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ウエスタン・サルーン(4)

ホテルの登場はアメリカの社交に変化をもたらした。それまでのタバーンは基本的には男だけの場であった。ところがホテルは女性も受け入れた。ただし、あくまでも上流階級に属す者たちの世界ではある。

さてホテル、バーというワードをわたしはここで登場させた。いろいろと目を通した文献にそう書いてあったから、というのが正直なところ。わたしが参考にした文献を書いた人たちも、1794年にバーという呼び名の酒を飲ませる場があったどうかは別として、酒場があったようだからバーと単純に表記しただではないかとわたしは思っている。

では、バーと呼ばれる酒場はいつ頃から登場したのだろうか。

その前にホテル。もともとは中世ヨーロッパで教会や寺院の巡礼者の接待所だったhospes (ホスピス/ラテン語)から派生したもの。そこからいろいろと変形していきhospital(病院)やhotel(旅人を接遇する場・大きな宿)といったワードが生まれた。

ホテルの名称は1770年代以降の18世紀末のフランス(hは発音しないからオテル)で呼ばれはじめたという。大衆のイン(inn)に対して、貴族をはじめ上流階級へ向けてのホテルが誕生したのだ。これが産業革命で勢いづいたイギリスへと伝わり、たちまちにしてアメリカも取り入れたという図式である。

長い歴史のあるヨーロッパのように王侯貴族という存在は皆無で、宮殿という豪奢な大型建造物など存在しなかったアメリカでは、このホテルこそが宮殿に変わるものになる。上流階級の社交場となったのだ。

次にバー。バーという名の酒場の発祥をアメリカ西部開拓時代を中心に諸々の説で語られてはいるが、わたしは首を捻ってしまう。疑問を抱いたまま、いまだこれだという説に出会っていない。

バーとは別にsaloon(サルーン)という酒場のワードがある。アメリカで酒場の名称にサルーンが使われはじめたのは1840年代以降らしい。

もとになっているのはフランス語のsalon(サロン)で、大邸宅の応接室を言う。これもまたイギリスに伝わりサルーンとなり、アメリカへと渡る。イギリスやアメリカでは酒場や娯楽室をも含めて使われるようになる。

ここでのアメリカとはもちろん東部のこと。だからアメリカのサルーンも東部からはじまった。一般的に西部開拓時代とは南北戦争のあった1860年代から90年代までのことを指す。この時代にアメリカ西部ではウエスタン・サルーンと総称される酒場が興隆した。諸説あるが、このウエスタン・サルーンから、棒であるバーが、酒場を指すワードへと発展した、と言い伝えられている。

一方、イギリスでは19世紀半ば頃にパブ内部が明確に仕切られはじめる。産業革命が生んだ格差社会を象徴するかのように、労働者階級はパブリック・バーで飲み、中産階級はサルーン・バーで飲む、というスペースができあがっているのだ。19世紀半ばには棒というワードがイギリスの酒場に存在していたようなのだ。これも改めてキチンと調べてみなくてはいけない。

 

実はbarとは法曹業界の言葉である。もともとは傍聴席と裁判官とを分ける仕切り、棒状の手すりのようなものを指した。

イギリスで法廷弁護士はbarrister(バリスター)。たとえばこれが転じて酒場でバー(日本でいえばカウンター)を前にして客を仕切るからbarmanやbartenderというワードが生まれた、なんて図式は考えられないだろうか。そこからbarは酒場という意味をもつようになった、と。イタリアではバールで接客サービスする人をバリスタ(barista)というが、これも同様ではなかろうか。

ちなみにアメリカでは司法試験のことをBar Examという。日本弁護士連合会はJapan Federation of Bar Associationである。バーテンダー協会と勘違いしてしまいそうだが、英語ではこうなるのだ。

サルーン前に設置された馬の手綱をつなぐ横木であるとか、飲みながら足をかけるのにちょうどいい横木とかの説を、わたしが素直に頷くことができないでいるのには、こうした理由がある。

(第54回了/次回へつづく)

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