ちゃしゃく めい まつのみどり
撓めが強く、尖りながら露に到る丸櫂先を持ち、節上には樋が通り、胡麻の斑が控えめに景色を作る優美な茶杓である。銘の「松緑」は、その松葉を思わせる姿形からの連想であろうか。源宗于の「ときはなる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり」などの和歌によるものだろう。一方の筒は胡麻竹を粗く削り、自由な変化をつけたもので、「松緑」「長嘯」の銘を書き入れる。作者の木下長嘯子(1569-1649)は豊臣秀吉の正室高台院(北政所・おね)の兄である、木下家定の長男として生まれた。豊臣一門の武将として活躍したが、関ヶ原の戦い後に所領を没収されてからは京都東山に隠居し、長嘯子と称した。細川幽斎、松花堂昭乗、小堀遠州、伊達政宗、藤原惺窩、林羅山らと交流し、茶の湯も愛した。箱書をした三宅亡羊(1580-1649)は江戸初期の儒者で茶人。堺の名族に生まれたが、後に京に上って儒者として活躍、無位無官ながら後陽成院、後水尾院に進講するほどの名声を得た。茶の湯や聞香にも造詣が深く、千宗旦に学び、宗旦四天王の一人に数えられることもある。遠州の茶会にもたびたび出席しており、特に寛永3年(1626)とみられる9月22日の遠州の茶会には近衛信尋、三宅亡羊、藤堂高虎が揃って出席している。これは寛永3年9月6日から10日にかけて行なわれた後水尾院二条城行幸に関係する公武の代表者を招いたものだったとみられ、亡羊は両者の仲立ちのような形で呼ばれたものとされる。このように寛永の文化人は身分の差を越えて親交を結び、時には公武間を取り持つなど重要な役割を果たした。彼らの交流の主な手段の一つが茶の湯だったのであり、本作はそうした寛永の文化サロンの生き証人であると言えよう。(『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』、サントリー美術館、2018年)
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