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vol.5「やる気さえあれば、挑戦に年齢は関係ない」 パラ陸上(砲丸投げ) 大井利江選手

vol.5「やる気さえあれば、挑戦に年齢は関係ない」 パラ陸上(砲丸投げ) 大井利江選手

70歳になった今もなお、漁師だった誇りと故郷・三陸への思いを胸に、砲丸投げで自身5回目となるパラリンピック出場を目指す大井利江さん。あくなき挑戦を続ける日本のパラスポーツ界のレジェンドの1人に、今の心境を聞いた。

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── 大井さんは漁師をされていた頃に仕事中の大きな事故によって車いすになられたそうですが、そこからどのような経緯で陸上競技を始められたのでしょうか?

ミッドウェー沖での操業中に20kgの道具入れが後頭部を直撃して、頸髄損傷によって首と腕以外は動かなくなりました。それが39歳の頃。まさか自分がそんなことになるとは想像もしていませんでしたし、当時はもう、一生海に出られなくなったことに対して生きる術を見失い、完全に自暴自棄でしたね。そこから這い上がるきっかけをくれたのがスポーツでした。最初はリハビリで水泳を始めて、泳げるようになってから1年目くらいでしたでしょうか。50歳の頃に仲間からの誘いで陸上競技と出会って、円盤投げを始めたんです。

── そこに新しい人生の目標を見出された、というわけですね。

これが最初は投げても投げても全く思うようにいかないわけですよ。そんな中で年に1度か2度、本当に自分でも驚くくらいパーンと円盤が飛んでいくことがあって、その一瞬の気持ちよさを味わってからはどっぷり円盤投げにハマっていきましたね。そこからはプールで身体を支えてもらいながらの筋力トレーニングを繰り返すなど、体幹のバランスを重視した練習を積むうちにどんどん記録が伸びていきました。

── 元々身体を動かすのが好きだったそうですね。

スポーツは昔から大好きでしたよ。家庭の事情で中退しましたが、高校では野球をやっていて一応本気でプロを目指していましたから(笑)。それに、子供の頃から漁師だったおじさんにくっついてよく漁を手伝っていましたから自然と身体が鍛えられたところもありますね。

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── 2004年のアテネで、パラリンピックに初めて出場されたときはどんな印象でしたか?

それまでパラリンピックの存在すら知りませんでしたが、いざ出てみると、足がすくむっていうのはこういうことか! と。その規模の大きさと雰囲気にのまれましたね。それに海外の選手たちはみんな自分よりもはるかに体格が良くて、「この先彼らに勝つためには相当気持ちを強く持って練習しないといけないな」と感じました。

── その後、北京、ロンドンにも円盤投げでパラリンピックに出場。そして2016年のリオには砲丸投げで挑まれました。

実はロンドンの後、円盤投げがパラリンピック種目ではなくなるということで、一度は競技から退こうと思ったんですよ。でも、2020年の東京開催が決まったときにもう一度チャレンジしようと。それで砲丸投げを始めたんです。来年のパラリンピックが東京でなかったら、おそらくリオの前に陸上は辞めていたと思います。

── ロンドンの前、2011年には東日本大震災もありました。大井さんの住む洋野町は岩手県最北部の沿岸地域ということもあり、やはり競技を続ける上で葛藤があったのではないでしょうか。

洋野町にも10メートルの津波が来ましたが、元々12メートルの防潮堤が建てられていたこともあって死者は出なかったんです。しかし、その震災によって体調を崩し、半年くらいは練習を休みました。そこで競技を続けるべきか迷いましたが、妻をはじめ周囲の仲間たちが背中を押してくれたことで翌年のロンドンパラリンピックに出場することができたのです。

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── まさに、様々な意味で東京パラリンピックは大井さんの人生の集大成と言えますね。もちろんメダルが目標だと思いますが、自信のほどはいかがでしょうか?

今年いっぱいか来年の初めあたりに自己ベストの記録を8mくらいまで伸ばせればあるいは、という感じです。そのためにはとにもかくにもパワーアップが必要なので筋トレには力を入れています。とはいえまずは出場権を得ることが第一。今年の10月頃に出場するために必要な標準記録が出て、それを突破した上で世界ランキング8位までに入らないと本大会には出られない可能性がありますので。まずはそこを目指して頑張ります。また、本大会ではたくさんの人に試合会場に足を運んでもらいたいですね。北京とロンドンは本当に超満員で、その雰囲気だけで普段の倍の力が出るような感覚になれましたから。

── 東京パラリンピック以降の目標はありますか?

その先を目指したい気持ちもありつつ、もしできなかった場合は競技の普及に貢献したいですね。砲丸投げの競技人口はまだまだ少ないので、今までの自分の経験やそこから得た競技の魅力を下の世代にしっかりと伝えていきたいです。そのためにも、東京では若い選手たちに負けないくらいの気迫でバリバリ投げている姿をアピールしたいですね。

── これまでの大井さんの挑戦の人生、いちばんの支えになったものは何ですか?

車いす生活になって30年。振り返るとあっという間でした。怪我をした当初は落ち込む一方でしたけれど、スポーツと出会って、こうしてパラリンピックに何度も出させてもらって。やる気さえあれば何でも挑戦できるんだなと今でも感じますね。その中で私を支えてくれたのは、何と言っても妻の励ましです。歩けない自分を一生懸命サポートしてくれて、何をするにも付き合ってくれた。今この年齢になってまだスポーツができているのは、彼女のおかげ以外の何物でもないです。あとは、少しでも油断すると大怪我をしたり、下手すれば死ぬ危険性すらあるマグロ漁船に乗っていましたから、常に緊張感がある中で自分のやるべきことをやるという点で、漁師だった経験も生きてくれているのだなと実感しています。

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PROFILE

おおい としえ●サントリー チャレンジド・アスリート奨励金 第2~3期対象
1948年8月29日生まれ、岩手県洋野町出身。漁師だった39歳の頃に仕事中の怪我によって頸髄を損傷。その後リハビリを兼ねた水泳を経て、50歳で陸上の円盤投げをスタート。2004年アテネを皮切りに、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場し、前回大会のリオには砲丸投げの選手として活躍。来年の東京パラリンピックをキャリアの集大成に据えている。

Photos:Takemi Yabuki[W] Composition&Text:Kai Tokuhara

PASSION FOR CHALLENGE
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