サントリーウイスキー蒸溜所便り

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山崎蒸溜所便り

日本初のモルトウイスキー蒸溜所。なぜ、この地が選ばれたのか。

2018年4月24日

こんにちは、水野めぐみです。
4月も半ばとなり、春風の心地よさと共に新緑の爽やかさも感じられる季節となりましたね。
今回は、日本のウイスキーのふるさと、山崎蒸溜所の開設に至るエピソードをご紹介します!


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日本初のモルトウイスキー蒸溜所「山崎蒸溜所」


サントリーの創業者・鳥井信治郎は、1907年(明治40年)、ワインに馴染みがなかった日本人向けに、ワインをベースにした甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」を発売。これが順調に売り上げを伸ばします。
一方、当時の輸入ウイスキーは、一般には手が届かない高級品でした。「赤玉ポートワイン」で成功した信治郎は、いつか自らの手で海外製品に負けない本格的な国産ウイスキーをつくりたいという想いを抱きます。
ところが、ウイスキーづくりは製造の難しさに加え、仕込んでから製品を出すまでに何年もかかり、社内の役員や関係者たちから猛反対をされます。しかし信治郎は「日本人の繊細な味覚に合った、日本のウイスキーをつくりたい」という熱い想いのもと反対する人たちを逆に説き伏せ、1923年(大正12年)、山崎蒸溜所の建設に着手したのです。


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山崎蒸溜所には、操業当時使用していた蒸溜釜が今も残っています


では、なぜ蒸溜所の建設場所に、山崎の地を選んだのでしょうか。


信治郎は、スコッチウイスキーの文献から蒸溜所を取り巻く自然環境の重要性を学んでいました。
豊かな自然に囲まれた山崎は古くから名水の地として名高い場所で、安土桃山時代には、茶人の千利休が茶室を構えて茶を点てたと言われています
また、天王山の麓に位置し竹林が生い茂る山崎は、日本らしい四季の変化も感じられ、さらに、桂川、宇治川、木津川の三川が合流する独特の地形は霧が発生しやすく、この湿潤な環境がウイスキーの熟成にとって最適な環境だったのです。


日本らしい風土にこだわり、「良い原酒は良い水が生み、良い熟成は良い自然環境なしにはあり得ない」という確固たる信念を持った信治郎が全国の候補地を巡る中で、たどり着いた地こそが京都郊外・山崎でした。


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創業者・鳥井信治郎のウイスキーづくりへの挑戦により
数々の銘酒が生み出されてきました


その後、サントリーウイスキーの90年以上の歴史の中で数多くの銘酒が誕生しました。「角瓶」やサントリーウイスキー「オールド」など、皆さんにとって馴染み深いウイスキーも多いのではないでしょうか。そして1984年には、二代目マスターブレンダーの佐治敬三が、信治郎の熱い想いを受け継ぎ、シングルモルトウイスキー「山崎」を世に送り出したのです。


シングルモルトウイスキー「山崎」の誕生日


山崎蒸溜所の建設に始まるサントリーウイスキーの歴史については、山崎ウイスキー館内の数々の展示でもご紹介しています。
山崎蒸溜所にご来場の際は、山崎周囲の自然環境とともに、ぜひ日本のウイスキーの歴史にも思いを馳せてみてくださいね♪


【山崎ウイスキー館の入場には予約が必要です(要予約)】
ゴールデンウィーク期間中は大変混雑が予想されます。予約なくご来場の場合、入場できない場合がありますので、ご来場の際には必ず事前予約をお願いいたします。


★山崎蒸溜所のホームページはこちら

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