SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年5月30日

#15 田中 澄憲 『タフでなければ清宮さんが考えているラグビーもできない』- 2

◆楽しくラグビーができた

—— 高校はどうでしたか?

高校は報徳学園に入りました。ラグビーの推薦で入れるということだったんですが、その頃の僕は頭が悪い人が推薦で入るというイメージを持っていたので、普通に受験して入りたいと思って、試験を受けて入りました。高校は上下関係が厳しかったですね。昔でいうところのスポ根(スポーツ根性もの)です。監督が恐くて練習が厳しくて。高1のときがとくに辛かったですが、全国大会に出たいという思いがあったので、続けられましたけれど。

—— 3年間ずっと全国大会に出ているんですよね

高1のときは試合に出れなくて、高2から出ました。高2のときにはスクラムハーフ(※1)でなく、ウイングとフルバックをやっていましたが、まだ兵庫県で勝って全国大会に出場できて嬉しいな、というレベルでした。高3のときにカリスマと言われていた監督が亡くなって、選手主体のチームになったんです。
※1:スクラムハーフ=8人のフォワードと5人のバックスをジョイントするハーフ団2人のうちフォワード側に位置する選手、背番号9。

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OB会長がとりあえずの監督になっただけで、指導者とかがいない状態になりました。中学のときに戻ったような感じで、また楽しくラグビーができたんです。そして春の近畿大会では優勝候補の大阪のチームに勝って、決勝まで進みました。決勝戦では啓光学園に負けましたが、夏合宿の練習試合は全部勝って、花園には兵庫県で初めてAシードで行きました。結果ベスト16で正月に負け、かなり悔しかったですね。

そのチームでナンバー8(※2)をやっていた仲間が、いまトップリーグのヤマハにいる高木です。ナンバー8でなくプロップとして、日本代表にもなりました。
※2:ナンバー8=フォワードで最後尾の8番目に位置する選手、背番号8。

◆日々サバイバル

—— そして明治大学に進んだ

明大は上下関係が厳しくて、1年生のときは今までの人生でいちばん苦しかったですね。明大は厳しさで有名でしたし、実際話したらきりがないほど凄かったですよ。例えば先輩に何か話しかけるときには、目線は必ず下からです(*と言いながら向かい合っている顔をインタビュアーより下にもっていって、そこから上目づかいで見る)。先輩が肘枕でテレビを見ているとすると、床に頭をつけるようにして話かけなければいけないんです。しかも例えば何々を貸してください、とかハッキリ言ってはいけない、◯◯さん、誰々が何々を貸してもらってもいいのかなぁと言っているようです、みたいに言うんです。あるいは電話は3回以上鳴らしちゃいけないとか。

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それから"しぼり"がありました。上級生がずらーっと前にいて、その前で1年生が腕立て伏せをします。上級生が「上・下・上・下」と言うのに合わせて(*1回の上・下でだいたい1秒から1.5秒ぐらいのペース)やるんですが、腕立て伏せの体勢がくずれるとバシッと叩かれるんです。例えばいま、1千万円、2千万円あげるからもう1年そのときと同じことをやらない?と言われても、絶対やりませんね。

新人合宿のとき、最初は30人以上いるんですが、5~6人は辞めたり逃げちゃったりするんです。辞めるのはいいんですが、逃げると戻ってくるまで僕らが腕立て伏せをさせられる訳です。だからやめてから逃げてくれ、と思いながら探しに行くんです。見つかるまで毎日腕立て伏せです。明大は推薦の人しかラグビー部に入れないので、普通に大学に入ってきてラグビー部に入りたいと体験入部してくるやつがいるんですが、一応受け入れても何日間かでだいたい辞めて、もし辞めない人がいると辞めるまで腕立て伏せなんです。

それも、しぼりなんですが、しぼりが終わったあと、みんなでそいつに「お前がいるとずっとこれなんで、頼むから辞めてくれない?」と言うんです。僕らが上級生になったときは、あまりしぼりはやりませんでしたが、学年によっても好きな学年とそうでもない学年の周期があって、1人好きな人がいるとそいつがやらせるので、完全になくなることはありませんでした。(*しぼりの内容は本当にきりがないほど凄く、ここに書けないとてつもない話がたくさんありました)

—— そういうことが、何かためになるんでしょうか?

要は、理不尽なことが多い訳ですが、世の中に出ると理不尽なことが多々あるので、そこで我慢できるかどうかというところに、繋がる部分があるのではと思っています。まぁ、軍隊みたいなもんですね。入ったときに何だこれ?何のためにやるのか理解できないとは思いましたが、恐かったんで言うことを聞いてやっていたという感じです。2年生になると、洗濯や買い物やいろんな仕事から免除されるんですが、1年生がしっかりしていないと、2年生になっても腕立て伏せにつき合わせられることがありました。1年のときは日々サバイバルで、とにかくやれと言われたことは、例えどんなことでもやっていました。

明大のラグビーが強かったから我慢できたんですね。早明戦に出たかったですから。強くなかったら、何のためのものなのかと考えたと思います。いまでも同期で集まって飲むと、つまみになる話は絶えないですね。

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◆再び選手主体のチーム

—— 大学のときの戦績は?

