2025年8月29日
#973 石田 一貴 『自分の強みを研いて、研いて、何でも切れる刀に』
新たにサンゴリアスに加わったスタンドオフ石田選手。何を武器にどんなことを大切にしながら目指しているゴールは?(取材日:2025年8月下旬)
◆チャレンジしたい
――社会人2チームを経てサンゴリアスに加入した今の心境は?
まず大学の時は、ざっくり言うとチャレンジしたいという気持ちが根底にありました。社会人になって清水建設でプレーしていた時は、社業も100%、ラグビーも100%と掲げていたので、フルタイムで毎日仕事をして、そこから練習する形でした。他のみなさんはどうだったか分かりませんが、当時、僕としてはこれでは日本代表になれないと思い、やるからには日本代表を目指したいという気持ちがあったので、それで移籍を決めました。
コロナ前に会社も辞めて、特に決まっていない状態でチームを出て、そこから運悪くコロナウイルスが広がってしまい、約1年弱は何もない状態でした。その間は個人トレーニングで、多摩川の河川敷でラグビーをしていました。そこにいた学生たちとタッチフットしたりしていましたね。僕が走っている時に遠くでタッチフットしている中学生たちがいて、「一緒にやろうよ」と声を掛けて混ぜてもらいました。中学生の中に社会人2年目の僕が入って、「おっちゃん」とか呼ばれていましたね(笑)。そういう環境で半年くらいやって、それでダイナボアーズに声を掛けてもらい、チャレンジしようということで5年過ごさせてもらいました。昨年は日本代表の合宿にも参加させてもらって、やっと指がかかったというところだったんですけれど、試合には出られずに終わりました。
次のシーズンもダイナボアーズでやるのか?でももう一回チャレンジして、環境を変えてでも上のチームでチャレンジしたいという気持ちが、ずっとありました。チャレンジが出来る環境という条件に合って、今よりもチャレンジできると思えれば移籍しようと決めていたので、声をかけてくれたサンゴリアスへの移籍に迷いもなかったですし、チャレンジしたいという気持ちはずっとブレなかったので、すぐに決断しました。
◆ラグビーに100%コミット
――サンゴリアスにはどんな印象を持っていましたか?
日本人選手が多い。そのことは僕ら日本人選手にとってはプラスのことかもしれませんが、ダイナボアーズで5年やってみて、毎回ライバルになる選手が外国人選手で、そこに対する耐性がついたし、育ててもらったというところもあると思います。特にそのポジションにどこかの国の代表選手がいるとかは関係なく、その環境が僕を成長させてくれると思えれば、移籍したいと思いました。優勝を目指しているサンゴリアスで優勝するという景色を見たいですし、日本代表という目標を達成するために、自分が成長できる環境だったとすれば、同じポジションに外国人選手がいるとかいないとかは関係ないですね。今はほとんどのポジションに外国人選手がいるので、そこは別に考えませんでした。
――三菱重工相模原ダイナボアーズからプロとしてやっているわけですか?
そうですね。
――プロとしてやっていくと決めたときの気持ちは?
その当時、今もまだ若いですけれど、もっと若かった気持ちもありました。僕の中でラグビーに100%専念できていないという気持ちがあり、環境や仕事を言い訳にしていましたし、そこで自分で中途半端な環境を作ってしまったと思っていました。それだったら後先は考えずに、人生1回のラグビー人生で、言い訳の出来ない100%でできる環境を自分に課す。将来がどうかは考えずに、今やりたいラグビーに100%コミットしようと思ったので、プロということを考えました。
――ダイナボアーズでプロとして5年やりましたが、プロになって良かったことは?
プレッシャーなどで何回も心が折れそうになったことはありましたし、将来に対する不安も年を重ねる毎に増していきました。けれどその中で、ダイナボアーズはプロで活動をされている方が多かったので、外国人選手も日本人選手も含め、アドバイスをもらったり、相談をさせていただいたりして、将来に対する不安も少しずつ解消できました。今やるべきことを自分の中で確立できていって、身体的にもメンタル的にも諸先輩方に教えてもらいながら、成長できたかなと思います。
◆昨日よりも今日
――普段の生活や練習、試合も含めて、プロになっていちばん変わったところはどこですか?
