SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2007年2月22日

#78 アラマ イエレミア 『始めて4年でオールブラックス「ラグビーは僕の人生」』

◆好きなスタイルのラグビー

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—— アラマはいつ日本に初めて来たんですか?

6年前に日本にやってきました。今の日本のラグビーはディフェンス中心になってきたけど、6年前はアタッキング・ラグビーでした。ディフェンス面への比重は低く、今とは違うフォーカスを持ったラグビーでした。その頃のジャパンラグビーは速いイメージですね。それが世界のラグビーから進んでいるとか遅れているとかでなくて、大学レベルのスタイルを大切にしたラグビーで、スピードとリサイクルが鍵になってくるラグビーでした。

—— アラマはそんな日本のラグビーに合わせようとしたのですか?

僕は日本のスタイルに合わせようとしたけれど、外国人選手が多くなってくるにつれて、日本ラグビーのスタイルが変わってきました。NECがディフェンス中心になってきて、ブレイクダウンに強くなってきました。東芝はモールで押していくチームに変わってきました。神戸製鋼は激しいフォワードのチームに変わってきました。ヤマハはディフェンス中心のチームになってきました。

ブレイクダウン・コンタクトが、この6年の間にすごく上がってきました。ブレイクダウンでチャレンジするようになって、すごく競り合うラグビーになってきています。昔はボールのリサイクルだけが中心だったので、あまり競り合うということもありませんでした。

—— なぜサントリーに来たのでしょう?

サントリーが好きなスタイルのラグビーをしていましたし、エディ・ジョーンズさんがいたのが大きかったと思います。6年前に最初に来た時は2月で、2000年の日本選手権決勝のちょっと前のタイミングでした。決勝を見たんですが、その時の監督は土田さん(雅人)で、洋司(永友/前監督)がコンバージョンキックをはずしてドローで終わった試合でした。相手の神戸製鋼はこれで2連覇ですから、サントリーが勝った気が、あまりしませんでした。

いずれにせよ、この初来日ではとてもワクワクして楽しかったことを覚えています。実際に日本に来て、サントリーのラグビースタイルを見て、気持ちが高まりました。サントリーはアタッキングなチームだし、画期的なチームでアイデアも多く、いいコーチングがなされていました。サントリーには日本の文化としての部分も見えた気がしました。

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—— そのとき見えた日本の文化とは?

細かいところに気がついて、準備を丁寧にするところです。そこが自分の楽しみな部分と繋がりました。細かいところに気をつけるというところが、たぶん日本に来てからもいちばん学んだところで、それはニュージーランドにも持ち帰りたい部分です。

ニュージーランドでは、そういうところは見て見ぬふりをしたりして、もともと持っているものに頼る部分があるんです。タレントのスキルに頼ってしまうところがあります。もちろん高いレベルでは、ちゃんと細かいところまで見ているコーチもいますが。

それから日本とサモアの文化は似ているところがあるので、自分にとっては理解しやすかったところがあります。先輩、後輩があったり、年上の人を尊敬するところ、そこがサモアの文化と似ています。

◆新しいチャレンジが欲しかった

—— 日本で選手専任でプレーしたのは4年間ですね?

4年です。日本に来たのは「優勝するため」、それだけを目標にして日本に来たんです。ニュージーランドでラグビーを10年以上していましたし、あと2~3年ぐらいはトップレベルでプレーすることもできましたが、別のチャレンジがしたかったんです。ニュージーランドでは、やるべきことはすべてやってしまった気がしていました。

7年間オールブラックス(ニュージーランド代表チーム)だったので、新しいチャレンジが欲しかったんです。まだプレーできることはわかっていたので、優勝したいと思っていました。ウェリントンというチームで最後の年に優勝したので、自然と日本に来たときも優勝することを目標にしていましたし、それは来日1年目で達成できました。

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—— ニュージーランドから日本以外の国へ行くことは考えませんでしたか?

フランスを始めとしたヨーロッパでのプレーも考えました。でもジェミー・ジョセフやグレアム・バショップ(共に1996-2002福岡サニックス在籍/元オールブラックス/95年ワールドカップ準優勝/99年ワールドカップ日本代表)が、日本はどういうところだと教えてくれて、ニュージーランド最後の数年間、ずっとその話を聞いていました。ですから準備はできていました。

これまで30ぐらいの国々へ行ったことがあったんですが、まだ日本には行ったことがなかったので、興味もありました。寒さは大丈夫でした。ニュージーランドのウェリントンは、すごい風が吹くので東京より寒いですよ。

—— オールブラックスでのポジションはセンターですか?