4年生のときは準優勝、3年生は優勝、2年のときも優勝で、優勝できなかった4年生のときにキャプテンでした。このキャプテンになった年は、監督がいなかったんです。2年のときに北島(忠治)監督が亡くなって、3年のときに寺西(博)監督になり、いろんな事件があって監督がいなくなり、僕らはラグビーをやりたい一心だったので、監督をおかずにラグビー部を続けたんです。それでその年の練習メニューは、キャプテンとバイスキャプテンで決めてやっていました。高校時代に続いて再び選手主体のチームになったんです。

この頃はきつかったですね。大学生ぐらいになるとコーチングが発達している大学もあるし、僕らはあくまでもプレーヤーであって、コーチの勉強をした訳でもないので、やっぱり監督がいない状態はきつかったですね。いま思えばいちばん楽しくもあったかもしれませんけれど。

—— 明大を卒業してサントリーに入りました

サントリーを選んだのは、仕事とラグビーがいちばん両立できると思ったからです。大学のときに周りのことばかりを見て、自分のことを見ることができていなかったので、それではプレーが成長できないと思いました。洋司さんがいるので勉強できる、とも思っていましたが、自分に目を向けていたので、端から見たら喧嘩を売っているように見えたかもしれません。そういう態度だったんではないでしょうか。一緒に同期で入ったメンバーもとても個性的でしたし、みんなもうるさかったんですよ。大久保直弥、沢木敬介、いろんな奴がいて、違うチームに去って行った奴もいました。

—— サントリーでいちばんの思い出は?

5冠(※3)の年、ウエールズに勝った年ですね。その年、僕は初めてスタメンで出られるようになったんです。でも後半20分からは決まって洋司さんに交替という、いわゆる勝利の方程式でした。ですから9番をつけて試合に出られるのは嬉しかったけど、正スクラムハーフとは思っていませんでした。洋司さんが最後の20分で試合の流れを変えることが多く、洋司さんが1番目という感じのプレーぶりでした。

※3:5冠=2001年(第9回ジャパンセブンズ優勝/国際親善試合 対ウェールズ戦 45-41/東日本社会人リーグ優勝/
第54回全国社会人大会優勝/第39回日本選手権大会優勝)

でもその年に9番で出たという自信が、次の年に繋がり、翌シーズンからは余裕が出てきました。そしてフォワードとの信頼関係もできてきました。それがサントリーに入って4年目のときです。5年目に洋司さんはコーチになり、6年目から監督になりました。今年の4月からが、僕にとっては9年目のシーズンです。

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◆やることが増えて面白さも増えた

—— サンゴリアスが新体制になりましたね

非常にフレッシュになって、チームの感じも変わりました。いいものを残しながら、新しいことにチャレンジしている感じです。清宮監督も言っていましたが、これまでやってきたすべてのことを変える訳ではなくて、いいものはしっかり残しながら、例えばサントリーと言えばアタッキングラグビーですが、それは残して新しいものをやっていくということですよね。そういう風な考え方には、僕たちも自然に入っていけるし、チームが活性化してきているのを感じます。

    

—— 役割が増えて今年からラインアウトのスローイングもやりますね

難しいですね。パスを投げられるんだから、スローイングもいちばん上手くできるはず、と監督は簡単に言いますが、動くもの、動く人に投げるのはとても感覚的なものなので、慣れていかないとダメでしょうね。でもフォワードと一緒に練習をやっていけば、できるなとは感じています。スローイングをやることになって、面白さも増えました。やることが増えたので、自分のポジションがキーになるポジションだと思っています。9番、10番は重責ですし、新しいラグビーをやる上において、とても大事な役目を担っていると思います。

—— 今年の目標は?

やっぱりタイトルを取りたいですね。勝つことがいちばんの目標です。勝つために僕らに足りないものは、タフなところとか、フィジカルな部分ですけれど、本当の意味でのサンゴリアスのプライドを持って闘っていって、練習していく中でチームみんながタフになっていくことができれば、結果はついてくると思います。タフでなければ清宮さんが考えているラグビーもできないでしょう。

—— タフとは?

チームの哲学、柱として"Alive"(アライブ)という言葉があります。アライブとは全ての局面で活き続けることであり、例えばタックルした後すぐに起きて次のプレーにいくとか、相手に倒されないとか、苦しいときも戻ってディフェンスするということです。アライブはフィジカルにタフであり、フィットネスもタフであり、メンタルでもタフじゃないと、絶対にできないと思うんです。

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—— 将来の夢は?

結婚して今は妻と2人ですが、ふだんは外に連れてったりしないで、僕は家でのんびりとボーッとしてるのが好きなんです。そういう出不精なんですが、田舎に家を建ててスローライフで暮らしたいですね。山梨とか箱根とか、温泉とかは好きなんです。あとニュージーランドに遊びに行って、すごくニュージーランドが好きになりました。自然も良かったし、ごはんも美味しかった。人も優しい。アラマ(イエレミア/バックスコーチ)の家に泊まったり、トモ(ブレント・トンプソン)の家が羊の大きな牧場をやっていて、そこにファームステイして、羊の毛を刈ったり、羊追いをしたり、本当に楽しかったし、またぜひ行ってみたいですね。

(インタビュー&構成 針谷和昌)

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