自分のライフスタイルを重視するようになりました。その1日の一瞬の練習というよりも、自分はこういう人間でありたい、こういう人生を送りたいと考えた時に、その練習がキツくてもコミットする、そうしたら明日には成長している、という日々自分のレベルアップ、最高の自分を作っていくということを考えるようになって、そういうライフスタイルを確立させたいと思いました。昨日よりも今日という。
――毎日が新鮮ですか?
そうですね。その積み重ねが大切で、いつ死ぬかとかは分かりませんが、後悔のない人生を送るライフスタイルを作りたいと思った時に、今はそれがラグビーというだけで、それが仕事だったり、その場面場面で変わりますけれど、そこで毎回チャレンジをして、日々最高の自分をつくるということを自分の中のミッションにしています。
――その中にこんな人間になりたい、こんなライフスタイルを送りたいということが入っているんですね
そうですね。いろいろと教えてもらったりしましたが、コービー・ブライアントのマンバ・メンタリティという有名な言葉があって、日々最高の自分を目指し続けるという、その言葉にもとても感化されました。それとダイナボアーズ時代にメンタルトレーナーの清水さん(利生)がいて、ライフスタイルの一部、ラグビーも自分の人生を豊かにする一部、仕事もそうであるということ、そして自分の中での人生においてのルールを決めた時に何をすべきか、いま何をするかなど、清水さんに教えてもらいました。
――人生の中でのルールは何ですか?
自分の中では、日々最高の自分を目指すということがいちばんのミッションです。それを達成するために、いくつか何をすべきかということを決めています。ミッションは死ぬまでそうで、今はそれがラグビーなんですが、どんな状況でもそれが自分に課されたミッションなので、その中で最高の自分を目指す、ということです。(※以下、スマホに入っているミッションとインサイドルール)
■ミッション
・日々最高の自分を目指し続ける
■インサイドルール
・常に学び続ける意識
・分からないことをそのままにしない
・分け与える人間になる
・家族、仲間を守り大切にする
・プレッシャーを受け入れ、それを楽しむ
――毎日、今日は達成できた、今日はちょっと足りなかったということを考えるわけですか?
朝に毎日日誌を書くんですけれど、その時には携帯を横に置いていて、そのメモにルールを書いていて、それを見ながら毎日口ずさむようにしています。
◆分け与えていく番
――特徴的なのは「分け与える人間になる」というところだと思いますが、具体的には?
プロの生活でもそうでが、先輩方から教えてもらったからこそ、自分が成長させてもらえた。自分が尊敬している方々は、助けてあげるとか持っているものを分け与えるという姿勢なんです。知識もそうですし、そういうことを分け与えてくれた先輩方のおかげで、自分の悩みや不安などが解消されて成長できたと思います。次は僕がそういう子や自分の子どもにもそうですし、後輩などに分け与えていく番だと思っています。分け与えることで自分の学びになることもたくさんあったので、アウトプットになる時もありましたし、自分の目標やマインドを再認識することも出来ます。やっぱり自分に閉じこもってしまうと、自分の世界でしか生きていけないですし、それを分け与えたり、共有したりすることで成長させてもらえたと思います。
――嫉妬はありませんか?
嫉妬はあります。初めのモチベーションは嫉妬からでした。ラグビーで悔しさを味わいました。熊本の高校で、花園には出られましたが優勝できず、そこでも嫉妬しましたし、大学は日体大に行って対抗戦で上位チームには勝てませんでしたし、ずっと悔しさもありました。大学が終わった後の進路でも、トップリーグのチームに行く選手もいて、そこに嫉妬がありましたし、同世代が日本代表になっている中、僕はなれなかったという嫉妬。そこで悔しくて、やっぱりチャレンジしないとダメだと考えるようになって、そこが根本でしたね。
――そこから分け与えることを大切にするというところにまで行きついた過程は?
自分がなりたい人、なりたい選手を思い浮かべた時に、その人たちが共通して、僕に知識だったり、考えだったり、いろいろなものを分け与えてくれました。そこで分け与えてもらったものが、ラグビーにおいての場面で「これだ」と思うこともありましたし、他のプライベートな場面でもそう思うことがありました。自分が憧れてきた人たちが分け与えてくれる人たちだったので、やっぱりそうなりたいと思った時に、それが出来ないと、そういう人にはなれないんだなと思いました。
◆自分で自分のスキルを上げるトレーニングをする
――弟さん (大河/浦安 D-Rocks) が7人制日本代表ですが、ライバルですか?
