SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年7月10日

#28 田原 耕太郎 『見ていて楽しいパス』

◆自分たちのリズムができている

—— いまのチームとあなたの調子はいかがですか

先ず、チームはいま、すごくいいと思います。自分たちのリズムができていて、練習でやっていることが試合でもできています。ボールを前に持っていく力がありますし、どこを攻めていくのがいいのか、試合中にかなりわかります。

—— それは何がいいからなんでしょうか

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練習がいいんだと思います。練習がすごく試合に近いんです。練習で起こっていることが、試合中でも起こります、これは良くも悪くもですが。それとこの時期にしては15人でやる練習が、いつもより多いんです。そこがいちばん大きいと思います。

あとミーティングで、清宮さんにレビューで言われたことが、次の場面で同じ状態に出くわしたときに活きています。良い指摘と同じ場面であればまたそのプレーを選択するし、悪いところは変えていくということで、そのことをチームみんなで共有しているということが、 重要なんだと思います。

例えばスクラムハーフが何か言われていたら、そこは僕も意識をするし、そういうところがチームの中でいい具合になっていると思います。

—— その指摘は具体的にどんなことなんでしょう

サントリーとしての物差しを提示してくれるんです。いろんなプレーがあっていろんな選択肢がある中で、清宮さんはそれを提示してくれるから、選手としてはとてもやりやす いなと、僕はすごく感じました。

◆いいものは残して理にかなってないものは上手く省いてくれた

—— 清宮監督とは早稲田大学での学生時代にも監督、選手の関係でしたね

2年間一緒でした。4、5年生のときです。

—— えっ? 3、4年生でなく?

そうです(笑)、4、5年生の2年間です。そのときもすごく新しいことをやっていると感じました。その頃の早稲田っていま考えると効率の悪い練習をしていたり、戦術にしてもそれが何だよ、なんていう疑問をいっさい持たないでやっていました。理にかなってなかったとしても、それが絶対だと思ってやっていたので、大崩れはしないんですが、そんな練習をしていました。

そこへ清宮さんがきて、練習時間が短くなったり、いろんなものを変えてくれました。衝撃的でしたね。選手の素材も違うからだと思いますが、前の年にやっていたラグビーと、4、5年のときにやっていたラグビーとでは、まったく違うスタイルのラグビーでした。

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—— そのとき個人的に監督に言われたことは何でしょう

パス、ですね。パスのリズムだったりテンポだったり、パス自体の放るタイミングだったりです。例えば3年生のときは、それまでダイビングパスを投げろと言われていたんですが、清宮さんはそんなことは言わないんです。さばければいいのであって、ダイビングしたことで次のポイントに遅れるんだったら、ちゃんと立って投げろ、ということです。

それまでは昔の人がこうやってきたからと言われ、それが正解だと思ってやってきたけれど、清宮さんは、いいものは残して理にかなってないものは上手く省いてくれました。

◆チームのみんながかばってくれたり体を張ってくれたり

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—— そうやって会得していったラグビーの面白さは何ですか?

近ごろ思うのは、例えば僕は結構小さかったりするでしょう。それで相手のフォワードの選手につかまったりするのを、チームのみんながかばってくれたり、体を張ってくれたりするのがわかると、チームでやるのっていいなぁ、チームのためにやろうって思ったりします。そういう部分が社会人はすごく大きいと思います。そういう場面が多いんです。

—— 大学でのチームの成績は?

3年のとき学生選手権ベスト8ぐらい、4年のときは準優勝、5年のときに優勝です。それからサントリーに入って3年間、先ずは大学ラグビーと社会人ラグビーの違いに、結構とまどいました。

とまどったところは、フォワードのコントロールのところです。早稲田のときはシステムが決まっていて、何も言わなくても、スクラムからこのポイントにはこいつが来て、と決まっていました。あまり口で言わなくても良かったんです。それが社会人になって、そんなところまで決まってないのかということが結構あって、ちょっと意外でした。

◆オックスフォード戦で手応え

—— 早稲田を卒業して、すんなりとサントリーに入った?

早稲田時代にオックスフォードと試合をしたときに、自分の中で手応えを感じました。試合は同点で終わりましたが、どうせやるんだったら、トップでやりたい気持ちが強くなって、サントリーから誘われていたし、人づてに「洋司さん(永友前監督)がおまえのこと褒めてたよ」と聞いたんです。洋司さんにずっと憧れていたので、それが決め手になりました。

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—— サントリーでは初年度から試合に出たんですか?

サントリー1年目はチョロチョロっとです。いや2、3年目もそうですので、3年間チョロチョロでした。今年4年目を迎えます。

—— 今年の目標は

先ずはレギュラーをとること。チームとしては、もちろんタイトルです。

—— 日本代表は?

