サワー(Sour)とは、酸っぱい。カクテルの分類においては、ブランデーやウイスキーなどのスピリッツをベースに、レモンジュースをはじめとした柑橘類の爽やかな酸味と砂糖といった甘みを加えてつくるものとされる。トラディショナルでシンプルなスタイルである。
何度も述べてきたが、ジェリー・トーマスが1862年にニューヨークで刊行した『The Bartender Guide』には、すでに「ブランデー・サワー」「ジン・サワー」が掲載されている。
ほんの少しばかり遅れて文献に登場するのが「ウイスキー・サワー」で、いまのところ1870年が初出とされている。アメリカ・ウィスコンシン州の新聞『Waukesha Plain Dealer』(ウォキショー・プレーン・ディーラー)に言及があるのが最古とされている。
今回はウイスキーベースのサワーのなかでも、わたしにとって、とてもこころに響くカクテル「ニューヨーク・サワー」を紹介しよう。日本ではあまり知られていないが、アメリカではよく飲まれている。
何故こころに響くのか。ちょっとばかり長い話になる。
サワーの歴史を調べていたら、「ウイスキー・サワー」が人気となったのがアメリカ禁酒法時代(1920−1933)であったと知る。この間、乱立したのがもぐり酒場(Speakeasy)だった。人々は隠れ家で官憲の目を盗んで酒を飲んでいた。そして禁酒法が解禁されたときには「ウイスキー・サワー」はスタンダードの地位を固めていたのである。それを知ったとき、もぐり酒場の佇まいが記憶のスクリーンに映し出されたのだった。
1987年にわたしはマンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジの酒場を取材した。名高い『チャムリーズ』(Chumley’s)にも行った。1922年、まさにもぐり酒場として開業した店である。
ここにはユージン・オニール、E.E.カミングス、F.スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、スタイン・ベック、サリンジャーといった作家たちが顔を見せた。俳優、画家、ミュージシャン、ダンサーたちもやってきた。1950年代には、60年代のカウンターカルチャー運動のヒッピーたちに影響を与えたビートニック作家たちが集った。
長く愛されたが、2007年に建物が老朽化して閉店を余儀なくされる。たしか10年ほど経って、新しいオーナーで再出発したと噂で聞いた。しかしながら新型コロナのパンデミックの影響で完全に幕を閉じたらしい。
このもぐり酒場の記憶から、同じグリニッジ・ビレッジにあるギター・ショップ『カーマイン・ストリート・ギター』が結びついたのだった。
リクレイムドウッド(Reclaimed Wood/古材再利用)・ギターで知られる店主のリック・ケリーは、古い建物の取り壊しや改修工事がされている現場へ行き、無料で廃材をもらってくる。いわく付きの宿屋やミュージシャンたちが定宿にしたホテル、歴史ある酒場、ニューヨーク最古の教会トリニティ・チャーチなど歴史的建造物の古材を使ってギターをつくっているのだ。
リックは『チャムリーズ』の廃材からボブ・ディランのギターを製作している。ディランも『チャムリーズ』を愛した一人で、そのギターのボディに付いていたシミを「俺がこぼしたビールのシミだ」と言ったそうだ。
古材を“ニューヨークの骨”、そして“歴史の目撃者”とリックは呼ぶ。ニューヨークの文化を育んだ大切な骨組みの一つであり、傷跡や焦げ跡、ヤニやシミ、すべてに歴史があり、材には物語が宿っていると語る。
リックはボブ・ディランをはじめ故ルー・リード、パティ・スミスにキース・リチャーズなど名高いギタリストに愛され慕われてきている。















