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サミュエルズ家とともに歩んだ歴史。

history

スコッチ・アイリッシュ系をルーツとするサミュエルズ家。その精神と想いが込められたメーカーズマークの歩みは、紆余曲折と試行錯誤の繰り返しでした。物語に満ちた足跡の一端をここにご紹介します。

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1780年

サミュエルズ家の第一歩

スコッチ・アイリッシュ系(現北アイルランド)移民の一族のひとり、ロバート・サミュエルズがペンシルベニアよりケンタッキーに移り住む。農業をしながら自家用ウイスキーづくりをはじめる。

1840年

本格的な事業展開

ロバートの孫、3代目テーラー・ウィリアム・サミュエルズが蒸溜所を設立し、本格的なバーボンウイスキー製造を開始。

1920年

バーボン苦難の時代

1920年施行の禁酒法により操業停止。33年に撤廃後、しばらくして5代目テーラー・ウィリアム・サミュエルズ・シニアが昔ながらの製法によるバーボンウイスキー製造を再開するが、なかなか軌道に乗らなかった。

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1951年

少量生産、世界品質を目指す

それまでの素朴な味わいのバーボンではなく、世界で評価される最高品質のプレミアムバーボンの製造を探求していた6代目ビル・サミュエルズ・シニアがついに動く。ハッピー・ハローの丘に囲まれた風光明媚なロレットの谷の一帯にあった農園、スターヒルファームを買い取る。そこには廃屋同然のバークス・スプリングという小さな蒸溜所と良質な水が湧き出る湖があった。彼はすぐさま蒸溜所の改修をはじめる。

Bill Jr.'s story ビル・サミュエルズ・ジュニア ビル・サミュエルズ・シニア
  • 新たな始まり

    特別なバーボンをつくろうと決意したビルは、ケンタッキー州ロレットにあった歴史あるバークス・スプリングス蒸溜所を購入してすぐ、170年にわたる一家のウイスキー造りを記した秘伝のレシピを燃やしてしまった。

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  • バーボンの誕生

    ビルには長所が2つあった。金よりも熟練の技を重視したことと、驚くほどの辛抱強さを持っていたこと。ライ麦の代わりに柔らかな冬小麦を、そして石灰岩(ライムストーン)でろ過された美しい湧き水を使い、6年もかけて理想のバーボンに近づけていった。それからもいくつかの困難と試行錯誤を経て、メーカーズマークは誕生する。

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  • 独自のレシピ

    ビル・シニアは少し変わった方法でメーカーズマークの味わいへとたどり着いた。原材料の配合を見直しながら、自宅で何度もパンを焼いてみたのだ。そうして、メーカーズマークの特徴であるまろやかで口当たりのよい風味を生み出す冬小麦が採用された。

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1952年

ライ麦より小麦

一般にバーボンはとうもろこし、ライ麦、大麦麦芽を原料に使用するが、ビルは原料の穀類の配合比を見直しながら、パンを焼くという非科学的方法を試みる。そこでスパイシーでドライなライ麦よりも小麦のほうがまろやかで口当たりが良いことに気づき、冬小麦を採用することに決定する。

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1954年

できる限り人の手でつくる

前年の53年、蒸溜所の改修、設備導入を終え、サミュエルズ家の新たな蒸溜所としてスタートを切る。「機械まかせにせず、できる限り人の手でつくる」との信念でのプレミアムバーボンづくりがはじまった。翌54年2月に最初のバッチが樽詰めされる。1バッチ (batch/ロットのこと) 、わずか19樽の生産量。

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1958年

愛妻の内助の功

6代目のビルの妻マージー(本名マージョリー)にはマーケティングの才能があった。「メーカーズマーク」(製造者の印)というブランド名、ボトルに封蝋を施すアイデアなど、彼女の果たした役割は大きい。

マージー・サミュエルズ マージー・サミュエルズ
  • マーケティングの才能

    マージー・サミュエルズの功績は、ただ名前をつけただけに留まらない。メーカーズマークのラベルとボトルをデザインし、手作業でボトルを赤い封蝋で封じるというアイデアを思いついたのもマージーだった。

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  • トレードマークの制作

    かつて蒸溜所の場所にあった農場の名前から円と星を、そこにサミュエルズのSと、ビル・シニアが醸造家の4代目ということでIVを配した。ただ数年後、ビル・ジュニアが家系を調べ直し、父が実際には6代目であることを発見している。

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  • 赤い封蝋

    マージーによって考案された赤い封蝋は、すべてのメーカーズマークのボトルを飾り、今も完全に人の手で作業されている。

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1959年

「メーカーズマーク」誕生

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ケンタッキーで最小規模の蒸溜所から、6回の夏を過ごして熟成したバーボン「メーカーズマーク」がボトルネックに赤い封蝋を纏い世に贈りだされる。

1967年

ロケット科学者であり弁護士でもあるビルの息子、ビル・ジュニア(7代目)が加わる。翌68年、娘のレスリーも入社。彼女は初の蒸溜所見学プログラムを企画。これが現在のケンタッキー・バーボン・トレイルとして知られる観光ツアーへと発展し、バーボン業界に貢献することになる。

ビル・サミュエルズ・ジュニア ビル・サミュエルズ・ジュニア
  • 封蝋の継承

    1975年、ビル・サミュエルズ・シニアは、息子ビル・ジュニアが、十分にメーカーズマークの社長を引き継げるほど学んだことを悟る。息子へのアドバイスはたった一言、"Don’t screw up the whisky."(ウイスキーを台なしにするな)であった。

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1978年

メーカーズマーク蒸溜所がアメリカのアルコール飲料関連施設で初の国定史跡に指定される。

1980年

『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙が、メーカーズマークを第一面で特集する。株式非公開企業が取り上げられたことは過去一度もなく、プレミアムバーボン、世界品質のハンドメイド・バーボンとしての名声がより高まることにつながった。

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2011年

7代目ビル・ジュニアが引退し、その息子のロブ・サミュエルズが最高執行責任者(C.O.O./8代目)となる。

ロブ・サミュエルズ ロブ・サミュエルズ
  • 仕事の秘訣を学ぶ

    9歳からロブ・サミュエルズは蒸溜所においてありとあらゆる仕事を経験してきた。今日、メーカーズマークの最高執行責任者となったロブが大事にしていることは一つ。サミュエルズ家のバーボンを求める世界からの需要に対応できるよう蒸溜所を成長させること、そしてもちろん、「ウイスキーを台無しにしない」こと。

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  • 赤い封蝋の継承再び

    2011年、メーカーズマーク社長を36年間務めた後、ビル・サミュエルズ・ジュニアは、日常業務からの引退を発表する。名誉会長となり、息子のロブが最高執行責任者として引き継ぐことになった。

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