らくちゅう らくがい ず びょうぶ
洛中洛外図は、京都市内とその郊外を俯瞰的に捉えた作品で、16世紀初頭から17世紀にかけて数多く制作された。本屛風の右隻では祇園祭の山鉾巡業、左隻では寛永3年(1626)9月6日に行なわれた後水尾院の二条城行幸の様子が描かれる。慶長年間に生まれた洛中洛外図の新定型では右隻に内裏、左隻に二条城が配されたが、行幸はその二条城に関連して描かれるようになり、後に9月の風物として祇園祭などと組み合わされて描き継がれていった。本作においても右隻第五・六扇の内裏から、左隻第三・四扇の二条城に向って行列が堀川通を進む様子が描かれるが、形式化された描写からは、行幸からしばらくたった後に、寛永年間の様子を回顧的に描いたものと思われる。この行幸は江戸幕府の威光を人々に示すべく計画されたもので、大御所徳川秀忠と三代将軍徳川家光が後水尾天皇や中宮和子らを二条城に招き、5日間にわたって舞楽、和歌、能楽、管弦など最高級のもてなしが繰り広げられた。この行幸を準備段階から統括していたのが伏見奉行の要職にあった小堀遠州で、二条城二の丸御殿、庭園、行幸御殿の造替、武将たちの滞在の計画、京都周辺市街の整備、行幸中の饗応など多岐にわたる業務にあたっていた。また、行幸の実現には折衝役となった尾張徳川家の徳川義直と近衛信尋をはじめ、両者に血縁や主従関係のある人物や、公家と武家の両方に出入りしていた文化人が多数関わっていた。身分を越えた幅広い交流を持つ寛永期の文化人のサロンは、公武間の情報を交換する場となっていたのであり、大御所秀忠は、彼らのネットワークに依拠して行幸を成功に導こうとしたのではないかとの指摘がなされている。(『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』、サントリー美術館、2018年)
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