ロングインタビュー

Sunbirds Column

20260430日(木)

Vol.9 「今季は1人1人が自立している。今までできたことをチャンピオンシップの舞台でも発揮するだけ」小野寺太志

Vol.9 「今季は1人1人が自立している。今までできたことをチャンピオンシップの舞台でも発揮するだけ」小野寺太志

運命を変えた中3の夏。
"安心感"の男・小野寺太志の原点

 SVリーグ・レギュラーシーズン最終節4月17日の東京グレートベアーズ戦で、サンバーズは、昨季はわずかに届かなかったレギュラーシーズン優勝を果たした。第1セットを奪って1位を確定させた瞬間、コート上にいた6人は笑顔で輪になり、ピョンピョンと跳びはねてささやかなセレブレーションを行った。しかしコートチェンジするとすぐにまた次のセット、次の1勝に照準を当てた。
 その輪の中にいたミドルブロッカーの小野寺太志も、またいつものように粛々と自分の役割に徹した。
 レギュラーシーズン優勝は、「あくまで通過点に過ぎない。チーム全員、最終的な目標はチャンピオンシップ優勝、連覇なので」と小野寺は言う。
 一方で、手応えのあるレギュラーシーズンだったことも事実だ。
 「イエゴ(イゴール・クリュカ)や関さん(関田誠大)、小川(智大)という新しい戦力を加えながら臨んだシーズンでしたけど、その中で連勝記録(29連勝)を含め、勝ち星を多く重ねることができたのは何よりもよかった。一つ、レギュラーシーズン優勝という形として残せたのはよかったかなと思います」
 最終的にサンバーズは40勝4敗でレギュラーシーズンを制し、5月に行われるチャンピオンシップに、連覇をかけて挑む。1位通過のサンバーズはセミファイナルからの参戦。クォーターファイナルを勝ち上がり勢いを持って挑んでくる相手と対峙する舞台で、小野寺の存在はこれまで以上に重要性を増すだろう。
 「太志さんが出ているとチームが落ち着くし、周りの信頼を勝ち取っている感がすごい。
 同じミドルブロッカーの佐藤謙次がこう話していたように、小野寺がコートの真ん中にいる安心感は絶大だ。それはサンバーズだけでなく、日本代表でも同様。今や日本トップレベルのミドルブロッカーとなった小野寺に、改めてこれまでのバレー人生を振り返ってもらった。

ー日本を代表するミドルブロッカーとして存在感を放っている小野寺選手ですが、ここに至る転機は何だったと思いますか。
一つ目は、やっぱりバレーボールを始めたことですね。中学までは野球部で、全然バレーをやるつもりはなかったですから。でも中3の夏に野球部を引退したあと、親父に「JOCカップ(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)の選考会があるから、太志行きなさい」と言われました。両親がバレーをしていたこともあって。そこから約1ヶ月後の選考会に向けてバレーを始めたのが最初でした。はじめは嫌々だったんですけど、出会ったチームメイトやスタッフの先生たちにすごく丁寧に教えてもらえたから、少しずつ楽しくなって......。そこをスタートに、東北高校から推薦の話がきたり、東海大学やJT(現広島サンダーズ)に進むという道が作られていきました。

ー それまではご両親からバレーを勧められることはなかったんですか。
最初は、僕にもバレーをして欲しいのかなと思っていたんですけど、母は「バレーをさせたくない」と言っていました。昔バレー選手だった時に、スパルタ指導の環境で、怪我もして、それで嫌になって辞めていたので、僕にはやらせたくなかったみたいです。でも親父は「やっているところを見てみたい」という思いがあったようです。
 自分はもう当時から身長が大きかったし、「小野寺の息子がデカい」というのは宮城県のバレー関係者の間で知られていたらしく、中2の時もJOCカップの選考会に誘われました。その時は野球をやっていたので断りましたが、中3でもまた同じ話が来た。その時は野球部を引退していたので、家族の中で「進路も含めてどうする?」「太志はどうしたいの?」という話になりました。
 その時の僕は、普通にどこか高校に進学して、野球をなんとなく続けて、でも野球でプロを目指そうとまでは思っていなかったから、その後はなんとなく大学に進んで、なんとなく社会人になって、というアバウトなイメージしかありませんでした。たぶん両親は「このままじゃダメだ」となったんでしょうね。だからバレーをやってみてもいいんじゃないかと思ったんじゃないでしょうか。

ー 選考会まではどうやって練習を?
最初は、親父の知り合いの先生がいた尚絅(しょうけい)学院大学の女子バレーチームの練習に、素人ながら混ぜてもらっていました。最初はめちゃくちゃ嫌でしたけどね。それこそ思春期まっただ中なので、女子大生と一緒にやるなんて、すごく抵抗がありました(笑)。
 それに当時は身長もコンプレックスでした。すでに2m近くあって、周りの子達と並ぶと頭二つ以上違って目立つのが嫌だった。野球部だったら、小学生の頃から僕を知っているやつらがいたから、「太志はおっきいもの」として普通に接してくれたけど、異世界に入っていくと僕のことを知らない人ばかりですから。

