Vol.24
《薩摩切子 藍色被船形鉢》
―先人とともに語らうよろこび―

江戸時代 19世紀中頃 サントリー美術館
1960年8月24日付の読売新聞の「ガラス芸術二題」と題されたコラムのなかに、「中国のコウモリとイギリス風のカットをまじえた薩摩ガラス」という図が掲載されています。この図に描かれているのは、現在当館が所蔵する《薩摩切子 藍色被船形鉢》です。複雑な文様を卓越したカット技術で表現した本作は、当館のガラス・コレクションを代表する名品です。今回は「知られざる名品」というテーマの変化球として、この図を手掛かりに、これまでと違う角度から本作を味わってみたいと思います。
この図を描いたのはガラス作家の岩田藤七(1893〜1980)です。藤七(*)は日本におけるガラス芸術の先駆者として知られる人物ですが、そんな彼が、どのような経緯でこの図を描いたのでしょうか。
実は本作が当館に収蔵されたのは1977年のこと。この図が掲載された1960年には、本作は旧蔵者である彫刻家・朝倉文夫(1883〜1964)のもとにありました。日本近代彫刻を牽引した人物の一人として知られる朝倉は、ガラスのコレクターとしても著名でした。「大正の初期に、島津公の銅像を依頼され、鹿児島滞在中に骨董屋漁りをやつたおり、薩摩ガラスと称するカットグラスを見て、病みつきになつた」(「日本のガラス」『民藝』通巻43号、1956年)ことがその収集のきっかけと言います。
藤七は朝倉のことを大変慕っていました。「朝倉先生の大正から昭和へかけての乾隆ガラスの収集品には多くの暗示を受けた」(「ガラス拾遺」『藝術新潮』通巻204号、1966年)と語っていることから推測するに、おそらく藤七は、朝倉のもとで様々なガラス作品を見せてもらうなかで本作に出会い、スケッチを残したのでしょう。
こうした朝倉と藤七の関係をふまえて本作を眺めると、「カットがすばらしい」「この文様が実におもしろい」など、二人が作品を前に熱く語り合っている姿が想像できるのではないでしょうか。あるいは自分自身も彼らと共に作品を味わい、語り合っているかのように感じられるかもしれません。作品が、そして作品を愛でる心が、先人たちと今を生きる私たちを繋いでくれるのです。
* 岩田藤七とその息子・久利、久利の妻・糸子はいずれもガラス作家として活躍したため、苗字ではなく名前で表記されることが多い。本稿でも慣例に従い名前で表記した。
2025年3月7日
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.284, 2021.8, p.7