2025.12.22
美味追求 植物科学 ストーリービールの香味を左右する「ホップ」。ゲノム解読に世界で初めて成功
ホップはビールづくりに欠かせない原料の一つです。私たちは、ホップについてゲノム解読に挑戦し、世界で初めて成功しました。それによってわかったこと、そして今後何ができるようになるのか、その可能性についてご紹介します。
本記事は2015年に弊社コーポレートサイトにて掲載された内容を、再編集したものです。記載の役職・部署名・写真などは、原則として掲載当時(2015年)の情報です。現在とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。
サントリーは、本当に美味しいビールをつくるため、原料ホップのゲノム解読に世界で初めて成功しました。ホップの膨大なゲノム情報を解析し、品種間の遺伝子の挙動の違いなどを解明。さらに、この知見を栽培技術に活用し、環境変動に対応した乾燥耐性を持つ優良品種の開発にも成功しました。本記事では、ホップ研究の全貌と、美味しいビールの持続的な提供に向けた取り組みを紹介しています。
ホップの研究に力をいれる理由は?

サントリーでは本当に美味しいビールをつくりたいという思いから、原料の本質を理解し、特徴を見極め、原料まで遡って研究に取り組んでいます。
ホップはビールの香りや苦味など味わいを左右する重要な原料です。ザ・プレミアムモルツにはチェコ・ザーツ地方の厳選されたファイン アロマホップを使用。その特徴の一つである“華やかな香り”は、ザーツホップによるものです。
一方、近年の環境変動や世界的な人口増加に伴うビール需要の高まりから、高品質なホップ、特にザーツホップを安定的、永続的に必要量を確保することが難しくなってきているという側面もあります。その打ち手の一つとして、2010年からチェコのホップ研究所と協力し、ホップの設計図であるゲノム解読に取り組みました。
ホップのゲノムサイズは新聞62年分のビッグデータ

ゲノム解読に取り組むには、その膨大なデータを扱える最新の設備と情報解析技術が必要です。また読み込むホップそのものが現存する品種に限ります。そのため、まず、日本で栽培されている「信州早生」品種のゲノム解析に取り組みました。推定されるホップのゲノムのサイズは約25億塩基対であり、新聞約62年分ものビッグデータになります(一般紙朝刊の文字数を11万文字として換算)。私たちは最新型のDNA解読装置を駆使し、全体の約80%に相当する20億塩基対の解読に成功しました。次に、これを基に、ヨーロッパで栽培されている「ザーツ」品種と野生種(カラハナソウ)のゲノム配列解読を行い、これら3種のホップには多くのゲノム配列の違いがあることがわかりました。
香味に関する遺伝子は若い雌花の中で動き出す

ホップの雌花(毬花(きゅうか)といい、この部分を利用)の生長段階に沿って遺伝子の挙動を調べてみると、ホップの特徴的な香味が作り出されるメカニズムの一端が明らかになりました。その中でわかったことは、毬花の非常に若い段階から香味をつくる遺伝子が働いていること、品種間で遺伝子の挙動が大きく異なることです。ゲノムの配列の違いは遺伝子の挙動の違いにもなり、品種ごとの香りの違いや苦味の違いに影響を与えていると考えられます。
Natsume, S. et al. (2015) The draft genome of hop (Humulus lupulus), an essence for brewing. Plant Cell Physiol. 56, 428-441.
実際に栽培してわかってきたこと

ホップはブドウ、コーヒー、茶などの他の原料と同様に、収穫年や畑ごとに品質が異なることが知られています。これらは栽培される年々の天候、栽培されている株の年齢、病気などの有無、収穫のタイミングなどが影響していると考えられるため、これらの栽培要因がホップの品質にどのような影響を及ぼすのかの解析を行ってきました。
その結果、株の年齢によって品質が異なり、若齢株では穏やかな木香様の香り、10齢前後の中齢株では華やかな香りを有することがわかりました。これらはビールの品質にも影響を及ぼすことが官能評価から裏付けられており、理想的なビールの香味を実現するためには、収穫されたホップの管理方法(低温・低酸素)やビールの醸造方法だけでなく、ホップの栽培方法も適切に制御していくことが大事だとわかりました。
The influence of hop root age on the quality of hop aromas in beer
H. Matsui, T. Inui, M. Ishimaru, Y. Hida, K. Oka
Beer Development Department, Beer Division, Suntory Liquors Limited
(Proceedings of the Third International Humulus Symposium 171-182)
栽培環境と遺伝子の働きで作物の品質は決まる

ゲノム情報を活用したメカニズムの解明により、このような栽培要因がホップの品質にどのように影響するのかを知ることができます。例えば、品質の良好な年と悪い年のぞれぞれで、植物の中で働いている遺伝子の種類や強さを比較することで、どの遺伝子が品質を良くするために必要なのかがわかり、それらをコントロールする方法を見つけ出すことで、良い品質を安定的に作り出すことができると考えられます。つまり、このようなデータを蓄積し、ホップの栽培に活用することができると、品質の良いホップを積極的に作ることができるようになります。
ゲノム情報と栽培の両面からホップの品質向上へ

ゲノム情報には、病気のかかりやすさや、開花する時期、香りの違いなどが記されていますが、例えば、品質を安定させたい場合、それがゲノム情報の中のどの部分に記されているのかを膨大な生命情報の中から特定することが大切です。
「ザーツ」や「信州早生」などの人類が栽培化した栽培種と、野生種のゲノム情報を比べると、栽培種が特徴的に持つ1500個を超える遺伝子を特定することができました。それらは、栽培化を進める過程で作物に必要な要素として強化されたと推定できます。さらに、これら1500個超の遺伝子の一部については、ビールの香りと味にとって非常に重要な遺伝子だということもわかりました。
ゲノムを紐解くことでまだ誰も知らないホップの本質理解まで実現すること。そして実際に栽培技術の開発に活用すること。それはとてつもなく大きなチャレンジですが、やりがいのあるたいへん大きな取り組みです。この研究を通じてホップ生産者と連携し、さらに美味しいビールづくりに貢献したいと考えています。
美味しいビールの持続的な提供に向けて

気候変動によって日本でも天候不順や高温が問題となっていますが、ホップの産地であるチェコも例外ではありません。特に開花期から収穫期までの間で少雨となり、その結果ホップの収穫量が十分に確保できない年が頻発しています。
将来にわたって高品質なホップを使用したビールを安定的に提供するため、2018年からチェコにあるホップ研究所と共に乾燥耐性を有し、優れた香味を持つホップ品種の開発をスタート。その後、優良個体の選抜を進め、2024年に品種として完成させることが出来ました。
また、ゲノム情報を用いて乾燥耐性を有する個体を選抜する技術を開発し、特許を出願しました。2025年現在、選抜された品種はチェコ国内で大規模な試験栽培を行っています。美味しいビールを持続的に提供できるようこれからも研究を進めていきます。