素晴らしいと思います。オリンピックにも出て、やっぱりそこまで行けるというのは、そこまでやり続けた選手しか辿り着けない訳で、4年間以上かかっている選手もいますし、そこでその機会を手にするというのは運も実力だと思います。そこまでやり続けた彼の気持ちがあるので、その機会を手に入れたんだと思います。僕の中で7人制は別競技と思っています。体質的に僕はセブンズは向かないなとも思っていますし、僕ではそこには行けないなとも思っています。その中で弟がその機会を得たということは素晴らしいと思いますが、ライバル心は特にないですね。
――弟さんそしてお父さんとずっとラグビーをやって来たそうですが、自分の今のベースになっていますか?
自分で自分のスキルを上げるトレーニングをするというのは父からで、学生時代に家の庭でやっていたことから学んだことですし、いつも練習が終わった後に家でも練習がありました。その練習というのが、その日の練習で出来なかったことの振り返り練習でした。
――それは何歳くらいの時からですか?
ラグビーを小学3年生から始めたので、その当時からでしたね。みんなが4列パスが出来ている中で僕が左パスが出来ていなかったとなれば、ずっと毎日左パスをやる宿題がありましたし、試合でダメだったところがあれば、そのプレーをやる。その中で、キックという強みを持てたのも父に教えてもらってからですし、そこからはキックの強みという面では負けたくないという気持ちもありましたし、強みをもっと研けと言われました。父からは刀の話をされて、「いくら名刀でも使わなければ錆びる。だったら毎日研き続けるしかない」という話でした。鋭さを作るためには研き続ける、自分の強みを研いて、研いて、何でも切れる刀みたいに。
――お父さんはどんな選手だったんですか?
言い方が悪いですけれど、ラグビーはしていたんですけれど、そこそこだったんだと思います。
――弟さんは石田選手が3年生の時には1年生ですが、一緒にラグビーをしていたんですか?
そうですね。僕よりも弟の方が大変だったと思います。いつも僕と同じレベルでやらされていましたから。
――キックの強みは最初から?
ラグビーを始める前にサッカーをやっていて、周りの子たちよりも飛距離が出ていました。ボールを飛ばすという面では得意だったんです。だからその当時はずっとスクリューキックを練習していましたね。
――今ではどんなキックでも蹴れますか?
蹴れますね。毎日やってきましたし、ダイナボアーズ時代も「やり過ぎだから早く上がれ」と言われるまで、無意識にやっていた時もありました。
――それだけやっていると、キックは好きになるんですか?
はい。小さい頃からやっているだけですけれど、それが強みと思いだして、その練習をしている時間も好きですし、ウイングの選手みたいにバーッと走ってトライをするという経験はありませんが、キックって1回で走る何倍も味方を助けられますし、ゲームを変えられますよね。そういう瞬間はキックの楽しさがありますし、ゴールキックは誰もが蹴れるわけじゃないので、あの一瞬みんなが注目している中で、あのプレッシャーを乗り越えて決める感覚は気持ち良いですね。あれは忘れられなくなります。
◆日々最高の自分を目指す
――ラグビーで他に好きな場面はありますか?
似たようなものですが、パスだったり。
――パスは得意になりましたか?
なりましたね。パスは得意ですね。
――キックとパスが得意で、ランについてはどうですか?
昔から好きだったラグビー選手は今でも好きなんですけれど、ルーク・マカリスターとクウェイド・クーパーです。対照的な選手ですけれど、あのファンタジスタというか、クウェイド・クーパーのステップに憧れていたので、ステップの練習をずっと弟と一緒にやったりしていました。アジリティだったり一瞬ずらすという部分は得意分野です。
――ディフェンスについてはどうですか?
タックルは苦手ということはないですが、スキルが足りずに怪我をすることが過去にあったので、スキルをもっと研いて上げていければ、リスクの少ないコンタクトが出来るんじゃないかなと思っています。
――そこはスキルの問題であって、フィジカルの問題ではないということですか?
対等にやれるフィジカルは持っていると思います。代表の合宿に行っても思いましたし、コンタクト練習を切り取って見ると負けてしまうこともありますけれど、いざそれがゲームの中になると、そこは通用すると思います。タックルスキルはダイナボアーズ時代から僕の中でポイントにしているところでもあります。
――お父さんが教えた2人はトップのカテゴリーになって、もうお父さんから教わることはありませんか?
