Vol.34
《椿彫木彩漆笈》
―祈りの椿
室町時代 16世紀 サントリー美術館
笈は、修験道の修行者が旅に必要な生活用具や仏像・仏具などを納めて用いたリュックサックです。中世から近世にかけて制作された日本の多くの絵画作品には、笈を背負った人物の姿を認めることができ、身近な道具であったことがうかがえます。
サントリー美術館が所蔵する《椿彫木彩漆笈》は高さ84.5cm、裾広がりの箱形に三本の脚が付いており、正面に観音扉がつくものです。この扉には椿の木、菊、籬などを彫りこんで、全体に黒漆を塗ってから、模様の部分は色漆で彩っています。
ここでは最も印象的な椿の花に注目してみましょう。十枚の花弁は五枚を二層に分けて互い違いに重ねた形で彫り出してから、黒漆を塗り、花弁の部分に朱漆を重ねます。花としては非常におおらかなデザインといえるでしょう。この傾向は、扉の左右に配された菊の花にもみられ、二層の花弁を重ねる形状は共通しています。その一方で、花弁に散る露と花芯は立体感をもって細かく彫り出し、金箔を貼っています。よく見ると露は緑漆が塗られた葉の部分にも無数に彫り出されており、金箔のきらめきが、扉全体を一層華やかに盛り立てています。
巧みな彫りと鮮やかな色漆の装飾が施されたこのような作品は、今日では「鎌倉彫」と呼ばれます。鎌倉彫とは、木製素地に彫刻を施し、その上に漆を塗って仕上げた漆工芸品を指します。その起源は鎌倉時代に禅宗に伴って中国から流入した「彫漆(様々な色の漆を何層も塗り重ねた上から彫刻する技法)」に倣ったものといわれています。
実は鎌倉彫による笈は、東北を中心に複数件確認されています。興味深いのは、いずれも本作品とよく似た椿が見られることです。恐らくは同じ工房で作られたのでしょう。では、椿にはどのような意味があるのでしょうか。
椿は古くから魔除けの聖木として知られてきました。毎年2月20日からの前行に始まる奈良・東大寺の修二会(お水取り)では、椿の造花をつくり、須弥壇の四隅を飾ることが伝統とされています。この笈に彫刻された椿にもまた、仏を荘厳し、魔を払う祈りが込められていたのかもしれません。
2026年2月25日
出典:『サントリー美術館ニュース』Vol.295, 2023.12, p.6