2025.12.22
その他 植物科学 ストーリー1998年~2002年|青色色素100%まで。ついに青いバラが誕生
遺伝子を植物の細胞に導入するためには、まず細胞の機能や形態がまだ分化していない、不定型な細胞の塊(これを「カルス」と言います)を培養しなくてはなりません。つまり、葉になるのか茎になるのかも決まっていない細胞の塊に青色遺伝子を導入して、それを育てて、バラを咲かせるわけです。
本記事は2014年に弊社コーポレートサイトにて掲載された内容を、再編集したものです。記載の役職・部署名・写真などは、原則として掲載当時(2014年)の情報です。現在とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。
研究員たちは、カルス(細胞塊)にパンジーの青色遺伝子を導入するという、サントリー独自の手法で地道な実験を続けました。その結果、1998年から1999年頃にかけて、やや青みを帯びたバラが咲き始め、ついに青色色素をほぼ100%蓄積したバラの開花に成功。2002年には、より青みを帯びた個体を選び出すことに成功し、世界初の青いバラが誕生しました。本記事では、経営トップへの報告などのエピソードを交えながら、長年の研究が実を結んだ感動の瞬間を紹介しています。
根気強くカルスにパンジーの青色遺伝子を導入し続ける
このカルスを作るだけでも1年程度かかるため、非常に時間を要する気の長い実験です。研究員たちは忍耐強く、カルスにパンジーの青色遺伝子を導入する作業をひたすら続けました。この手法はサントリーが開発したオリジナルなものです。多くのバラの品種に遺伝子を入れることができるため、青いバラ開発の根幹をなす技術です。
ついに世界初の青いバラが誕生

1998年から1999年頃にかけて、やや青みを帯びたバラが咲きはじめました。さらに遺伝子導入を継続したところ、その努力の甲斐あって青色色素が100%近く蓄積したバラを咲かせることができました。これらの中からより青い系統の品種を選びだしたのが、2002年のこと。ついに世界初の青いバラが誕生したのです。さらに、このバラを接木で増殖することにも成功し、同じ色を安定的に咲かせること、正常に生育することも確認しました。
さまざまな品種に入れて青さを追求(田中良和上席研究員)
経営トップに研究の進捗を報告

見た目にも青いバラの開発成功に向かって研究を進めていた1999年。半年に1度、研究の進捗状況を経営トップに直接報告することになり、そのテーマに青いバラが選ばれました。
最初は3カ月に1度と言われたのですが、3カ月ではバラは大きくなりませんと言って半年に1度にしてもらったんです(笑)。専門外の役員の方々に、わかってもらえるように説明するのは大変でした。 わかりやすさを心がけたあまり、「よかった。ほな、すぐできるんやな」と言われてしまったことも。特に資料作りに大変苦労したのを覚えています。
2002年9月までに青いバラを作ると宣言

その報告会で印象に残っているのが、せめてネクタイだけでもと青いバラ柄のネクタイを締めていったときのこと。偶然、上司の役員の方も青いバラのネクタイをしてきていたので、当時の副社長に2人で「今日は青いバラのネクタイをしてきました」と言ったところ、「青いバラを作るというのは、ネクタイのことやったんか」と言われてしまったのです。発表前に緊張しているところにそう言われ、それこそ、ぐうの音も出ませんでしたね(笑)。
この報告会で、当時の社長や副社長を前に2002年の9月までには青いバラを作ると約束してしまったので、そのプレッシャーからか、初夢で社長に「青いバラはまだか~」と言われている夢を見たほどです。
社長に判断を仰ぐ“青いやないか!”

青色色素含有率をほぼ100%まで高めたバラが咲きましたが、青く見えるかどうかは主観にもよります。そこで社長の判断を仰ぐことになり、2002年に社長室に青いバラを持参。「もう、ここまで来たら腹をくくるしかない」と思いつつ、青くないと言われた時に備えて、こっそり言い訳用のプレゼン資料も用意していました。
ですから社長に「おっ、青いやないか。ようやった。約束が守られることは少ないんやけどな」と言われたときは、ほっとしたものです。後に、他の研究員が研修の際にその話を社長にしたところ「あれはお世辞も入っていたんやで」と言われていたそうです(笑)。苦労をねぎらっての言葉ですから、もっと青くしなければと改めて思いました。