Vol.36
津軽こぎん刺しにみる
密やかな「私らしさ」
津軽こぎん刺しは、現在の青森県津軽地方において江戸時代後期以降、農村の女性たちの手によって育まれた技法です。1mmにも満たない麻布の経糸を奇数目に拾いながら、緯糸に沿って刺し綴るという作業を一段ずつ繰り返すことにより、多彩な幾何学模様を表しています。当館が所蔵する津軽こぎん刺しの着物や身頃(計30件)は、青森県弘前市出身の作曲家・民俗音楽研究家・郷土玩具の収集家である木村弦三(1905~78)氏から一括して譲り受けたものです。そのなかには、稀少価値が高い「三縞こぎん」のほか、汚れた部分を隠すため全体を藍色で染め直した「染めこぎん」や、擦り切れた部分を補強するため全体に刺し子を重ねた「二重刺しこぎん」などが含まれます。件数は少ないものの、収集の来歴が明らかであり、こぎん刺しの特徴を網羅的に理解できる貴重なコレクションといえます。
さて、津軽こぎん刺しの模様は「モドコ」とも呼ばれる基礎的な単位模様と、それを囲む流れ模様を無数に組み合わせて構成されています。モドコは約40種あるといわれ、「猫の足」「べこ(牛のこと)刺し」「馬の轡」「鼠の歯」「花こ」など、農村の女性たちにとって身近なものに因んだ名が付きます。例えば、《東こぎん身頃》の全面に刺し表されているモドコは「てこな(蝶のこと)」です。刺し間違えが多いので、本作の刺し手は決して上手ではなかったかもしれませんが、彼女の刺す「てこな」は実に魅力的です。というのも、一つ一つをよく見ると、特に右の前身頃の肩山付近の「てこな」は定形を示しますが、刺し進めるごとにその形が様々に変化しているのです[部分拡大・書き起こし図]。「てこな」の形の移ろいは、ああでもないこうでもないと「私らしい『てこな』」を求めて試行錯誤する、好奇心旺盛な刺し手の心情を映し出すかのようです。本作は、農村の女性たちにとって、津軽こぎん刺しが密やかな自己表現の場であったことを示す好例といえるかもしれません。
2026年2月25日
出典:『サントリー美術館ニュース』Vol.297, 2024.6, p.6