2025年11月22日(土)~2026年1月12日(月・祝)
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF) をご参照ください。
※本展は大阪市立美術館で2025年9月20日~11月9日に開催された展覧会の巡回展です。
※展覧会会場では、章と作品の順番が前後する場合があります。また、展示内容は予告なく変更される場合があります。
赤や黒の漆で彩られた木製品は、先史時代から人びとに重宝されてきました。その歴史は今日「根来」と称するものよりも古く、現在の研究で判明しているだけでも7500年前まで遡ります。
赤は太陽の色、生命の色など神秘的かつ呪術的な意味合いが込められたとされ、縄文時代には櫛や腕輪、器などに赤い漆が塗られています。黒はすべてを包み込む闇の色、赤とは対照的な色ですが、どちらも色という概念が誕生する前から人々の感覚に根差していた、原初的な存在といえるでしょう。特に赤い漆の顔料は、鉄を主成分とする弁柄に始まり、水銀を主成分とする朱、鉛を主成分とする鉛丹、これらを混合したものもあり、実に多彩です。「まそほ」(真赭・真朱)として特別視された天然の辰砂を含め、これらを駆使した朱漆塗漆器(朱漆器ともいう)は非常に貴ばれ、神仏に捧げられたほか、権力の象徴にもなりました。
本章では、赤と黒の漆工品の中から、「根来」という呼び名が定着する以前の時代の名品を中心にご紹介いたします。


「根来」を語る上で欠くことのできないのが根來寺の存在です。平安時代末期、高野山の学僧であった覚鑁上人(1095~1143)が開創して以来、同寺は新義真言宗の聖地となり、豊臣秀吉によって焼き討ちされる天正13年(1585)直前の最盛期には山内に数千もの塔頭が軒を連ねたといいます。ルイス・フロイスの『日本史』に拠れば「彼らの寺院なり屋敷は、日本の仏僧寺院中、きわめて清潔で黄金に包まれ絢爛豪華な点において抜群に優れている」と、当時最も栄華を誇った寺院であったと伝えています。
「根来」という呼称は、この根來寺で朱漆塗漆器を生産したという伝承に基づきます。ただし、同様の様式の漆器は、根來寺以外の各地で作られ、時代を追うごとに宗教儀礼から日常の場にまで広がりました。
本章では「根来寺坊院跡」の発掘調査、聖教などの寺院資料等から、根來寺及び周辺の様子を垣間見るだけでなく、同時代の各地で作られた「根来」も合わせて一堂に集め、ご覧いただきます。



天正13年(1585)に根來寺が衰退してまもなく、江戸時代初期には朱漆塗漆器としての「根来」が取り沙汰され、のちの時代にも大きな影響を与え続けました。その影響は在銘品の蒐集や古例を研究、模写するのみならず、「根来」の歴史的変遷を辿るところにまで及びます。江戸時代後期の『紀伊国名所図会』では、かつて根來寺一円で朱塗の椀や折敷(食べ物を盛った器を置く盆)が作られたといい、黒川眞頼、高木如水をはじめとする明治時代の知識人たちも「根来」の足跡を積極的に探し求めました。
生活に根差した「根来」の中に美を見出し、愛好する動きは、大正15年(1926)に柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって提唱された民藝運動も相まって、戦後には確たるものになります。「根来」は実用品として、また根來寺への憧憬や追慕の念を抱くための役割だけでなく、愛でるべき美術工芸品として位置付けられるようになりました。そして現在、「根来」は本来の用途や鑑賞の枠を超え、より純粋で精神的世界を表現する境地に至っています。
本章では、かつて白洲正子、松永耳庵、黒澤明などの著名人たちが集め、生活の中で愛した「根来」を中心にご紹介することで、その魅力をご堪能いただきます。


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