
1980年前後のこと、日本ではトロピカル・カクテルがブームとなった。それとともにTiki(ティキ)という言葉が急に街にあふれ出した。
前回エッセイで、1970年代からの海外旅行への高まりが若者たちを太平洋の南の島へと導いた、と述べた。ハワイ、ガム、サイパン、タヒチなどの島で味わったトロピカル・カクテルが国内でも人気となる。南国風の内装を施したレストラン・バーが次々に生まれたのだ。そこからティキという言葉やティキ風の装飾のものを目にしたり耳にするようになった。
ティキはニュージーランドの先住民族マオリの言葉であり、ポリネシアの島々に伝わったようだ。神話によれば、ティキは“地球で最初の人間”ということらしい。古代には神々を人間の姿で表した木像もしくは石像を、聖なる場所に魔除けとして置き、崇めていたという。やがてハワイにも伝わり、さまざまな神をティキで表して崇拝するようになったそうだ。
とはいえ、わたしはいまひとつ理解できていない。言えることは、日本にはティキ・ブームがかなり遅れてやってきたということだ。南の島への旅行が増えたことで日本にやっと上陸したのである。
アメリカでは禁酒法(1920−1933)が解けたばかりの1934年からティキのムーブメントが見られる。
それはカリフォルニア州ハリウッドに『ドンズ・ビーチコマー』というポリネシア風の小さなバーが開店したことにはじまる。経営者はアーネスト・レイモンド・ボーモント=ガント(Ernest-Gantt/1907−1989)という若者であったのだが、その前歴はさまざまなエピソードで彩られており、どこまでが真実か判然としない。
彼のことは、カリブ海や南太平洋を放浪した、禁酒法下では優秀なラムの密造家、密輸業者であった、などと語られている。店のドリンクにはラムをふんだんに使い、店内はポリネシアをはじめとした南国の島を旅して集めた品々があふれるほどに飾られていた。バーの初期のキャッチフレーズは“楽園に行けないなら、私が連れて行ってあげる!”だった。
カラッと乾燥した新しい映画の地ハリウッドに、カリブと南太平洋を融合した映画のセットのような店がうまくハマったといえるかもしれない。
しかも彼はカリブのラム・パンチの配合を熟知していた。禁酒法解禁直後のこと、ラムは最も安価な酒で入手が簡単なこともあり、彼がマジックのように仕上げる美味しいカクテルに客は魅了された。
配合比を10とした場合、酸味1、甘味2、強3、弱4というもので、南カリフォルニアではナツメグ、シナモン、クローブ、ライム、オレンジ、パイナップルといった素材の入手が容易だった。客の“強いヤツ”というオーダーに応えて「ゾンビ」という恐ろしいカクテルを創作してもいる。
エキゾチックなカクテルや店内装飾によって大人気となると、彼は自分自身を店名と同じドン・ビーチ(Donn Beach)と改名する。
顧客にはチャーリー・チャップリン、マレーネ・ディートリッヒ、クラーク・ゲーブル、ハンフリー・ボガートからハワード・ヒューズ、フランク・シナトラといった著名人たちが名を連ねた。

もう一人、ティキを広める大きな役割を担った人物がいる。ビクター・ベルジェロン(Victor Jules Bergeron,Jr/1902−1984)。当初はオークランドで小さなレストランを営んでいたが、ドン・ビーチの店を訪れ、その魅力と成功に刺激されて彼もまたタヒチといった島々を旅したそうである。
ティキ・ムーブメントの祖は南太平洋での体験に基づいたドン・ビーチであるが、優れた宣伝術でティキを魅力的なビジネスへと高めたのはベルジェロンだった。店名はトレーダー・ヴィックス。レストラン兼ティキバーとして見事な手腕でチェーン化を成功させ、世界的な展開をみせた。
バーテンダーとしても優秀で「スコーピオン」をはじめ数々のトロピカル・カクテルを創作している。また「ホット・バタード・ラム」も彼の考案らしい。そして「マイタイ」に関してはドン・ビーチとともに考案者として名乗りあげている。自作だと互いに名乗りあげているものがいくつもあり、敬愛から友好的ライバルとなり、最終的には確執も生まれたようだ。
付け加えておくと、現在一般に知られている「マイタイ」のレシピはヴィックスのものであるようだ。
ドン・ビーチのほうは第二次世界大戦後にハワイへ移住する。彼の真骨長はビジネスよりも精神性やデザイン、バーテンダーとしての才能の発揮にあり、店のフランチャイズ化をすすめる最初の妻に不満があったらしい。
ワイキキに定住して「ポリネシアン・ビレッジ」(通称ワイキキ・ビレッジ)をオープンすると、巨大なガジュマルの樹にツリーハウス・オフィスを構えたりもした。
さらにはインターナショナル・マーケットプレイスの創設者としてその建設にも携わった。彼はハワイ観光業へ多大な貢献、足跡を遺している。マウイ島のラハイナ歴史地区の保存法制定にも重要な役割を担った。
さて、ドン・ビーチ作とされているカクテル「Chi-Chi」(チチ)を紹介しよう。「ピニャ・コラーダ」のウオツカ版として知られているが、当初のドン・ビーチのレシピはマカダミアナッツリキュールを使っており、「マカダミアナッツ・チチ」と呼ばれてれていた。しかしながらこのリキュールが入手できなくなり、いまのレシピに変化したのだと言われている。
材料はウオツカにパイナップルジュース、そしてココナッツミルク。ウオツカは「ジャパニーズクラフトウオツカHAKU」を使ってみたのだが、国産米100%のふくらみのある味わいが上手く調和している。パイナップル・ミルクの味わいがしなやかなふくよかさとなって口中をそよぐ。そして思いのほか軽やかな心地よい口当たりで、爽やかな南風がそよぐ。
ところで「Chi-Chi」はピジン言語であり、フランス語とポリネシア、さらには英語との接触言語らしい。ピジンとは共通の言語を持たない2つ以上の集団間で発達した、文法的に簡略された言葉のことだそうだ。
その昔「Chi-Chi」は“から騒ぎ”“わざとらしい振る舞い”を指したようだが、次第に形容詞として“シックで洗練された”、名詞として“気取ったこだわり”といった意味に変化したようだ。
まあ、そんな話はどうでもいい。南の島の気分に浸るにはもってこいのカクテルである。それとティキを身近に感じたかったら、ティキ・マグ・カップを入手するといい。