SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
【対談】谷真海×豊島英 氏「サントリー チャレンジド・スポーツ アスリート奨励金」第4期 東北エリア壮行セレモニー
「サントリー チャレンジド・スポーツ アスリート奨励金」、第4期の採択選手・団体が決まり、東北エリアの採択選手の壮行セレモニーを行いました!
私が司会進行を務め、トークセッションのゲストとして車いすバスケ選手としてご活躍された豊島英(とよしまあきら)さんにご出演頂き、
選手時代のお気持ちや次世代アスリートへエールを送って頂きました。今回はその様子の一部をお届けします。
――福島ご出身で、車いすバスケの強豪・宮城マックスに所属されていましたね。
はい。仙台には約10年間住んでいました。練習後にチームメイトと食事に行った思い出が多く、今でも印象に残っています。
――奨励金についてお伺いします。東北エリアで実施していた頃、豊島さんを応援させて頂いてました。当時はどのように活用されていましたか。
当時は日本代表強化指定選手で、代表合宿や国内遠征が多くありました。宮城マックスでの活動費や日本代表関連の費用など、日々のトレーニング環境を支えていただき、とても助かっていました。
――若い頃は資金面で大変なことも多かったのではないですか。
そうですね。プロではなかったので、基本的には自己負担でした。奨励金のおかげでジムに通ったり、トレーナーに指導をお願いしたりすることができ、本当にありがたかったです。
――車椅子バスケットボール用の競技用車椅子についても教えてください。
市販のもので35万円ほどからありますが、私が使用していたものは50〜60万円ほどでした。
1〜2年で交換が必要になります。海外選手との接触も多く消耗が激しいため、サポートを受けながら定期的に新調していました。
――競技を続ける中で、困難を乗り越える原動力は何でしたか。
最初は純粋にバスケットボールが楽しく、上手くなりたいという気持ちだけでした。全国大会や世界大会を経験する中で、
立場や役割が変わり、モチベーションも変化していったと思いますが、辞めたいと思ったことはありませんでした。
東日本大震災や怪我、手術などで厳しい時期もありましたが、それでも続けたい気持ちの方が強かったです。
震災後は、福島や宮城、東北のために、自分の活動を通じて勇気や笑顔を届けたいという思いが、前に進む力になりました。
――震災後も宮城マックスは連覇を重ね、豊島さんはMVPにも3度輝きました。
震災後は選手の中にも被災した人がいましたが、地域や応援してくださる方々のために、もう一度優勝を目指そうとチームが一丸となって戦いました。その気持ちが連覇につながったのだと思います。
――東京パラリンピックではキャプテンとして銀メダルを獲得されました。
自国開催は選手人生で一度あるかどうかの舞台で、非常に特別でした。コロナ禍で1年延期になりましたが、準備期間が延びたことで競技面ではプラスに働いた部分もあり、結果につながったと感じています。
無観客だったことは残念でしたが、それでも多くの方の支えを感じながら戦うことができました。
――現在は日本代表の強化にも関わっていらっしゃいますね。
世界大会への出場が続いていない状況なので、まずは再び世界の舞台に立ち、日本の強さを示したいと考えています。選手たちも海外で経験を積んでいる選手も多く、今後が楽しみです。
――最後に、次世代のアスリートへのメッセージをお願いします。
私自身、中学生の頃に車椅子バスケットボールと出会い、さまざまなスポーツを経験する中で「一番楽しい」と感じた競技でした。皆さんも、すでにチャレンジのスタートラインには立っていると思います。
目標に向かう中で大変なこともあると思いますが、「今、自分に何ができるか」「誰のサポートを受ければ前に進めるか」を考えながら、諦めずに継続して取り組んでほしいと思います。

