Whisky Smiles Gently ショートストーリー ウイスキーは物語を映す Short Story

第52回
「ここに幸あり」

作・達磨信

 もしかすると、の想いが九谷のこころの片隅でひっそりと微笑んでいたようだ。高宮誠一の決心にさほどの驚きもなく、素直に祝福できた。
 ひと月ぶりに登場した誠一は生まれ変わっていた。日焼けした精悍な面持ちが清々しい。逞しいとは言えないけれど、細身であってもシャープで高品質なスピリッツに似た強靱なスピリットが身体全体から発散されている。
 誠一の隣には隼坂鞠子がいる。今夜の彼女はこれまでにない落ち着きを見せている。普段の弾けるような朗らかさで周りを明るく照らすお嬢さんといった姿ではない。大人の女性がそこにいた。
 鞠子も生まれ変わったのかもしれない。九谷は鞠子に亡くなった妻の面影を見ていた。だからこそ単純に、誠一と鞠子の門出を祝うのだった。
「あの、いいかしら。鞠ちゃんからは退職の話はまだ聞いていないし、一緒には住まないの。結婚するのに、一緒に生活はしないの」
 良美が気持ちを素直にぶつけた。その問いを予期していたのだろう、誠一は穏やかな笑みを湛えてゆっくりと話しはじめた。
「結婚式は農閑期の年明け1月の予定です。鞠子さんはいまのまま変わることありません。良美さんの会社で働き、仕事が休みになれば多摩のわたしの実家に帰ってくる。時に、その逆もある。逆のほうが多いかも。なんと言えばいいんですかね、通い婚、かな」

