サントリー美術館 開館60周年記念展
2021年4月14日(水)~6月27日(日)
「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」展 6/2再開のお知らせ
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF) をご参照ください。
※本展は撮影可能です。
※本展は福島県立美術館(2021年7月8日-9月5日予定)、MIHO MUSEUM(2021年9月18日-12月12日予定)他に巡回します。
※緊急事態宣言発令に伴い、4月25日から5月31日まで臨時休館しました。
水墨画は濃淡の調節が容易な墨という素材を用いて、対象の立体感や遠近感、そして微妙な光や大気の状態を表現することを特徴とします。その始まりは中国・唐時代(618~907)に遡り、日本には奈良時代から部分的ながら様々な経路を通じて伝えられました。
鎌倉時代、日中貿易の活況を通じて禅文化が興隆する中、鎌倉や京の禅寺では、南宋文化を身につけた渡来僧とともに水墨画が大量に流入しました。その後、禅僧の往来が減少してからも、日本国内での南宋絵画愛好の熱は衰えず、足利将軍家には多数の名品が蓄積されました。足利将軍家の美術文化は徳川将軍家にも一部分が継承され、南宋から元時代の絵画様式は、14~17世紀までの日本絵画の大きな柱となったのです。本章では戦国期・16世紀に活躍した絵師を中心に、アメリカでも愛された水墨画の世界を紹介します。
狩野正信(1434~1530)に始まる狩野派は、血縁で繋がる「狩野家」を中心とした専門の絵師集団です。室町時代以降、時の権力者の庇護を受け、狩野元信(1477?~1559)と狩野永徳(1543~90)の代におおいに発展しました。
江戸時代、政治の中心が江戸になると狩野派も本拠地を京から江戸へ移します。 永徳の孫・狩野探幽(1602~74)は、江戸幕府の御用絵師となり、余白を活かした瀟洒淡麗なスタイルで狩野派に革新をもたらしました。江戸時代を通じて幕府や各藩の御用をつとめた狩野派は、まさに画壇を制する画派となったのです。一方、永徳の門人で、その画風を継いだ狩野山楽(1559~1635)と山楽の養子・狩野山雪(1590~1651)の一統は、京に留まり、探幽とは異なる個性的な作品を描きました。山雪の「群仙図襖(旧・天祥院客殿襖絵)」は、ミネアポリス美術館の日本絵画を代表する作品のひとつです。本章では探幽ら江戸狩野と山雪・山楽ら京狩野の作品を通じて、狩野派の軌跡を特集します。
平安時代、「唐(漢)」に対する「やまと(和)」の自覚を背景に、日本の風俗や事物を主題とする「やまと絵」が誕生しました。発生当初のやまと絵とは、中国的な主題の唐絵に対し、日本的な主題の絵画を指す言葉でしたが、次第に日本独自の絵画様式へと発展します。13世紀後半に南宋朝(1127~1279)の中国絵画が広まり、それらが「唐絵」と呼ばれるようになると、それまでの伝統的な絵画様式がおしなべて「やまと絵」と称されることになりました。水墨を主とする唐絵に対して、濃厚な彩色による装飾性がやまと絵の特徴であり、仏教的主題をのぞけば、四季の風物を中心に描いた襖絵・屛風絵などの大画面と、『源氏物語』に代表される古典文学を中心に描いた絵巻・冊子絵本などの小画面に大別されます。ミネアポリス美術館には、屛風絵の優れた作品が多く収蔵されており、本章では移ろう四季や物語を表したやまと絵の世界を展観します。
琳派は17世紀初頭に活躍した俵屋宗達(生没年不詳)を始まりとします。王朝文化復興の気運が高まる時代、京の絵屋「俵屋」を主宰し、本阿弥光悦(1558~1637)の書のための料紙装飾などを手掛けた宗達は、やまと絵や水墨画からモチーフを意匠化し、たらし込みの技法などを駆使した特色ある作風を生み出しました。その作風は光悦・宗達の作品に憧れた尾形光琳(1658~1716)に受け継がれ、さらには姫路藩主の酒井家の次男として江戸に生まれ、光琳に私淑した酒井抱一(1761~1828)へと続いていきます。抱一は江戸ならではの軽快さ、俳諧的な機知を加えた独自の作風を確立し、その弟子たちによって江戸琳派が形成されました。本章では宗達や抱一、抱一の高弟であった鈴木其一(1796~1858)らを中心に日本絵画を代表する琳派芸術の美を特集します。