日本代表には、なれればいずれなりたいです。

◆社会人はもう1つ何かを持ってないと通用しない

—— レギュラーをとるのに必要なことは

自分のしっかりした武器は何か?と考えてみると、僕だったらパスだと思うんですけど、サントリーの目指しているスタイルの中に、どう自分のその武器を出すかだと思います。

—— 具体的にそれはどんなパスですか

見ていて楽しいパス、素人が見てもボールが動いているなとわかるようなプレーです。例えば僕が途中から交替して入ったら、リズムが変わったな、と感じてもらえるプレー。

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去年、洋司さんが辞められる前、アドバイスをいただいたんですが、大学のときはパスだけで通用するけど、社会人はそれにもう1つ何かを持たないと通用しない、と言われました。

1番目のプライオリティを武器にしてやっていくのはいいことだし、それを大事にしているのもいいところなんですが、もう1つそれに加えるということですね。それはフォワードのコントロールのところだと思うんですが、サントリーではキヨさん(田中澄憲)が、その辺りがすごく上手いんです。

—— コントロールというのは?

フォワードって頭をガーンとやったり突っ込んだりしているから、ひと声掛けるだけで、走り出したり、構えの仕方が変わったり、スクラムハーフの声があるのとないのとでは、ぜんぜん違うって言われます。直人さん(中村フォワードコーチ)もよくそう言いますね。

—— あまり声を出していろいろ言ったりするタイプではなさそうですが

おとなしい性格だと思います。普段はあまりギャーギャーしゃべらない。ただ、声を出すことはスキルだ、と思っているので、練習中に声をしっかり出したり、的確な声を出すことは、ラグビーならできますね。コントロールという課題は、去年からずっと言われていて、それが自分に足りないことがわかっていますし、社会人のラグビーにとって大事だなと思います。

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◆居場所がわかるようにスクールに入れられた

—— ラグビーを始めたときの話を聞かせてください

5歳のときラグビースクールに入りました。太宰府の隣の町のラグビースクール「ちくしのヤングラガーマン」というところです。

いまでも覚えてますけど、2つ上の兄貴と休みの日に、御笠(みかさ)川という川の橋の下で、夜8時ぐらいまでずっと遊んでいたんです。2人が夜になっても帰って来ないので、親は探しまくって、警察も呼んだりして、そういうことがあったので、心配だから居場所がわかるように、たまたま近くでやっていたラグビースクールに親が入れたんです。

—— お兄さんもラグビーを続けたんですか?

兄貴は高校は天理高でやって、その後トモさん(澤木智之)、タクさん(川村拓也)、北條さん(純一)と日大で同期で、最後はセコムラガッツでやっていました。2年ぐらいですぐ辞めたんで、学生時代も社会人でも対戦はしていないですね、たぶん。兄貴はフルバックをやっていました。名前は健太郎で、僕と2人で「健康」なんですが、親父が耕三なので、健康の「康」を「耕」に変えたんですね、きっと。

—— 5歳からラグビー一筋ですか?

最初、野球をやりたいなと思っていました。中学までラグビーをやって、そのあと野球をやろうと思っていたら、中学卒業時にはもうラグビーを辞められませんでした。実際ラグビーは面白かったし、段階を踏んで上手くなっていくことが楽しかったんです。

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初めはステップでバンバン抜けるのが面白くて、年を重ねると周りも上手くなってきて、ステップだけでは抜けないのでパスを覚えて、パスだけでは通じなくなるとキックもやったりとか、そうやって上手くなっていくことが楽しかったと思います。

それから県の中学代表に呼ばれたりもして、中学でのクラブ活動だと地区予選に行けるか行けないかぐらいの力しかなかったけど、スクールでは九州代表とかスケールが違うでかいところが見えたんです。それで野球じゃなくて、ラグビーをやろうと決めました。

◆4人兄妹の3番目なんでいいポジション

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—— 独身?ですよね

独身です。この人だな、と思う人がいたら、結婚してもいいと思ってますが、まだやりたいこともあるし、どっちかというと結婚してやっていく自信がまだありません。同期のみんな、大悟(山下)、心(菅藤)、康太(上村)は結婚していて、すごいなと思います。もう子供もいますしね。

—— 2人兄弟ですか?

4人兄妹で、姉、兄、僕、妹です。3番目なんで、すごくいいポジションです。

—— 福岡のご実家は何をやられてるんでしょう?

日本料理屋「田はら」というのを太宰府でやっています。一応兄貴がいるんで、僕がいまからやろうと言ってもなぁ(笑)。店のお酒はもちろんサントリーですよ。

—— ご家族は応援に来てくれますか?

試合には結構来ますね。

—— サントリーでの仕事は何を?

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営業をやっています。わからないことばかりですが、楽しいですよ。僕自身は酒は飲まないし、飲めないんですけど。

今年の4月から西東京支店勤務となりました。稲垣支店長(純一/シニアアドバイザー)のところです。試合のときに、西東京支店に勤めているチームメートへの同じ部署の人たちの応援の声がすごくて、いいなぁと思っていたんです。実際に西東京支店で働いてみると、そのままいい人たちばかりで、がんばろうって思います。

—— 将来の夢は?

何でもいいんですが、自分に合っている仕事をずっとやっていきたいですね。いまはラグビーが楽しいし、そうやって情熱を注げるような仕事に出会って、1日1日充実して家族と一緒に過ごせたらいいなと思います。ゆくゆくは九州に戻るかもしれませんが、漠然といま思うのは、人と接するというか、顔が見える誰かと何かを創りたいですね。1人で黙々とやるのは性に合っていませんから。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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