 九谷の店に、誠一と鞠子、そして良美社長の3人が登場した。三者三様のウイスキーを飲んでいる。良美はリザーブの水割り、誠一は知多ハイボール、鞠子は白州ハイボールである。これまで3人一緒に揃うということはなかったような気がしながら、九谷は誠一の決意を聞いた。
 誠一は5月をもって会社を退職していた。店舗設計の仕事からは完全に手を引いて、家業である農業の後継者として生きていくことを決めたという。
「わからないことだらけで、すべてが勉強。とても新鮮です。梅雨が明けそうなここしばらくは日照りつづきで、いまのわたしの役目は広い畑の水遣り。雨がいかに貴重か、実感する毎日です」
「そう。そうよね。花もそうだけど、畑の作物って、水がないとすぐに弱っちゃう。この間、わたしも実感した」
 鞠子もすでに農家に嫁いだかのように話す。結婚を控え、新たな局面を迎えての充実した日々が伺える。ところが良美は人生の先輩として、こころに生まれた引っ掛かりを伝えない訳にはいかなかった。
 良美は自分の結婚生活を悔やんでいた。両親が築き上げたフラワーショップをいかに成長させるか、それだけに邁進してしまった。家族経営の小さな店から企業としての形が芽生えていく。するとより仕事に夢中になった。
 家族に甘えていた。商社マンであった夫のことも一人娘のことも愛しているし、自分も愛されているはずだ。だから自分の忙しい日々をわかってくれていると安心し切っていた。しかしながら、夫はいちばんのよき理解者でいてくれたものの、いつの間にか伴侶としての良美に何も期待しなくなっていた。
 理解され、通じ合っているように見えても相手の負担は大きく、夫のこころが満たされるはずもない。一緒に生活する意味を問われるときまで、何も気づきもしなかった。
 離婚して、失ったものの大きさに気づいた。一人娘は可愛がるほどに反抗心を露にした。そして夫は2年前に病でこの世を去った。夫がずっと独身を貫いたことが良美の痛みとなる。誰か素敵な人と再婚して幸せな家庭を築いてくれていたならばまだ救われたのに、と想う。するとまたそんな身勝手な自分を嫌悪してしまう。
 夫は学生時代、ラグビーの選手だった。いま副社長として良美を支えてくれている弟の先輩であった。体育会系の上下関係のまま、夫と弟は親交をつづけていた。夫が亡くなってしばらくして、弟は良美にこう言った。
「義兄さんは、姉さんのことをずっと気にかけていた。ずっと姉さんのことを愛していた。それは間違いない」
 夫を不幸にさせてしまった。自責の念とともに強烈な痛みが良美の胸の内を襲い、大きな傷跡として刻み込まれている。だからいま、誠一と鞠子のことが気にかかってしょうがないのだ。
「鞠ちゃんはそんなんでいいの。それはそれで大変よ。あなたのことだから農作業を手伝うでしょう。まったく休めないわよ」
「うん、そうですよね。でも最初から何かを決めつけないで、とりあえず前にすすんでみます。ご心配をおかけしますが、甘えさせてください」
 鞠子は屈託なく言った、
「夫婦は仲良く、一緒に生活したほうがいいんだよ」
 良美が声を絞り出すようにして当たり前のことを言った。皆驚きはしたものの、どうかしたのか、と問うことはしなかった。
 何かがあるのだろう。でも、良美の口から何かが漏れ出てこないならば、触れないほうがいいのだ。
「ごめんね。わたしの老婆心。忘れてちょうだい。あなたが以前に土に還られたと話してくださった、尊敬するお祖父様の農業を継ぐ覚悟、立派です」
 良美はそう言って誠一をしっかりと見つめて頷き、今度は九谷に向かい、こうオーダーしてきた。
「お祝いのカクテルをお願いできないかしら。シャンパンが相応しいんでしょうけど、口の中はすでにウイスキー味になっているから違うものがいい。これって迷惑なオーダーの仕方になるのかな。無茶振りかな」
「そう言いつつ、目はつくれ、って言ってます」
 九谷はこう返しながら、誠一の想いを表すだけでなく、鞠子が好む味わいのカクテルがすぐにアタマに浮かんだ。「わかりました。二人のために、こころを込めてつくりましょう」と言って、すぐに取りかかった。
 九谷が手に取ったバーボンのボトルを見て、誠一が「あっ、なるほど。オールドグランダッドですか」と声を発した。
 18世紀末にケンタッキーに入植してバーボンづくりをはじめた一人にドイツ系移民のベイゼル・ヘイデンがいる。19世紀末、その孫がお爺ちゃんを慕い自社ブランドにオールドグランダッドと冠したものである。以前、誠一にその話をしたことがあり、彼はそれを覚えてくれていたのだ。
 そしてレモンジュースとシュガーシロップを用意すると、今度は鞠子が弾んだ声で「わかった。お爺ちゃんのウイスキーで、サワーをつくるんですね」と言った。二人はいつの間にかウイスキーやカクテルに精通してきている。
 九谷は嬉しくなり、彼らの幸せを祈ってこころを込めてシェークした。
 できあがると、良美の「幸あれ」との声で3人は乾杯した。
「心地よい甘みとコクに柔らかな酸味。とってもいい。さすがマスター」
 一口啜った良美がすぐに感想を述べてくれた。すると誠一が「日なたの温もりにフルーティーさのある涼やかな風がそよいでいるようなウイスキー・サワーです」と言って鞠子のほうを見つめ、訳あり顔でニッコリと微笑んだ。
「何よ。何か言いたそう。ニヤついていないではっきり言いなさいよ」
 鞠子が誠一に向かって、わざと強い口調で言った。
「この間のさ、あなたが朝の光を浴びながら畑に立っていた姿が浮かんできたんだ。ツバの広い麦わら帽子にサングラス。白Tにデニムのパンツ。このカクテル、まさにあなたの畑の姿を映している」
 誠一がそう言うと、「あれれ、お惚気(のろけ)を見せつけられちゃった」と良美が揶揄う(からかう)。すると「ごめんなさい。わたしが眩いほど美しいから仕方がないんです」と鞠子が戯け(おどけ)てみせた。
 九谷はそんな和やかな様子を見つめながら、誠一と鞠子の二人が一緒に顔をみせてくれる夜が少なくなってしまう寂しさを感じていた。

(第52回了)

絵・牛尾篤 写真・児玉晴希

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