2017年3月29日(水)~5月14日(日)
※作品保護のため、会期中展示替をおこないます。
※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF) をご参照ください。
12世紀後半は、絵巻制作の質・量ともに、ひとつの頂点を迎えた時代でした。その潮流の中心にあり、歴代の絵巻マニアの筆頭に挙げられるのが後白河院(ごしらかわいん・1127~92)です。
今様を好み『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を撰したことでも知られる後白河院は、蓮華王院(れんげおういん)に設けた宝蔵(ほうぞう)に和漢の典籍や宗教的な宝物、楽器など多様な文物を秘蔵し、院の趣味や嗜好を超えた、いわば文化的事業の集積所を作り上げていました。なかでも注目されるのは、コレクションに占める絵巻の多さです。宮廷の儀式や祭礼などを描く大部の「年中行事絵巻(ねんじゅうぎょうじえまき)」ほか、後白河院は自ら積極的に絵巻を制作させて宝蔵に納めていたようです。
近年当館の所蔵となった「病草紙断簡 不眠の女(やまいのそうしだんかん ふみんのおんな)」も、かつて蓮華王院宝蔵に納められていた六道(天道、人道、餓鬼道、阿修羅道、畜生道、地獄道)絵巻のうち、病に苦しむ人道の苦悩を表したものの可能性が指摘されています。序章では、蓮華王院宝蔵ゆかりと考えられている絵巻をご紹介するとともに、史料を通して、絵巻に限定されない後白河院コレクションの姿を探ります。
伏見天皇の第三皇子・花園天皇(1297~1348)は、父から貸し与えられた蓮華王院宝蔵の絵巻(宝蔵絵・ほうぞうえ)を興奮気味に鑑賞し、「予、幼年の時より絵を好むものなり」と日記『花園院宸記(はなぞのいんしんき)』で自ら告白しています。
この伏見院と花園天皇父子の周辺で絵画制作に従事していたのが、絵所預(えどころあずかり)・高階隆兼(たかしなのたかかね)でした。隆兼の代表作である「春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ)」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の制作には、「年中行事絵巻」などの宝蔵絵を研究した痕跡が指摘されています。
平安時代以来の絵画伝統を継承し、さらに昇華させた高階隆兼の様式は、もうひとつの絵巻黄金期を生み出しました。
本章では、絵巻マニアたちが牽引し、新たに誕生した絵巻の一時代の例として、高階隆兼様式の貴重な作品を一堂にご覧いただきます。
今日伝存する中世の絵巻は、必ずしも制作年代や背景が明らかではありません。そのようななか、伏見宮貞成(ふしみのみやさだふさ)親王(後崇光院・ごすこういん/1372~1456)の日記『看聞日記(かんもんにっき)』は、絵巻に関する記事が豊富であり、当時の伝来・制作環境・評価を知ることのできる第一級の史料といえます。
後崇光院の第一皇子・後花園天皇(1419~70)もまた、絵巻に強い関心を持ち、『看聞日記』の記事からは、父子が方々から絵巻を召し出し鑑賞したり、親子の間で絵巻を貸借していた様子が見てとれます。例えば興福寺大乗院で重宝とされた「玄奘三蔵絵(げんじょうさんぞうえ)」(現・藤田美術館蔵)も、都に運ばれ、後花園天皇から父・後崇光院へと転貸されています。
本章では、後崇光院・後花園院父子の姿を通して、古今の絵巻を楽しむだけでなく、気に入った絵巻を自ら写し、また新規制作していくマニアの姿をご紹介します。
室町時代後期を代表する学者公喞・三条西実隆(さんじょうにしさねたか・1455~1537)は、日記『実隆公記(さねたかこうき)』を残しました。当時の政治や社会情勢のみならず、文化的な事象に関する記事も豊かな『実隆公記』は、朝廷周辺や地方へもたらされた絵巻の記載が多数見られ、後崇光院の『看聞日記』と並び、中世絵巻を研究する上で重要な史料となっています。
実隆の絵巻愛好は、古画・名作の鑑賞にとどまりません。当代一流の文化人であった実隆は、詞書の清書や物語の草稿執筆など多くの絵巻新作に関与し、晩年の「桑実寺縁起絵巻(くわのみでらえんぎえまき)」(滋賀・桑實寺蔵)制作では、チーフプロデューサーの役割を担っていました。
本章では、寺社の縁起絵巻のほか、東国の戦国大名・北条氏綱(ほうじょううじつな)の依頼によって制作された「酒伝童子絵巻(しゅてんどうじえまき)」(サントリー美術館蔵)やお伽草子の小型絵巻(小絵・こえ)など、宮廷・将軍家・寺社の交流から生み出された多様な室町絵巻の名品をご覧いただきます。
室町幕府は、宮廷文化の中心地であった都に初めて成立した武家政権といえます。足利歴代将軍は、朝廷を凌駕するために、武力や政治経済力のみならず、伝統的な貴族文化への適応をもって政権の安定を図ったと考えられます。
その文化的方策の最大ツールが絵巻でした。『看聞日記』からは、第六代将軍足利義教(あしかがよしのり・1394~1441)が、後崇光院・後花園院父子とともに絵巻貸借の輪のなかに加わっていたことが知られ、また、三条西実隆が尽力した「桑実寺縁起絵巻」(滋賀・桑實寺蔵)の制作も、第十二代将軍足利義晴(あしかがよしはる・1511~50)による依頼でした。そして、足利家歴代のなかでも天性の絵巻好きであった第九代将軍足利義尚(あしかがよしひさ・1465~89)の存在も欠かせません。
本章では、第2章と第3章に挙げた公家層の絵巻マニアたちと同時代に、時に競い、時に協調しながら熱中した、武家層の絵巻愛好の様相をご紹介します。
江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗の孫である松平定信(まつだいらさだのぶ・1758~1829)は、全国各地の寺社や旧家に伝わる古文化財の調査・記録を行い、一大文化財図録『集古十種(しゅうこじっしゅ)』を出版するなど、その好古趣味が有名です。
なかでも古画の愛好家であった定信は、『集古十種』の続編ともいわれる故実の図譜『古画類聚(こがるいじゅう)』の制作にも着手します。「古画」と題しながらも、素材となった作品の大半は150点近い絵巻であり、定信がとりわけ絵巻好きであったことを物語っています。さらに、古文化財の調査・整理分類だけでなく、絵巻の模写・修復・補作事業に尽力する気概は、彼の絵巻愛なくして語れないでしょう。
終章では、江戸時代後期において、現代につながる文化財行政の先駆けともいうべき事業を積極的に進めた、いわば「近代的」絵巻マニアの姿をご覧いただきます。
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