こころの中で見事にリンクしている曲とカクテルがある。曲は『白いサンゴ礁』、カクテルは「シティ・コーラル」である。
熱射の夏が来れば想い浮かぶのは南の楽園。はるかな海と遠い空の碧い世界が脳裏のスクリーンに映り込む。あるいは水の青さとプールサイドの白の鮮やかなコントラストか。これは毎年恒例のわたしの夏のイメージ映像だ。それとともに子供の頃に聴いた想い出深い曲がよみがえる。
1969年。小学校の高学年だった。ズー・ニー・ヴーというグループ・サウンズ・バンドの『白いサンゴ礁』がヒットする。
いま聴いてもとても爽やかなサウンドだ。とはいえイントロのハモンドオルガンの奏でるメロディーに懐かしさが香る。それにつづいてビートを刻むドラムスが“海へ行かなくちゃ”とこころ躍らせ、レコードをかけている部屋では吹くはずもない海風がそよぐ。
驚くほどピュアな歌詞でもある。いつか真実の愛をみつけたなら、愛する人と南の果ての海に眠る白い珊瑚礁を訪れるだろう、というものだ。若者の素直な心情を明るく謳っている。やたら説明くさくない、いまの時代にはない、明快で爽快感あふれる青春ソングである。
1970年代、夏になると街にこの曲がよく流れていた。この間、わたしは中学、高校、大学へと進んだ。日本は随分と豊かになり、海外旅行へ出かける人が増えていく。航空会社、旅行会社が仕掛けたことが大きい。
お金と時間に余裕のある人たちは欧米へのツアーへと向かう。一方、団塊の世代たちが社会人となり、お金が貯まると南の島へ出かけた。ハワイ、グアム、サイパン、タヒチが人気となる。若者にとっては欧米に行くよりも近くてはるかに負担が少ない。『白いサンゴ礁』への憧れもあった。
そして同時期のアメリカではホワイト・レボリューション(白色革命/ホワイトスピリッツ・ブーム)が巻き起こっていた。日本では1960年代後半からフィズブームが到来したのだが、これは白色革命の前触れだった。
1974年、アメリカでウオツカが伸長。スピリッツ市場でバーボンウイスキーを抜いてトップの座を獲得する。「ソルティ・ドッグ」「ブラッディ・メアリー」「スクリュードライバー」「モスコー・ミュール」といったカクテルがよく飲まれるようになっていく。それにディスコ・ブームが拍車をかけ、日本のディスコ・シーンにも見事にはまり、人気ドリンクとなる。
なんといっても飲み口のよさ、そしてスピード感である。
さらに海外旅行ブームが新たなシーンを生む。1970年代後半からトロピカルカクテルが紹介されるようになる。南の島でトロピカルカクテルを味わった若者たちが、新たに生まれたカフェバーという空間(トロピカルな内装が多かった)を楽しむようになる。
サントリーでは1979年から84年まで、夏にトロピカルカクテル・キャンペーンをおこなった。いちばん人気はウオツカベースの「チチ」。次にはホワイトラムベースの「ブルー・ハワイ」や「マイタイ」。グラスにはカットしたパイナップルやハイビスカスの花をあしらったりしていた。
メロンリキュール「MIDORI」が誕生したのが1978年。2年後の80年に松田聖子の『青い珊瑚礁』がヒットするが、その年にカリブ海産ライトラムがベースのココナッツ風味豊かなリキュール「マリブ」(MALIBU)が発売された。これはまさに時代が生んだリキュールといえよう。
アメリカ西海岸の高級リゾート地でサーフィンの聖地でもあるマリブ・シティにちなんでのネーミングであり、オレンジジュースやコーラをはじめ大概の割材とマッチする。このミキサビリティが若者たちに愛され、たちまちにして大人気となった。
翌81年は大瀧詠一のアルバム『A LONG VACATION』が反響を呼び、ジャケットのイラストも話題となった、そう、あの頃のことである。