はい、12番と13番。

—— オールブラックスで最も印象に残っている試合は?

ありすぎます。たぶん、最初の試合、1994年に南アフリカとトライネーションズという大会で闘った試合です。それから1995年、ワールドカップで日本と対戦して、145対17(第3回南アフリカ大会)で勝った試合ですね。

それまでの試合、ワールドカップ中はほとんどの試合がオールブラックスはAメンバーで闘っていましたが、この日本戦はBメンバーにやらせてみよう、チャンスを与えてみようということで、Bメンバーで臨んだ試合でした。Bメンバーのみんなは、この試合しかないんだということがわかっていましたので、すべての力を出し切りました。僕も12番で出て2トライしましたが、13番の選手は6トライを挙げました。

6年後に日本に来たときに、この試合のアフターマッチファンクションで撮った写真を、当時の日本代表メンバーと交換し合いました。松田(努/東芝)、元木(由記雄/神戸製鋼)、吉田(義人/伊勢丹)、薫田(真広/東芝)、オト(ナタニエラ/東芝)たちとのその交流は、とても感動的でした。

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◆4年でオールブラックス

—— 94年にオールブラックスになる前は?

92、93年はサモア代表としてプレーしていました。91年にラグビーを始めたので、この頃はまだラグビーを始めたばかりの頃と言ってもいいと思います。

—— えっ!?ラグビーやって4年目にオールブラックス?その前は何をやっていたんですか?

大学で勉強していました。サモアからニュージーランドへ行く奨学金をもらって、勉強しに大学へ行っていました。卒業して、友達にラグビーをやってみれば?と誘われて、その年にウェリントンのチームに選ばれて、次の年にサモアのチームに選ばれて、2年後にオールブラックスに選ばれたんです。

—— 何の勉強をしていたんですか?スポーツはしてなかったんですか?

マスターズ・リソース・マネジメントを勉強していて、スポーツはタッチラグビーをやるぐらいでした。高校の時に少しバレーボールもやりました。どちらも楽しむためのものです。言ってみれば、ナチュラルです。

もともと僕の家族はスポーツを優先させる家族ではなくて、勉強といい仕事に就くことが優先的なことでした。アイランズ(生まれ故郷)では、それがいちばん優先されることです。サモア人、トンガ人、誰でも同じことを言うと思います。

お父さんは牧師でした。そして学校を大切にした家族でした。ですから僕がラグビーをやると言ったら家族は反対しました。でも僕がすぐに上のチーム、上のチームへと上がっていったので、理解してくれました。

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91年にラグビーを始めたときお父さんに、自分がどれだけ、どこまでいけるか話しました。勉強でマスターズを取るにはニュージーランドではスポンサーが必要なんですが、ラグビーをプレーしていればスポンサーを取れるかも知れないという話もしました。

結局すごく早く上がっていったので、ラグビーが自分の人生へと変わっていきましたし、家族も理解してくれるようになって、今はすごくサポートしてくれていますし、誇りに思ってくれています。その時から、ラグビーは自分の人生になりました。

—— ラグビーのどこにはまったんですか?

フィジカルなゲームであるということです。僕はフィジカルなものが好きなので、やってみたら最初から楽しかったんです。競争心も強いし、ニュージーランドではラグビーが盛んで、友達もみんなラグビーをやっています。

—— フィジカルが好きだけど格闘技には行かなかったんですね

ブルース・リーが好きですし、友達にカンフーをやっている人がいたら、今ごろカンフーだったかもしれません(笑)。

—— ラグビーの魅力は変わりませんか?

それは変わりません。僕にとってのラグビーの原点と言える部分は一生変わらないでしょう。フィジカル面で必ず相手を圧倒しなきゃいけないというところが、ラグビーの最大の魅力です。

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◆タトゥー「魂」を右肩に入れた

—— ニュージーランドから日本へラグビーを教えに来たという感じではないですね

上に上がっていくのは簡単だと思いますが、そこにずっと居るということは、とても大変だと思います。日本でも常に緊張感をもってやらなければなりません。リラックスする時間はありませんでした。

—— オールブラックスにいた時に、こいつはすごい、と思うぐらい追い掛けてきた選手はいましたか?