江戸時代、大都市に発展した江戸において独自に花開いた新しい芸術があります。それが美人画・役者絵などに代表される浮世絵版画です。菱川師宣(1618?~1694)に始まるといわれる浮世絵は、市場の組織化と版元を中心とした絵師・彫師・摺師による分業体制の確立により、江戸を代表する美となります。最初期の版元が江戸の中心地日本橋近辺にあったため、浮世絵版画は江戸の人々だけでなく、地方の旅人たちにも求められました。墨摺から多色摺りへと発展していった浮世絵版画は「錦絵」とも呼ばれ、名所絵など新たな画題も誕生します。19世紀半ばには版元の数は260を超えたとされ、名立たる絵師たちが活躍した浮世絵界は爛熟期をむかえます。本章では、ミネアポリス美術館が誇る浮世絵コレクションから選りすぐりの名品を紹介します。
日本の文人画(南画)は、江戸時代中期以降、長崎を通じてもたらされた中国の文人という概念や、明・清代の中国絵画に憧れた人々によって描かれた新たなモードの絵画です。当時、画壇を支配していた狩野派に代わる自由な創造性をもった絵画を求める気運が高まり、また、黄檗宗の伝来や儒学・漢詩文の普及に伴って中国文化への理解が幅広い階層で深まっていました。池大雅(1723~76)・与謝蕪村(1716~83)の二人によって大成される日本の文人画は、中国の知識人である文人への共感や中国文化への憧憬を背景に日本独自に発展し、東北から九州まで各地に広まることとなります。中国風の理想郷が描かれた山水画をはじめ、自らの旅の経験や実際の景色を見た感興が込められた真景図など、数々の魅力ある作品が生まれ、江戸絵画史に新機軸をもたらしました。
江戸時代後期、文人画(南画)や写生画など、既存の流派や様式にとらわれない画風が存在感を示し、多様な作品が生まれます。なかでも近年高い人気を誇る伊藤若冲(1716~1800)や曾我蕭白(1730~81)に代表される「奇想」の絵師は、極端にデフォルメした構図の水墨画や細密な濃彩画によって独自の境地を開きました。
奇想の絵師の作品は、かつて評価があまり高くない時代もありましたが、アメリカをはじめ在外の日本美術愛好家によるこだわりのない批評眼によって優品の数々が収集され、散失されることなく今日まで伝えられています。
本展では若冲や蕭白に加え、多彩な江戸絵画を生み出す契機となった長崎派の作品も紹介します。江戸時代、外国への窓口であった長崎では、中国や西洋画が色濃く反映された絵画が生まれ、様々な画派に大きな影響を与えました。画壇を革新した絵師たちの挑戦をご覧ください。
明治になると西洋から「美術」という概念や新しい材料・技法がもたらされ、日本の絵画は大きく転換しました。伝統の技法や画派を継承する「日本画」と油彩画や水彩画など西洋の技法を用いる「洋画」という新しいカテゴリーが誕生し、浮世絵を母体にした新版画、創作版画も含め、日本の近代美術は多様な展開をみせていきます。
欧米の近代美術コレクションは日本美術の中では限定的ながら、ミネアポリス美術館には、例えば、海外でも高い評価が与えられた河鍋暁斎(1831~89)や、パリ万博の実務者として渡欧した渡辺省亭(1851~1918)、アーネスト・フェノロサ(1853~1908)の知遇を得た狩野芳崖(1828~88)らの作品を所蔵しています。また、肉筆浮世絵の流れをくむ美人画や新版画の作家の作品なども収蔵するとともに、明治前期に渡米した青木年雄(1854~1912)のような、アメリカならではの作品もあり、日本国内での再評価も期待されます。
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