ー それでも「もう嫌だ。バレーの練習には行かない」とはならなかったんですね。
そうですね。親父に逆らえなかった(苦笑)。怖かったというか、あまり喋るタイプではなく結構無口だったので。どう断ろうかと考えたりしましたけど、「体調が」とか、変な嘘ついてもな......という感じで。

ー そして選考会に受かり、JOCカップの宮城県選抜に入ったんですね。
まあ身長が大きかったからというのはあると思います。育成の意味合いもある大会だと思うので。そのJOCの(宮城県代表)チームに入った時も、周りの選手たちは「急におっきい素人が来た」という感じだったと思いますが、その時のメンバーは本当によくしてくれました。空いている時間に僕の練習に付き合ってくれたし、僕ができないからって怒ることもなく、ずっと優しく丁寧に教えてくれた。10月か11月ぐらいになってスパイクをちゃんと打てた時に、楽しくなりましたね。
 チームの練習場所は家から遠かったんですけど、毎回1時間弱ぐらいかけて親父が車で送ってくれました。両親は共働きで、当時は母が単身赴任で家にいなかったので、親父と2人で生活していて、親父がご飯も作ってくれたし、家事を全部してくれていました。僕も食器洗いや風呂掃除などできることはしましたけど、ほとんど親父がやってくれて、お弁当も作ってくれた。そうやって献身的にサポートしてくれたこともすごく大きかったし、それがなかったらできなかったと思います。
1_R71115 HOME BLAZERS- 4139.jpg

世界を肌で感じたことで意識が変わり、プロに

バレーを始めるきっかけを与えた両親。そして、始めたばかりの小野寺が、レベルの違う選手たちの中に入っても「楽しい」と感じられるチームメイトに恵まれたことが、小野寺をバレーの世界に引き込んでいった。
 その後は強豪の東北高校でもまれ、ユースやジュニアなど世代別の日本代表にも次々に選出。やがてシニアの日本代表に定着する。最初は長身と器用さを見込まれて、上のカテゴリーへと周囲に引き上げられていたが、いつしか能動的に自分の意志で世界トップを目指すようになった。2023年のパリ五輪予選で五輪出場権を獲得した際、コートインタビューで「世界一のミドルになります」と宣言したのが象徴的だった。何が小野寺を覚醒に導いたのだろうか。

ー ご自身の中で世界トップを目指そうという欲が出てきたのはいつ頃でしたか。
代表に定着して、スタメンで出られるようになってからじゃないですかね。それこそ中3のJOCカップから始まり、高校も、ユースも、僕はずっと自分よりレベルの高い環境に入ることになって、その度にいつも「なんでこんなとこに俺がいるんだろう?」と思っていたんです。周りの先生や父兄の方も、「太志は日本代表になれるよ」とか「オリンピックに出られるよ」と言ってくださるんですけど、「何を見てそう思っているんだろう?」とずっと不思議でした。
 周りにはすごい選手がたくさんいて、同学年の石川(祐希)たちを見ていたし、1個上にも上手い人がいっぱいいた。そんな中で自分がユースなどに選ばれて、選ばれること自体は嬉しかったんですけど、「自分はそんなレベルじゃないのに」とずっと思っていました。
 それからもジュニアやU23、ユニバーシアードと選ばれていって、シニアの日本代表にも選ばれた。そこで一つ「シニアに選ばれる」という目標は達成できました。それから試合に出る、スタメンで出る、と段階を踏んで、スタメンで安定して出られるようになったのが2019年。ようやく、それまでイメージするしかなかった世界を肌で感じることができて、そこで変わりましたね。もっと高いレベルを目指したい、オリンピックに出たい、国際大会で活躍してメダルを獲りたい、世界一になりたい。そういう思いが出てきました。

ー それによって何が変わりましたか?
"プロ"になるという選択ができたのは、そういう国際大会で活躍したいという気持ちが出てきたからこそかなと思います。それまでは(JTの)社員でしたが、2021年の東京五輪が終わってからプロに転向しました。

ー 世界を相手にする上でも、守備やつなぎなどの細かいプレーも得意とする小野寺選手のオールラウンドなミドルというスタイルは武器になると思いますが、そういうプレーも得意にできたのはなぜでしょうか。
レシーブ練習が嫌いじゃなかったというのはあると思います。嫌いじゃないから練習もたくさんやりましたし、苦手意識もなかった。高校の間に基礎をちゃんと作ってもらえたので、先生や先輩、チームメイトのおかげかなと。レシーブもスパイクもブロックもサーブも、チームの練習に最初から混ざってまんべんなく練習できたし、みんなと同じようにレシーブやトスもできなきゃダメだと思っていました。
 自分としては別にそこを強みにしている感覚はなかったんですけど、代表に入った時に、例えば(髙橋)健太郎のような高さがあるわけでもないし、ヤマ(山内晶大)のように身長があって手足も長いというタイプでもない。身体能力的には彼らのほうが上だと思うんですけど、それでも自分が出られているのは、サーブレシーブやつなぎの部分など、全体的なプレーのバランスを評価してもらえているからだと聞いた時に、「ああ、そこを評価してもらえたんだ」と気づきました。
R80405 HOME THUNDERS-6307.jpg

