Whisky Smiles Gently ショートストーリー ウイスキーは物語を映す Short Story

第47回
「冷たいのに熱い」

作・達磨信

 ヒロさんは不思議な人だ、と伸之は想う。自分より6歳年長とはいえまだ30代後半なのにどこか超然とした一面を感じ取ることがある。
 それが顕著になったのは昨年の夏のはじめ頃だった。ヒロの振る舞い一つ一つに清々しい風がそよぐのを感じた。橋上清和マスターとともにロンドンへ出かけたが、その際に心境の変化をもたらすような出来事があったのではなかろうか。力みが消えた。伸之の眼にはそう映った。
 しばらくして橋上マスターの引退を知る。寂しさを感じながらも、バーテンダー界のレジェンドが築き上げた店をヒロさんが継ぐとわかったとき、伸之は歓喜した。ヒロさんなら立派な後継者になれる、との確信があった。
 店を継いで1カ月半と少し経つ。ヒロさんは今夜も平常心で接客する。
「寒風の厳しい夜なのに、ヒロさんには春のような清々しさがありますね」
「ほんとかよ。気持ち悪いじゃんか。嘘くせーな」
「いやいや、ほんとのことを言ってます。しなやかなキレがあるように見えるんです。まだ寒いこの2月に、一人だけ着ぶくれしていないような感じ」
「あっ、そう言えば、そうなんだ。着古したコート、年末に捨てたんだよ。そんで新しいのに買い替えたら気持ちも軽くキレキレになった気がする」
「なんだかポンコツAI同士の会話みたいになりそうだな。まっ、いいか。とにかくクリエイティブな感覚は天才的だからな。大学の先輩に対しての贔屓目と言われようが、こころから拍手を送ります」
 伸之の言葉にヒロさんは「そんなに持ち上げるなよ」と苦笑する。

 いま飲んでいるヒロのカクテルは称賛すべき傑作だ。
 昨年11月に伸之は子宝に恵まれ、女の子の父親となった。ヒロさんはヒヨコのように可愛らしいシューズをプレゼントしてくれただけでなく、伸之にもお祝いをしたいという。そこで冗談半分に「年明けのお年玉に、冷たいんだけどあったかい、そんなカクテルを考案してください」と言ってみた。
 子供が誕生したとき、故郷は冬支度に入っていた。自分が親という立場になったせいなのか、北海道に生きつづける父と母の姿が浮かんだ。オホーツクの雪と氷の凍える世界。厳しい寒さのなかに笑顔のある暖かな家庭。脳内スクリーンに両極といえる故郷の冬のシーンがよみがえる。
 そこから「冷たいんだけどあったかい」という言葉が出たのだろう。
 年初に顔を出すと、いきなり「お年玉のカクテル、できているぞ」とヒロさんは言ってきた。深く考えもせず、感情のままに発した我儘なオーダーに応えてくれた申し訳なさに、深く頭を下げた。
「悪いけど用意できるまでの間、何か他のものを飲んでいてくれないか。ちょっと時間が欲しいんだ。今夜は時間、大丈夫なんだろう」
 伸之は頷いた。彼の妻は同郷で高校の後輩である。故郷に帰って出産したので、彼は年末に帰省して赤ちゃんのいる賑やかな正月を過ごした。そして妻と赤ちゃんに同行して義母も東京にやってきた。いろいろと面倒を見てくれているその義母が、息抜きをしなさい、と気遣ってくれたのだ。
 まずはメーカーズマークのハイボールをオーダーした。いつもよりゆっくりと味わい、さらに間を置いた。準備の時間をくれと言ったが、一体どんなカクテルなのだろうか。気になるが急いても仕方がない。
 伸之はその夜の口開けの客だったのだが、ハイボールを飲みはじめると2人組、つづいて1人と、つづけざまに3人の客が来店してきた。しばらくヒロさんの接客の様子を眺める。それだけでも楽しく、間を持たせられるのだ。
 ヒロさんが「待たせたみたいだね。次は、どうする」と聞いてきた。同じものをと応えると、「それを飲んだら、お年玉カクテルだよ」と言った。