うーん、ラグビーでということであれば、そうなのかもしれません。父も経験したことのないプロという世界ですし、僕の中でも手探りの状態ですけれど、その中でも自分を研き続ける、それは自分の中でミッションとして、日々最高の自分を目指すというところは父から教えてもらったことですし、僕は死ぬまでそれをミッションにするので、学び続けないといけないところだと思います。あと分け与えるところも最初に父から学んだことなので、それはやり続けることだと思います。
――お父さんはいつも応援に来てくれますか?
たまにですかね(笑)。熊本にいて、仕事などがあってこっちには来られないので、映像では見てくれています。
◆その景色を見に来た
――2025-26シーズンの目標をお願いします
10番として試合に出場して、優勝することが目標です。その景色を見に来たということもあるので。その先に50キャップだったり (現在リーグワン39キャップ) 代表があるので、目標は優勝ということですね。50キャップというのは通過点で、大きな目標の中のひとつですね。
――もう少し長い目で見た時の将来の目標は何ですか?
バーバリアンズです。昔から憧れがあって、最初にカッコいいなと思ったのが、日本代表よりもバーバリアンズでした。その当時はあまりラグビーのことも知りませんでしたし、ラグビーは見ていましたが、世界選抜っていう、世界から選ばれた選手たちということを知った時に、そこにカッコよさを感じて、「うわーなりたいな」と思ったのが小学生くらいの時でした。そこから日本代表に憧れましたし、バーバリアンズに選ばれるためには日本代表にならなければいけないと知ってから、日本代表に憧れるようになりました。
――日本体育大学ではキャプテンでしたが、自分のキャプテンシップについてはどう考えていますか?
勝手ですけれど、あると思っていました。日体大時代は充実感があったんですけれど、勝てなかったということはそのレベルだったんだなと思います。上には上がいると思いますが、それこそ帝京大学では同期の堀越(康介)がキャプテンをしていましたし、ダイナボアーズでもそうですけれど、キャプテンをされている方たちを見て来て、ぜんぜん違ったと思いましたね。
――どの辺が違いましたか?
僕はどちらかと言うと、自分で追い込んでハードワークして、それをスタンダードにしたいというか、それを見せたい、一緒にやって欲しいということをその当時は思っていたんですけれど、自分がやるのは当たり前で、それプラスαでチームを良くするために、もっとチームに対してコミットするということを、よく考えられている方が今までキャプテンをやられていました。ダイナボアーズで言うと、岩村昴太さんもそうでしたし、自分にはキャプテンとして当たり前という部分が目的になっていて、やっぱりそうではないということをトップチームを経て学びました。
――機会があればキャプテンシーを発揮する場面もありますか?
ポジション柄、それは発揮しないといけないと思います。ゲームをリードするのが10番なので、そこは立場に関係なく、10番をやる選手としてリーダーシップを発揮する、そういうことが出来る者にしか、10番というジャージは着られないと思っています。
――どちらかと言うと大人しい方なんじゃないかなと思いますが、ラグビーのために敢えて言ったりすることは意識していますか?
以前はそのままだったんですけれど、感情を表に出すということは時にはとても重要だと、今までの中で学ぶことがあって、要求の強さを出すようにしています。
――それは大学時代のキャプテンの経験ですか?
それもそうですし、キャプテンをやられている方の姿を見て来て、大事な場面でルーズになってしまうと良くないということを何回も経験しました。言うべきところはしっかりと言う、感情を出すということは大事にしています。
――少し先の人生はどのように描いていますか?
いろいろとやりたいことはありますが、最終ゴール、人生のゴールというのは決めていないので、まずは立てている目標を達成することを考えています。ラグビーでやってきた「日々最高の自分を目指す」をやり続けることで、次が出てくると思います。
――自分の活躍しているシーンを想像するとどんなプレーですか?
キックですかね。自分がトライしたり、トライを演出したりして、プラスαで自分が輝ける場所がそこにあると思っているので、ゴールキックですね。それ以外もありますが、やっぱりラグビーをやっていていちばん好きな瞬間は、自分がトライしたり、トライを演出したりして、それが嬉しいんですけれど、それにプラスαでゴールキックという時間が、更に自分にはあると思っていて、自分を輝かせる瞬間が他のみんなよりもプラスであると思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌)
[写真:長尾亜紀]