「太志さんいるからなー」とは思わないで欲しい

ー 小野寺選手は2023-24シーズンにサンバーズに加入し、以降チームはリーグ2連覇中で、今季もレギュラーシーズンを1位通過しました。小野寺選手から見て、昨季の強さと今季のチームの強さは違いますか?
僕が入った1年目は、(藤中)謙也さんと(藤中)颯志がパス(サーブレシーブ)を頑張ってくれて、(デアルマス)アライン、ディマ(ドミトリー・ムセルスキー)と僕がスパイクを決めたり、ディフェンスでつないでディマに持っていく、という感じのチームでした。昨季はそこに(髙橋)藍が入ってくれて、オレク(アレクサンデル・シリフカ)も来て、鬼木(錬)が成長して、というふうにいろんな要素が加わって、それまでのプレースタイの上に、攻撃や選手層に厚みが出せた。
でも今季は、これまで2シーズン優勝したチームとはまったく違うと思っていて。1人1人が、自立しているという言い方は変かもしれないけど、それこそディマに頼ってバレーをしているわけでもないし、関さんに頼ったり、藍に頼っているわけでもない。もちろん頼るシーンもあるけど、1人1人が自分の役割を理解している分、大崩れがないのかなと。だから誰かが出られない時も、大きく変わることはあまりないと感じます。
 見え方的には、例えば天皇杯ではディマと僕が出ていなかったり、(3月の)日本製鉄堺ブレイザーズ戦ではディマが、ジェイテクトSTINGS愛知戦ではイエゴがいなかったり、誰かが出られなかった時に負けたことがありましたけど、(甲斐)孝太郎がオポジットで出て勝った試合もあるし、イエゴじゃなく藍とアラインの対角でも勝っている。僕じゃなくて、謙次や(柏田)樹が入って勝った試合もある。シーズン無敗で終えられるチームなんてないので、負けることももちろんあると思います。相手も対策してくるので、その相手を上回らないと試合には勝てないんですが、それを相手に上回られたのが(レギュラーシーズンで)負けた4試合だったのかなと。

ー サンバーズの他のミドルブロッカー4人にもお聞きしたのですが、現状スタメンのミドルの1枠には小野寺選手が固定されていて、その対角の1枠を他の4人で争う形になっていることについて、どう感じていますか。
レベルが違うとか、そんなことは決して思ったことがなくて、ただ自分が試合で使ってもらえるために、自分のできること、例えばさっきも言ったような、レシーブやつなぎの部分で安定したプレーをすることが僕の持ち味なので、それをするだけだと思ってやっています。
そこで、例えば左利きのクイックが欲しいとなったら謙次が出るべきだと思うし、いいフローターが欲しいとなれば樹が、ブロックなら鬼木が、スピードではカッシー(樫村大仁)が、というふうになると思う。僕が彼らより勝ってるとは思っていないし、僕は彼らの成長もずっと見ているからこそ、彼らにポジションを取られないように頑張らなきゃいけないと思っています。純粋に、ライバル視というか、同じ目線でポジション争いをしているつもりです僕は。その上で負けないように。
 年齢の差はあれど、「太志さんいるからなー」とか「(ミドルの枠が)残り1つしかないな」とは思わないで欲しいし、それはチームにとっていいことではない。僕がダメだった時に安心して出せるような、練習の中からそういう争いができれば、チームとしての層もまた厚くなるかなとは思います。

ー いよいよ今季もチャンピオンシップが始まりますが、勝ち抜くためのポイントは。
やっぱりチャンピオンシップになれば雰囲気も違うし、相手の気合いの入り方も違うと思いますが、その中で自分たちの持ち味、強みを出して、いかに相手を倒していくかが大事。別にこれをしなきゃいけない、とかではなく、今まで通りというか、今までできていたことを、これからの舞台でも発揮するということが必要かなと思います。

ー 今季が終わってもバレー人生は続きますが、この先、選手としてやり遂げたいことは?
なんでもできるなら、オリンピックで優勝したいです。金メダルを獲って、バレーを1年でも長く続けたい。もう社員ではないので、1年でも長く、健康にプレーするということを大事にしていきたいと思っています。
1_修正R80110 AWAY H.THUNDERS-3507.png

謙虚な姿勢はずっと変わらないが、小野寺の言葉1つ1つに自信が漂っている。それはすべてのプレーを疎かにせず、丁寧に磨いてきたこれまでの過程と経験に裏打ちされた自信だ。相手が捨て身で挑んでくるチャンピオンシップも、変わらぬ小野寺の落ち着きが、チームにいつもの安心感をもたらすに違いない。
(取材・文 米虫紀子)

TOP