バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

ビバップ 文・達磨信

ビバップ。スウィングに満足しなくなったジャズ・メンが、新しい奏法の開拓、より自由なスタイルを追求して生まれたもので、いわゆるモダン・ジャズの基本となったとされている。

さまざまな酒をベースにミントの葉を使ってつくられていた「ミントジュレップ」が、18世紀半ば以降のバーボンウイスキーの広がりとともにバーボンベースによって革新したように、ビバップもまたクールで革命的であった。

1940年前後にジャズの新しい波は動きはじめた。ビバップとは、ラテン・アメリカン・バンドが景気づけに「アリバ」とか「リバ」とか叫んでいたかけ声を、ジャズ・メンが真似て「ヘイ・ババ・リ・バップ」などと歌ったことが転訛したと言われている。ニューヨーク、マンハッタンはハーレムのミントンズ・プレイハウスとアップタウン・ハウスのふたつの店が発祥とされ、どちらもジャム・セッションのため門戸を開いていた。

ミントンズ・プレイハウスはハウスバンドのリーダーにドラマーのケニー・クラークを迎え入れた。そしてクラークはピアニストにセロニアス・スフィア・モンクを呼ぶ。レギュラー・ビートの中に新しいリズム・パターンを創り出そうとしていたクラークは、どうしてもモンクが必要だった。

モンクは厚みのある重たいハーモニーと、思いがけないところで飛び跳ねるような不規則なリズムをとるピアニストだった。

ふたりが演奏すると、けたたましく、耳慣れないが面白いサウンドになった。

それからミントンズは他流試合の一騎打ちの場となっていく。スウィングの有名バンドの連中も顔を出し、名だたるプレーヤーが蹴落とされることさえあった。1941年秋になるとビバップ革命をもたらすミュージシャンたちがお互いを発見し合うようになる。

ミントンズのお抱えミュージシャンたちはいつ頃からか、バードという新しいサックス奏者のことを耳にしはじめる。バードことチャーリー・パーカーはカンザスシティ出身で、レスター・ヤングのような演奏をする。しかもレスターよりも倍も速い。アップタウン・ハウスで変わったコードで主張をもった音色を出しているという噂だった。


クラークとモンクはある晩、確認のためにアップタウン・ハウスに出かけていった。「バードは、わたしたちがそれまで聴いたことがないような演奏をしていた」と後にクラークは語っている。ふたりは自分たちよりも先を行く人間に出会ったことを確認し、金を出しあってミントンズに移るようバードを誘った。

その頃のバードは満足に食事をとれぬほど貧しく、商売道具のサックスさえも質種にしていたほどで、いつもホーンからリードとマウスピースをはずしてポケットに入れていた。彼はふたりの好意を素直に受け入れたのだった。

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