Liqueur & Cocktail

カクテルレシピ

シティ・コーラル Recipe City Coral

ビーフィータージン 20ml
ミドリ 20ml
グレープフルーツジュース 20ml
ブルーキュラソー 1tsp.
トニックウォーター 適量
シェーク/コーラルグラス
グラスをブルーキュラソーと塩でコーラルスタイルに仕上げる。
シェーカーにブルーキュラソーまでの材料を入れてシェークしてグラスに注ぎ、氷を入れ、トニックウォーターで満たす

ホワイトスピリッツとトロピカルカクテル

こころの中で見事にリンクしている曲とカクテルがある。曲は『白いサンゴ礁』、カクテルは「シティ・コーラル」である。

熱射の夏が来れば想い浮かぶのは南の楽園。はるかな海と遠い空の碧い世界が脳裏のスクリーンに映り込む。あるいは水の青さとプールサイドの白の鮮やかなコントラストか。これは毎年恒例のわたしの夏のイメージ映像だ。それとともに子供の頃に聴いた想い出深い曲がよみがえる。

1969年。小学校の高学年だった。ズー・ニー・ヴーというグループ・サウンズ・バンドの『白いサンゴ礁』がヒットする。

いま聴いてもとても爽やかなサウンドだ。とはいえイントロのハモンドオルガンの奏でるメロディーに懐かしさが香る。それにつづいてビートを刻むドラムスが“海へ行かなくちゃ”とこころ躍らせ、レコードをかけている部屋では吹くはずもない海風がそよぐ。

驚くほどピュアな歌詞でもある。いつか真実の愛をみつけたなら、愛する人と南の果ての海に眠る白い珊瑚礁を訪れるだろう、というものだ。若者の素直な心情を明るく謳っている。やたら説明くさくない、いまの時代にはない、明快で爽快感あふれる青春ソングである。

1970年代、夏になると街にこの曲がよく流れていた。この間、わたしは中学、高校、大学へと進んだ。日本は随分と豊かになり、海外旅行へ出かける人が増えていく。航空会社、旅行会社が仕掛けたことが大きい。

お金と時間に余裕のある人たちは欧米へのツアーへと向かう。一方、団塊の世代たちが社会人となり、お金が貯まると南の島へ出かけた。ハワイ、グアム、サイパン、タヒチが人気となる。若者にとっては欧米に行くよりも近くてはるかに負担が少ない。『白いサンゴ礁』への憧れもあった。

そして同時期のアメリカではホワイト・レボリューション(白色革命/ホワイトスピリッツ・ブーム)が巻き起こっていた。日本では1960年代後半からフィズブームが到来したのだが、これは白色革命の前触れだった。

1974年、アメリカでウオツカが伸長。スピリッツ市場でバーボンウイスキーを抜いてトップの座を獲得する。「ソルティ・ドッグ」「ブラッディ・メアリー」「スクリュードライバー」「モスコー・ミュール」といったカクテルがよく飲まれるようになっていく。それにディスコ・ブームが拍車をかけ、日本のディスコ・シーンにも見事にはまり、人気ドリンクとなる。

なんといっても飲み口のよさ、そしてスピード感である。

さらに海外旅行ブームが新たなシーンを生む。1970年代後半からトロピカルカクテルが紹介されるようになる。南の島でトロピカルカクテルを味わった若者たちが、新たに生まれたカフェバーという空間(トロピカルな内装が多かった)を楽しむようになる。

サントリーでは1979年から84年まで、夏にトロピカルカクテル・キャンペーンをおこなった。いちばん人気はウオツカベースの「チチ」。次にはホワイトラムベースの「ブルー・ハワイ」や「マイタイ」。グラスにはカットしたパイナップルやハイビスカスの花をあしらったりしていた。

メロンリキュール「MIDORI」が誕生したのが1978年。2年後の80年に松田聖子の『青い珊瑚礁』がヒットするが、その年にカリブ海産ライトラムがベースのココナッツ風味豊かなリキュール「マリブ」(MALIBU)が発売された。これはまさに時代が生んだリキュールといえよう。

アメリカ西海岸の高級リゾート地でサーフィンの聖地でもあるマリブ・シティにちなんでのネーミングであり、オレンジジュースやコーラをはじめ大概の割材とマッチする。このミキサビリティが若者たちに愛され、たちまちにして大人気となった。

翌81年は大瀧詠一のアルバム『A LONG VACATION』が反響を呼び、ジャケットのイラストも話題となった、そう、あの頃のことである。

グレープフルーツとMIDORIがハマる

こうした時代の流れのなかでカクテル「シティ・コーラル」が1984年に誕生する。創作者は上田和男(現・銀座『テンダー』オーナーバーテンダー)。ジンベースで、グラスを飾るブルーキュラソーと塩を施したコーラル・スタイルが印象的な世界的に知られる作品だ。

上田は1981年、国際バーテンダー協会(IBA)がスイスで開催した世界カクテルフェスティバル日本代表として出場。「ファンタスティック・レマン」(清酒、オレンジやさくらんぼのリキュール、レモンジュース、トニックウォーターにブルーキュラソーを沈める)で銀賞を受賞している。

翌82年には、サントリー・トロピカルカクテル・コンテストにおいて『ウィキウィキ』(Wiki Wiki/テキーラ、バナナリキュール、グアバジュースなどを使用)でグランプリに輝いた。

つづいて「シティ・コーラル」。84年のIBAインターナショナル・カクテル・コンペティション予選を兼ねた、全日本バーテンダー協会主催カクテル・コンペティション優勝作品であり、これによって上田はドイツでの世界大会日本代表となる。

時代としてはトロピカルカクテルが人気であったし、都会派のお洒落でチャームングなスタイリングである。しかしながら大会では塩の味わいがいまひとつ受け入れらなかったという。

ドイツの空気感にそぐわなかったのかもしれない。レマン湖の深度と透明感のあるブルーを表現した「ファンタスティック・レマン」は開催国スイスの空気感とマッチしたのではなかろうか。

2000年代に上田の活動をはじめとして日本のバーテンダー技術の高さが世界に認められるようになった。遅まきながら「シティ・コーラル」も欧米で広く知られるようになったが、わたしにとっては1980年代半ばからずっと夏を感じさせるカクテルの代表格である。

スタイリングをはじめて目にしたとき、すぐにズー・ニー・ヴーの『白いサンゴ礁』を口ずさんだのを覚えている。

味わいは爽やかで心地よい大人のメロンソーダ。白色革命の象徴的カクテルのひとつ「ソルティ・ドッグ」的な組み合わせに、同じく一世を風靡していたメロンリキュール「MIDORI」を加えてトニックウォーターで満たす。

グレープフルーツとメロンの相性の良さを教えてくれ、珊瑚礁を模したコーラル・スタイルの塩味も見事にマッチしている。またブルーキュラソーの役割は色感を整えるためであろう。

ところがわたしは何十年経ってもこの名作をウンター席に座ってきちんと飲んだことがない。オーダーしても、上田は「あなたには似合わない」と言ってつくってくれない。街のバーで南の島の楽園気分を味わうことはできていない。それでも味わいを語れるのは、あくまで仕事で、何度も写真撮影をおこなってきたからである。その度に試飲してきた。

一度でいいから、『白いサンゴ礁』を聴きながら飲んでみたい。

イラスト・題字 大崎吉之
撮影 児玉晴希
カクテル 新橋清(サンルーカル・バー/東京・神楽坂)

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ミドリ メロンリキュール
ミドリ メロンリキュール

ビーフィーター ジン
ビーフィーター ジン

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