うえの はなみ かぶきず びょうぶ
上野の花見と歌舞伎の舞台という二つの主題を取り合わせ、一双の屏風に仕立てた作品。落款は無いが、その画風から菱川師宣の工房で作られたと考えられている。中屏風の小さな画面にモチーフが丁寧に描き込まれており、工房作であったとしても質は高く、師宣自身に近しい絵師が筆を執ったと推測される。 右隻の上野図では、桜の花が咲き誇る中、人々が花見を楽しんでいる。右端に黒門、中央に仁王門、その右上に清水堂、経蔵、左端の担い堂と、寛永寺の伽藍が分かりやすく表現される。仁王門の奥では幔幕を張って緋毛氈を敷き、酒宴が行われている。朱色の大盃を傾ける上半身を脱ぎ、すっかり上機嫌だ。手前には三味線、鼓、笛、太鼓などの伴奏に合わせて輪舞をする集団が見える。食籠や銚子、盃が置かれているので、少し前まで宴会をしていたのであろう。左下では幔幕と屏風で周囲を囲い、大尽が芸者をはべらせて酩酊している。賑やかな花見の宴の雰囲気が伝わってくる。 左隻は歌舞伎の舞台を大きく描き、右端に芝居小屋の木戸口を配している。木戸口上の櫓に「きやうけんつくし 中村かん三郎」と記されていることから、中村座のい取材していることが分かる。小屋の前に掲げられた看板には「谷嶋主水」「さる若かん三良」「袖岡政之助」の名前が見える。江戸で谷嶋主水が出演する可能性があるのが元禄五年(一六九二)以降、袖岡政之助が元禄六年(一六九三)以降であること、また、師宣が元禄七年(一六九四)に没していることから、師宣の最晩年に制作された可能性が高い。本図の図様や構図は師宣本人の作である可能性が指摘されている《歌舞伎図屏風》(東京国立博物館)と類似しており、師宣工房の人気画題であったと思われる。舞台で行われているのは一座の役者全員が参加する「総踊り」で、演目の最後を飾るクライマックスであったと思われる。左端の桟敷席には身分の高そうな女性たちが集まり、重箱に入れたお菓子をふるまわれている。桟敷席の手前には武士らしき男たちがおり、若衆や女方の役者を呼んで宴をしながら、舞台を鑑賞している。本作の花見や歌舞伎の景は、当時の娯楽が飲食や音曲、歌舞と深く結びついていたことを端的に物語っている。(『リニューアル・オープン記念展Ⅰ ART in LIFE, LIFE and BEAUTY』、サントリー美術館、2020年)
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