琉球 美の宝庫

2018年7月18日(水)~9月2日(日)

※作品保護のため、会期中展示替を行います。

第1章 琉球の染織

豊かな風土をもった琉球王国は、海上交易を通じて独自の文化を発展させてきました。琉球の染物と織物は、東アジア諸国の技法や素材を受容しながら創り出され、王国を象徴する美のひとつとなっています。

琉球の染物といえば王族や貴族階層を中心に着用されたとされる紅型衣裳が知られています。型紙を用いて模様を染め出す型染めが紅型の代表的な技法で、鳳凰・龍・牡丹など大陸由来のモチーフや松・桜・梅といった日本的な意匠が鮮やかな色彩で表現されました。

また、中国や東南アジアから伝わった織物も見逃せません。数多くの種類があり、部分的に染め分けた糸を織って幾何学的な文様を表した絣や、糸を浮かせて文様を表現する花織など、多彩な織物が細やかに生み出されました。 これら琉球の染織のうち、王族ら高貴な人々の衣裳は、首里王府にあった貝摺奉行所という機関にいた絵師が下絵を担当していたといわれています。

本章では、琉球王国の染織を特集し、その美しい色彩世界とデザインを展観します。



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白地流水蛇籠に桜葵菖蒲小鳥模様衣裳 19世紀
沖縄県立博物館・美術館
【展示期間:7/18~8/6】

第2章 琉球絵画の世界

第二次世界大戦によって沖縄の美術は大きな被害を受け、琉球王国の絵画の多くが失われてしまいました。その全容は謎に包まれていますが、現存作例や戦前の写真資料からは琉球の絵師が高い画技をもっていたことが伝わってきます。琉球の絵画はいまだ研究途上ですが、ここでは主に近世琉球期(1609~1879)に描かれた作品を「琉球絵画」としてご紹介します。

首里王府には国際的なネットワークを通じて中国や日本絵画の優れたコレクションが集められていました。王府の貝摺奉行所に所属した絵師は、中国や薩摩藩の絵画から刺激を受けながら独自の作品を描くとともに、染織・漆芸・室内装飾のデザインを担当したといわれています。また、貝摺奉行所に属さず、王府直属のお抱え絵師(宮廷画家)として活躍するものもいました。

本章では、琉球絵画史上最初に名があがる自了(和名: 城間清豊、1614~1644)から、王国を代表する絵師である山口宗季(唐名:呉師虔、1672~1743)、宮廷画家として活躍した座間味庸昌(唐名:殷元良、1718~1767)らの作品を通じて琉球絵画の実像に迫ります。あわせて、首里王府から派遣された絵師が学んだ中国・福州画壇の作品や、江戸で一大ブームとなった琉球使節を主題とする品々を展観いたします。

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花鳥図 山口宗季(呉師虔)筆 1715年
大和文華館
【展示期間:8/8~9/2】
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雪中雉子之図 座間味庸昌(殷元良)筆 18世紀
沖縄県立博物館・美術館
【展示期間:7/18~8/6】

第3章 琉球国王尚家の美

1470年に初代尚円が国王に即位してから、琉球王国は尚家(第二尚氏)によって治められてきました。中国と冊封関係をむすび海上貿易の中継地として大いに栄えた琉球王国は、1609年に薩摩藩の侵攻を受けて日本の幕藩制に組み込まれるも、中国と進貢貿易を続け、王国体制を維持していきます。国家の中心であった王都首里はアジア諸国の美が結びついた琉球独自の文化で彩られ、首里城は中国をはじめ各地の宝物で満ちていました。

1868年に明治政府が成立すると、いわゆる琉球処分によって、19代尚秦の王位が廃され、沖縄県が設置、首里城は明治政府へ明け渡されることとなります。尚家は東京居住を命じられ、首里城内にあった王家の文物の一部は東京へ移されました。その後、1945年の沖縄戦により首里城や沖縄の文化は大きな被害を受けますが、現在にも王国の至宝の数々が受け継がれており、2006年に尚家に継承されていた美術工芸85点と文書・記録類1166点が「琉球国王尚家関係資料」として国宝に指定されています。

本章では「琉球国王尚家関係資料」に含まれる珠玉のコレクションを特別公開します。あわせて王家や首里城にまつわる貴重な関係資料もご紹介します。

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国宝 琉球国王尚家関係資料 玉冠(付簪) 18~19世紀
那覇市歴史博物館
【展示期間:8/22~9/2】
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国宝 琉球国王尚家関係資料 美御前御揃 15~18世紀
那覇市歴史博物館
【全期間展示】
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国宝 琉球国王尚家関係資料 紅色地龍宝珠瑞雲模様衣裳 18~19世紀
那覇市歴史博物館
【展示期間:7/18~7/30】

第4章 琉球漆芸の煌き

琉球の漆芸は、中国をはじめとする周辺諸国との交流を通じて発展し、王国を代表する美として花開きました。 そのはじまりははっきりとはわかっていませんが、年代が推定できる最も古い琉球沈金のひとつが、1500年に久米島の神女が国王から拝領した勾玉をおさめたという「黒塗菊花鳥虫沈金丸外櫃及び緑塗鳳凰雲沈金丸内櫃」(個人)です。

国際交易で栄えた琉球王国において漆芸品は重要な輸出品であり、王府に設けられた貝摺奉行所が製作を管理し、首里城を飾った御道具類をはじめ中国皇帝や日本の将軍・大名におくられた美しい作品がつくられています。線を彫って金箔を埋める沈金、貝を切って文様のかたちに貼り付ける螺鈿、漆で文様を描いた上に金箔を貼る箔絵、顔料を油でといて描く密陀絵、漆と顔料をまぜた材料を貼って立体的に文様を表す琉球特有の堆錦など、様々な技法が駆使されました。デザインには貝摺奉行所の絵師が関わっており、吉祥文や花鳥山水など中国的なモチーフが多く用いられています。

本章では、時代によって変遷した技法の特徴や魅力をたどりながら、多彩な琉球漆芸の粋をご覧いただきます。

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朱漆椿密陀絵沈金椀 16~17世紀
サントリー美術館
【全期間展示】
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黒漆雲龍螺鈿大盆 18~19世紀
浦添市美術館
【全期間展示】

エピローグ 琉球王国の記憶

鎌倉芳太郎(1898~1983)は、戦前の沖縄で、首里城をはじめとする建築物や美術工芸品など琉球王国時代の文化を写真に残した人物で、沖縄文化研究の第一人者です。型絵染の作家としても活躍し、戦後には重要無形文化財保持者に認定されています。サントリー美術館では、昭和47年(1972)に鎌倉芳太郎の写真を特集した「特別展観 50年前の沖縄写真でみる失われた文化財」(共催:琉球政府立博物館)を行いました。ここでは、琉球王国の記憶を伝える写真の数々を鎌倉芳太郎が残した緻密な調査ノートとともにご紹介します。

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