーアカデミー「東京サンゴリアス アカデミー青山校」を開いたという。更に25年4月には府中校を開校した。ここは各クラス25名の定員に対してセレクションを設け、数倍の応募があったそうだ。サンバーズも同様に、ホームタウンである大阪府箕面市でアカデミー活動を強化している。
さらに島田部長は社員には視野を広く持ってもらいたいと話す。
「会社で打ち合わせばかりしていても何も始まりません。可能な限り『他のスポーツやエンターテインメントに触れる機会を増やそう』と呼びかけています。人の心が動く瞬間、揺さぶられるシーンはどこにあるのか、どのように生まれるのか、を自分自身で体感することが、日々のアウトプットに繋がっていくはずです。そのような行動を我々の部署としても推進して、個々人の成長に繋がるように仕組みを整えています」
サントリースポーツでは、バレーやラグビーのほかに、「宮里藍 サントリーレディスオープン」というゴルフトーナメントも運営している。この大会の特徴として、国内外のトップ選手に出場機会を提供するほか、パートナー企業に対しては看板に企業名を掲出したり、ホールインワン賞の命名権を提供したりしている。だが、より注目するべきは次世代の選手に対する取り組みだ。大会の理念として、次世代を担う国内外のトップアマチュア選手へ広く門戸を開き、世界へと羽ばたく成長の場を用意している。
「国内とアジア・オセアニア地域から有力なトップアマを招待します。全国高等学校ゴルフ選手権春季大会の高校の部で優勝した選手にも、『宮里藍 サントリーレディスオープン』の本戦に出場できる機会を作っています」
また世界への道として、サントリーレディスオープンの優勝者と2位の選手には、全英女子オープンの出場権を用意している。まさに、サントリーレディスオープンは、「世界への道が開かれた国内唯一の女子プロゴルフトーナメント」となっている。
大会アンバサダーを務める宮里藍プロとのコラボレーションも深化している。
「宮里藍プロ自身が次世代ゴルファー育成に貢献したい、ということで、毎年秋頃に中学1年生以上高校2年生以下のトップ女子アマチュア選手を招待し、『宮里藍インビテーショナル』という勉強会およびトーナメントを開催しています。サントリーはその想いに共感し、トーナメントのサポートをしています。また、上位5名の選手には次年度の『宮里藍 サントリーレディスオープン』予選会に出場できる権利を付与するなど、トーナメント間の連携も図っています」
長いキャリアの中で、島田部長が最も印象に残っている仕事が2つあるという。1つは「東日本大震災の時の取り組み」だと明かす。
「震災直後はテレビをつけるとACジャパンのCMばかりになりました。世の中が暗くなる中、少しでも人々を元気にしようと『広告のチカラで何かできないか』ということになり、(坂本九が歌った)『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』を当時サントリーのCMに出演していた俳優・タレント・歌手の方々などに呼び掛け、歌っていただきました」
無償での出演依頼だったにもかかわらず、声をかけたほとんどの方が参加してくれたという。
「30パターンを超えるCMをわずかな期間で制作し、世の中に届けることができ、本当に多くの皆様から感謝と感動のお声をいただきました。“世の中に笑顔を”という関係者全員の思いが1つの形になった仕事だったと思います」
もう一つ印象に残っているのは、かつて特別協賛をしていた「Jリーグサントリーチャンピオンシップ」最終年の2004年の時。約7万人を収容できる横浜国際総合競技場で開催した「横浜F・マリノス対浦和レッズ」の試合だという。
「(当時、日本サッカー協会会長の)川淵三郎さんと、サントリーの佐治信忠社長(当時)が、ピッチに立ちながら『日本のスポーツもここまで来た』と握手をしながら喜んでいました。サポーターの大歓声は、腹の底から震えてくるような感じでした。今でも忘れられません」
どちらの仕事にも、人が心を一つにし、力を合わせることで、個人的な喜びを超えた大きな感動が生まれ、その瞬間が深く記憶に残った、という共通点がある。
サントリーは、2014年より「チャレンジド・スポーツ」にも注力を始めた。島田部長はそこにも深く携わってきた(サントリーでは、パラスポーツのことを、チャレンジド・スポーツと呼称している)。
この取り組みは、2011年の東日本大震災を契機に始まったものだという。その背景には、宮城県気仙沼出身の走り幅跳び・トライアスロンの選手で、パラリンピックに4度出場しているサントリー社員、谷真海さんの存在がある。
「サントリーは108億円を拠出し、東北復興のお手伝いをしました。谷さんが地元のハンディキャップをお持ちの方と連絡を取ってみると、家も道具もなく練習もできないパラアスリートが多数いらっしゃることが分かり、当社もすぐサポートしよう、ということになりました。現在はチャレンジド・スポーツアスリートへの奨励金や車いすバスケなどのサポートにも活動を広げています」
プロジェクトの合言葉は「PASSION FOR CHALLENGE」だ。
「挑戦することの大切さを表す(創業者・鳥井信治郎の言葉)『やってみなはれ』を、別の言葉で表現しようと考えた時、分かりやすい言葉が『CHALLENGE(チャレンジ)』でした。『PASSION FOR CHALLENGE』は、チャレンジという前に行こうとする姿勢と『やってみなはれ』をかけた言葉です」
島田部長は「共創」という言葉が好きだという。なぜなら「笑顔や感動が人生を豊かにする」という自身の信念に、「共創」がもたらす成果が合致するからだ。ただ組織の垣根を越えて共創するためには、チームが一丸となる必要がある。部長として、心掛けていることを聞いた。
「一緒に働くスポーツ事業部のメンバーには、ぜひ達成感を味わってもらいたいと考えています。『この仕事は自分がやったんだ!』と誇れるぐらいの仕事をしてほしい。どれだけの想いを持ってその仕事に取り組むのか。時には困難を乗り越えられなかったとしても『自分はできるところまでやったんだ』と思えること。こういう仕事こそが、自分を成長させる機会となり、経験に繋がると思うからです」
部下には、できるだけ多くの裁量を持たせているという。
「サントリーは『(部下が)失敗しても自分が責任を取る』と考える上司が多いと思います。なぜなら、お客さまの声を真摯に聞き、現場を見て、お客さまのニーズ、課題を探ってこよう、見つけよう、そしてそれを解決することがお客様の喜び、笑顔に繋がる、そういう仕事をしよう!こういった姿勢が会社のDNAとしてあるからです」
島田部長は「お客さまが当社の製品を飲みながら、スポーツを見て喜んだり感動したりしている様子を見ると、本当にうれしいですよね。メーカーとしての冥利(みょうり)に尽きます」と笑う。そして「サントリーの商品やスポーツ活動に触れていただき、前向きに生きるための支えになれる会社でありたい」と話す。今後のサントリーのスポーツ事業に注目してほしい。