 カクテル名はスノースピリット(Snow Spirit)。つくり方はこうだ。
 一つのショットグラスにシングルモルトウイスキー山崎、もう一つのショットグラスにジャパニーズクラフトジンROKUを入れ、これらを冷凍庫で冷やす。さらに空のショットグラスも同じように冷凍庫で冷やす。
 そして最低でも30分以上おいてから冷凍庫から取り出し、冷えた空のショットグラスに、キンキンに冷えた山崎とROKUを注ぎ、満たす。山崎1.5対ROKU 1の比率だという。
 凍えるほどの感覚が舌に沁みるのでなかろうか、と伸之は身構えながらグラスを口元に誘う。たしかに冴えたクールな感覚が唇に伝わってきたが、冷やされ、ロックされていた香味が口中でほぐれていくといきなり独特の温かみが広がった。花開くようなそのしなやかな味わいに魅了される。
 ヒロさんはこう説明してくれた。
 温かみはスピリッツがもたらすアルコール感である。山崎の甘く煌めくような滑らかさが効いていて、ROKUの和のボタニカルの香味をうまく包み込んでいる。後口にはROKUのスパイシーさがそよ風のように浮遊してきて、心地よく、素敵なアクセントになっているはずだ、と。
 柔らかくしなやかな甘みとすっきりとしたスパイシーさが見事に溶け合っていて、ウイスキーファンの伸之にとっては魅力的な味わいである。
「切なさもあるのに、華やぎもある。春が手招きしている感じかな。これは着古したコートを処分したから生まれたってことですか」
「そんなところかな、なんて、まあ、どう捉えられてもいいけどさ」
 はじめて飲んだその夜、何故前もってショットグラスにミックスしたものを冷凍庫に入れないのか、とヒロさんに聞いた。そのほうが簡単なはずだ。
「お客様の目の前で、どんな酒を使うのかを伝え、異なる素材をミックスする姿をきちんとお見せする。プレゼンテーションを大切にしたいんだ」
 そう言いながら、それぞれのショットグラスの後ろに控えている山崎とROKUのボトルに手を差し伸べてみせた。

 はじめての夜から何日か経ち、再びスノースピリットをオーダーした。そのとき、ROKUの六角形から雪の結晶をイメージしたと教えてくれた。またシングルモルトウイスキー山崎誕生時の話も基になっているらしい。
 山崎が製品化される瓶詰め前の最終段階、冷却して白濁物質をフィルター濾過する工程時、山崎蒸溜所には雪が散らついていたという。
 濾過は夜遅くまでかかり、携わった職人の方が仕事を終えて外に出ると震えるほどの寒さだった。しかしながら冴えた夜空から白く舞い降りてくる雪がとても綺麗で、しばらく見惚れてしまうほどであったそうだ。
 これはかつて橋上マスターが山崎蒸溜所の職人さんから伺った話をヒロさんに教えてくれたもので、実話だそうだ。
 そして今夜も伸之は最後の一杯にスノースピリット、雪の精を飲む。
「それにしても、見事なネーミングですよね」
「無垢で美しい雪の結晶に、キミのお子さんを重ねたんだ」
「えっ、どういうことですか」
「子供たちの未来を願ったんだよ。汚れのない白い雪の精が舞いつづけるように。戦争のない未来であるように。山崎はもちろん、ウイスキーに不可欠な森や樹木、土、麦、水、樽、またクラフトジンROKUに香るボタニカルが実る里山など、すべての環境が平穏な時の流れなかにあるように、って」
 その願いは、人の親となった伸之のこころに沁みた。ただ、想いをうまく言葉にできなくてグラスを唇に当てる。冷たい。頬を伝いこぼれる雫は熱い。
「ヒロさんは格好いいな。自慢の先輩です。あとは彼女だけですね」
 そんな言葉を返すのが精一杯で、すぐさま「うるさい」と怒られた。
 ヒロには一つだけ伸之に伝えていないことがある。
 菜々子という名の愛する女性がいて、彼女の植栽で潤いつづける地球であってほしいとの願いだ。緑の大地と碧い海は永遠でなければならない。

(第47回了)

絵・牛尾篤 写真・児玉晴希

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