Vol.28
《藤袋草子絵巻》
―耳をすませば
一巻(部分) 19.8 ×1360.7cm
室町時代 16世紀 サントリー美術館
昔むかし、近江国(現在の滋賀県)に住む老夫婦は、道端で捨て子を拾い美しい娘に育てました。お爺さんは畑仕事の辛さから「誰か手伝ってくれたら娘を嫁がせるのになぁ」とつぶやくと、猿がやって来て農作業を手伝い、娘を山奥へと連れ去ってしまいました。猿たちは、娘のために木の実を採りに行く間、娘を藤の蔓で編んだ袋に入れて木に吊るします。しかし、通りかかった狩人によって娘は救出され、やがて娘は狩人と結婚。老夫婦も幸せに暮らしたといいます。
上の図は、泣いてばかりいる娘を慰めようと猿たちが酒宴をひらく場面です。絵巻といえば、物語の文章(詞書・ことばがき)と絵のパートが交互にくり返されますが、本絵巻は、絵のなかに「画中詞(がちゅうし)」も伴います。まるでマンガの吹き出しのように猿たちのせりふが書き込まれ、にぎやかな宴の様子が伝わってきます。
さらに、聞こえてくるのはおしゃべりだけではありません。朱漆の瓶子(へいし)で酒を注ぐ猿の横には画中詞で「ドブ、ドブ、ドブ」、そして囃子方(はやしかた)の猿には、大鼓 「ヤオ、アオ」、太鼓「テイ、テイ、ツ、テイ」、横笛「ヒョロ、ヒョロ」と擬音や楽器のリズム、旋律まで書かれています。
『源氏物語』も音楽描写が豊富な作品として有名ですが、実は音色の擬音表現は一切見られません。文字資料として知り得るかぎり、楽器の音を写す擬音語の登場は室町時代まで下るといわれ、狂言台本の謡のなかにお囃子の擬音が記されています。あるいはかつて、江戸時代以前は、楽器特有の音を口で唱えて覚える「唱歌(しょうが)」が楽譜であったように、本絵巻での「ヒョロ、ヒョロ」といった画中詞が、楽譜の音そのものであるとも考えられるでしょう。
室町時代に成立した狂言は、「せりふ劇」とも称されるように、舞台背景や擬音効果をすべて役者の言葉によって表しています。「ドブ、ドブ」もその一例であり、お酌をする表現として、狂言「木六駄(きろくだ)」などに登場します。
すなわち本絵巻は、狂言の演出を巧みに取り入れ、実に演劇的な、臨場感あふれる情景を描き出しているのです。猿の世界とはいえ、彼らが教えてくれる室町時代の音風景を、ぜひ耳をすましてご鑑賞ください。
2025年3月7日
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.289, 2022.8, p.6