Vol.25
夜を駆ける
渡辺始興筆《氷室の節供図》

一幅 紙本淡彩
江戸時代 18世紀 サントリー美術館

真夏の日に食す冷たい氷菓は「涼」を感じられる貴重な食べ物です。江戸時代においても同様で、暑い時期の氷は非常に重宝されました。本作に描かれるのは夏の氷をめぐる逸話です。
山々の上にそびえる雄大な富士がモノトーンを基調とする画面に表されています。右下には籠を担いで走る十名の一行が淡彩で描かれ、前後に掲げられる松明の炎が画面にアクセントを加えています。かつて旧暦6月1日は「氷朔日(こおりのついたち)」・「氷室の節供」などと呼ばれていました。氷室とは冬の氷を夏まで貯蔵する室のこと。朝廷では古くから氷室の氷が献上され、鎌倉時代には富士の雪が幕府に貢がれました。江戸時代には徳川家康が6月1日に駿府城で富士の氷を配った記録が残ります。また、加賀藩前田家による江戸城への雪氷の献上は夏の風物詩として広く知られました。江戸の人々は氷の代わりに氷餅(寒ざらしの餅)を食べたそうです。本作にはまさに氷室の使いが雪氷を運ぶ様子が描かれています。
本作においては夜景表現も見所のひとつです。本来夜ならば見えないはずの風景や人物がはっきりと確認できますが、伝統的な日本絵画では、明るい景色ながらも月を描いて夜を表したり、銀彩や群青で夜景を暗示させたりしました。本作では墨の濃淡で描かれた景色の中の燃える松明が夜を示す記号となり、夜通し闇の中を駆ける氷室の使いを巧みに表したのです。
作者の渡辺始興(わたなべしこう 1683〜1755)は、諸芸に通じた公家近衛家熙(1667〜1736)に仕え、江戸中期の京都画壇を代表する絵師です。狩野派・やまと絵・琳派・写生画など幅広い画風を手掛け、本作のような江戸狩野風の作品も多く残しています。本作には、ほぼ同じ図様の森一鳳(1798〜1871)の作品(静岡県立美術館蔵)が知られ、そこには英一蝶(1652〜1724)の絵を写したという款記があり、本作の源流も一蝶作品に求められるようです。狩野派に学んだ一蝶は、軽やかで洒脱な画風で知られますが、本作の氷室の使いも軽妙さや滑稽味があり、一蝶作品との関連も納得されます。
2025年3月7日
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.285, 2021.10, p.7