スコット・マクラウド(東芝=2003年~/元オールブラックス)が出てきた時、それは自分のいちばんいい時でもあって、彼が自分の次のセンターになる位置にいましたが、何年もずっと自分のポジションを守りました。

一時怪我してマクラウドが代わりに出ていましたが、怪我から戻ってきてまた自分のポジションを奪い返しました。そして最後までポジションを譲ることはありませんでした。

—— お子さんにラグビーは薦めますか?

本人がプレーしたいのであれば...。今5歳と3歳の男の子がいて、あともう1人そろそろ生まれてくるんですが、長男のアキラはたぶん、いいラグビー選手になると思います。でも僕はゴルフも好きなので、いいゴルファーにもなってほしいかなと思います(笑)。

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—— オールブラックスの後、サントリーへ来ましたが、いちばん印象的だったことは?

最初の年に優勝したこと、同じ年に最初の子供が生まれたこと、それがあったことをきっかけにタトゥーを入れたことです。「魂」という字を右肩の後ろ側に入れました。

—— サントリーでいちばん嬉しかったことは?

若い選手たちを育てていることが、嬉しいことです。大悟(山下)や平(浩二)とかに時間をかけて教えましたし、みんな若い選手で僕がコーチを始めた頃に入って来た選手たちです。コーチとしていい選手を育てたいと、ずっと思っています。

—— コーチをする上で気をつけていることは?

1対1のコーチングが大事だと思っています。なるべく1対1がいいですね。でもそれに反応しない選手もいますから、その選手にとってどのスタイルがいちばん合うかを見極めて、コーチしています。そしてなるべく練習は短くてシャープに「ショート&シャープ」でやることが大事だと思っています。

すごい時間を費やさなければならないフォワードの練習はまた違うでしょうけれど、僕はなるべく個別でのコーチとユニットで教えることが好きです。

—— 今年の清宮監督はどうですか?

コーチとして僕はまだ若いので、個人的には清宮さんからいろいろ学びましたし、ラグビーのコーチとしてだけでなく、人間としてもいろいろ学びました。清宮さんとは日本に来た最初の週に会ったんですが、その年に引退しちゃったのでそれからはすれ違いで、監督になるまではどういう人なのか知りませんでした。

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◆ちょっとプレッシャーもある

—— さてニュージーランドに帰って何というチームのコーチになるんですか?

ウェリントン・ライオンズのバックスコーチです。NPC(ニュージーランド国内選手権)の出場チームです。日本でも有名なさっき名前が出たジェミー・ジョセフがフォワードコーチをやっています。ニュージーランドのラグビーは、アイランドからの人達がいるから、これからもずっと強いチームだと思ってます。

そしてアイランドにはいい選手がたくさんいるけれど、いいコーチは少ないんです。ですから僕はアイランドのいいコーチになりたいと思ってます。この仕事はニュージーランドでは高く評価される仕事なので、責任もいろいろと重大ですし、また光栄に思います。このポジションをもらえたことを誇りに思いますし、ちょっとプレッシャーもあります。でも、大丈夫(笑/と言ってアラマ得意のウインク!)。

—— 緊張するタイプには見えませんが

試合でも最初はするけど、笛がなった瞬間から緊張はなくなります。自分にとって試合は試合、どんな試合でも1試合ですから。

—— これからの日本ラグビーにアドバイスをお願いします

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トップリーグでプレーしている本当のスタイルを、ジャパンのチームでもぜひ見たいと思います。日本のラグビーに対する世界のイメージは、ジャパンのチームから見ることができません。トップリーグのいい流れがジャパンのチームに入っていってないんです。日本の本当のスタイルのラグビーが見たいと、みんな期待していると思います。

ジョン・カーワン(日本代表ヘッドコーチ)は一緒にプレーした仲間なのでよく知っていますが、経験を持っている人であり日本での経験も豊富なので、彼が日本のために何をやっていくのか、それを見るのが楽しみですね。

—— サントリーにも、ひとこと

何年か優勝を争うチームの流れになってきたと思います。入れ替えの時期になってきているので、これから3~4年ぐらいはチャンピオンレベルのチームで居続けると思います。インテリジェントな、いいスタイルのラグビーをしていますし、サントリーの文化は常に強く居続けるとうことだと思っていますから、期待しています。

(インタビュー&構成 針谷 和昌/通訳:ジェフリー・カトラー)

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