逆境の絵師 
久隅守景 親しきものへのまなざし

2015年10月10日(土)~11月29日(日)

※作品保護のため、会期中展示替をおこないます。
※久隅守景筆 国宝【納涼図屏風】は展示期間終了のため、現在は出品しておりません。

出展作品リスト(PDF)

第1章 狩野派からの出発

久隅守景は、狩野探幽に入門し、早くから頭角をあらわします。探幽の名である「守信」から一字拝領して守景と名乗り、絵師としての人生をスタートさせると、鶴沢探山(つるさわたんざん)、桃田柳栄(ももたりゅうえい)、神足常庵(こうたりじょうあん)らとともに探幽門下の四天王と称せられるまでになりました。また、探幽の姪を娶り、師と姻戚関係を結んだことは、血縁を重視する狩野派において、守景に高い期待と信頼が寄せられていたことをうかがわせます。

 とくに、知恩院小方丈(ちおんいんこほうじょう)や聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)客殿の障壁画制作においては、狩野派の中枢絵師に伍して、門人のうちから異例の抜擢をされており、狩野派内部で重用されていた様子が分かります。加えて、加賀藩前田家の菩提寺である瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、探幽をはじめとする狩野派の主要絵師たちとゆかりが深く、瑞龍寺に残る守景の「四季山水図襖」もまた、狩野派の一員として参加した公的な画事であったと推測されます。

 狩野派で学習した実直な水墨表現は、守景の画風が確立するうえで欠くことのできない重要な基盤となりました。

 本章では、狩野派絵師としての守景の真摯な活動の様子をご紹介します。


瀟湘八景図屏風
久隅守景筆 六曲一双 江戸時代 17世紀 サントリー美術館

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神奈川県指定有形文化財 十六羅漢図
久隅守景筆 十六幅のうち一幅 江戸時代 17世紀 神奈川・光明寺

第2章 四季耕作図の世界

農作業を描く耕作図は、中国では為政者の鑑戒画(かんかいが)とされていたもので、15世紀末頃にその画題が日本へ伝わると、多くの流派によって描かれました。狩野派も例外ではなく、探幽やその甥・常信(つねのぶ)などもこの主題を手掛けています。将軍や大名たちは、耕作図に描かれた農作物を生産する人々の姿に領民たちを重ね合わせ、自らの戒めとしました。

 元々が中国由来の画題であったため、通常は中国風俗で表現されましたが、守景は中国の風景だけでなく、日本の風景や風俗に取材した耕作図も残しています。また、多くの場合、耕作図は四季の推移にそって表されますが、守景画ではほぼすべての作例で、四季の配置が通常の方向とは逆転しています。古典的な画題に取材しつつも独自の変容を加えることで、守景にしか描けない耕作図を創り上げました。

 本章では、守景の代名詞ともいえる四季耕作図の世界にご案内します。


重要美術品 四季耕作図屏風 旧小坂家本
久隅守景筆 六曲一双 江戸時代 17世紀 個人蔵

第3章 晩年期の作品――加賀から京都へ

探幽のもとを離れた守景は、晩年の一時期、加賀藩前田家に招かれ、金沢の城下に滞在したことが知られています。探幽門下時代に参加した瑞龍寺の襖絵制作は、前田利常(まえだとしつね)の命によるもので、加賀藩の重臣である今枝(いまえだ)、小幡(おばた)の両家に逗留したとする記録が残り、晩年の再来藩は、このときの縁が基になっていると考えられます。一説には、この二度目の滞在は延宝年間(1673~81)のことで、五代藩主・綱紀(つなのり)が招聘し、今枝、小幡の両家に加えて、町奉行・片岡孫兵衛(かたおかまごべえ)の家に寄宿し、6年間留まったとされます。代表作の「納涼図屏風」や「鷹狩図屏風」は、この金沢滞在時代に生み出されたと推測され、守景芸術は加賀の地でさらに大きな飛躍を遂げることになりました。そして、最晩年には京都に移住し、余生を過ごしたと伝えられます。「賀茂競馬・宇治茶摘図屏風」は、京都の風物詩に取材した作品であり、様々な身分の人々の姿を生き生きと伝えています。

 本章では、晩年の守景が辿り着いた画業の精華を見ていきます。


国宝 納涼図屏風
久隅守景筆 二曲一隻 江戸時代 17世紀 東京国立博物館
Image: TNM Image Archives


鷹狩図屏風
久隅守景筆 八曲一双 江戸時代 17世紀 日東紡績株式会社


重要文化財 賀茂競馬・宇治茶摘図屏風
久隅守景筆 六曲一双 江戸時代 17世紀 大倉集古館

第4章 守景の機知――人物・動物・植物

守景の人となりについては、山水画に見られる野太い線や構築的な構図などから、謹直で朴訥とした性格が想像されがちですが、人物や動物、植物などを描いた作品に目を向けてみると、機知に富んだ主題や、諧謔味を含んだ興味深い表現が少なくありません。

 故事や文学に守景流の解釈を加えて描かれた人物や、人間味あふれる表情をした動物たち、水気の多い筆で描き出された植物などは、彼の画域の広さを表しています。

 本章では、掛軸や画帖、巻子などを中心に、守景の豊かな発想が表現された作品をご覧いただきます。

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鍋冠祭図押絵貼屏風
久隅守景筆 二曲一隻 江戸時代 17世紀 個人蔵

第5章 守景の子供たち――雪信・彦十郎

守景の娘・清原雪信は、父の師でもある探幽に学んだ狩野派随一の女性絵師です。雪信は、探幽様式を忠実に受け継ぎつつ、女性らしい繊細な筆線と丁寧な彩色を駆使した優美な作風で人気となりました。井原西鶴(いはらさいかく)著『好色一代男』に名前が登場するなど、当時その評判が広く知れ渡っていたことが分かります。一方で、探幽門下である尼崎の仕官の子・平野伊兵衛守清(ひらのいへえもりきよ)と駆け落ちしたと伝えられるなど、情熱的な女性でもあったようです。

 守景の息子・彦十郎もまた、探幽門下の絵師でした。悪所通いによって師の探幽から勘当され、さらに同門の絵師との諍いがもとで投獄、佐渡へ島流しとなるなど、波乱万丈な生涯を送ります。江戸狩野派の筆法を忠実に学んだ作品を残しており、佐渡でも注文を受けて制作を行なっていました。

 本章では、守景の子供たちの作品をご紹介します。

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