SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2025年6月13日

#962 樋野 ジェシー 興太郎 『頑張って自分の言葉で話をする』

練習をサポートする時の球さばきが秀逸で、誰だろう?とよく見ると、チームアシスタント・通訳であるジェシー。彼はどんなキャリアを歩み、どんな思いを持って、選手や他のスタッフをサポートしてきたのでしょうか?シーズン後の心境も聞きました。

(シーズン中にファンクラブサイトのコーナー「FOR THE WIN」に掲載したインタビュー=①に、シーズン後のインタビュー=②を加えて、SPIRITS OF SUNGOLIATH としてお届けします)

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① シーズン中インタビュー (取材:2025年2月)

◆末っ子長男

――生まれは?

埼玉県の新座市です。アメリカ軍基地の近くです。新座で生まれて9歳まで朝霞市に住んでいました。そこから東久留米市に引っ越しました。母親がアメリカ人で父親が日本人です。

――ご両親のお仕事やご家族は?

父は 医学の研究科で、今は引退しています。姉が4人いて、僕が一番下です。上の2人は結構歳が離れていて、14歳と13歳上です。その下が4歳上と2歳上になります。父親も末っ子長男で、僕も同じです。

――待望の男の子、ご両親にもお姉さんにも可愛がられましたか?

そうだと思います。

――日本生まれの日本育ち、どこで英語を学んだんですか?

日本の幼稚園に通っていたんですけれど、そこからインターナショナル・スクールに通うことになって、アメリカン・スクールに通っていました。母親は僕が小さい時は仕事をしていなかったんですけれど、僕が小学校に入るくらいのタイミングで先生に戻りました。もともとアメリカン・スクールの先生をやっていて、今は小学校で校長先生をやっています。今年で引退ですね。

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――両親のどちらを継いでいると思いますか?

どっちもどっちですね。母親は明るくて、人と話すことも好きなので、そこは似ているかなと思います。僕が小さい頃は顔は父親に似ていました。僕はずっと外で遊んでいる子供で、ずっとスポーツをやっていました。何か始めたら没頭するというところは、父親に似ているかもしれません。

――英語力はそこのインターナショナル・スクールで身につけたんですか?

そうですね。学校の教育はすべて英語で、日本語は友だちとしか話していませんでした。日本に住んでいましたが、基本的にはすべて英語でした。英語の方が得意だったと思います。アメリカの教育を日本で受けている状態でした。年齢でいうと、6歳から18歳までがインターナショナル・スクールでした。そこから大学はカナダに行きました。

――そうすると英語の苦労はないのでしょうか?

生まれた時から、母親とは英語のやり取りをしていました。母親からは英語で話しかけられていたんですけれど、僕は頑固で「絶対に英語を話したくない」と言っていたみたいです(笑)。「日本にいて、友だちがみんな日本人だから、英語話したら日本語を忘れるから嫌だ」と言って、ずっと日本語を話していたみたいです。だから、幼稚園の間は、英語で話しかけられても日本語で返していました。母親の祖母にも英語で話しかけられて、日本語で返して、姉が訳してくれていました。

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◆やります

――カナダのUBC(ブリティッシュコロンビア大学)を選んだのはなぜですか?

父親は新渡戸稲造が好きなんです。新渡戸稲造はバンクーバーで亡くなったんですが、バンクーバーのUBCの中に新渡戸ガーデンというところがあって、たまたまUBCを受けて、「受かった」と父親に言ったら、「そこに行け」と言っていましたね。「新渡戸ガーデンに行きたいから行ってこい」と言われて、それで行くことになりました。大学では心理学を学びました。

――スポーツは?

僕はアメリカのシステムだったので、インターナショナル・スクールでは秋がテニス、冬がバスケットボール、春がサッカーでした。僕の学校ではそれがメインで、逆にアメリカンフットボールとか野球はありませんでした。

――何が得意でしたか?

バスケかサッカーですけれど、バスケがいちばん得意かもしれないですね。

――大学ではスポーツをやりましたか?

大学ではやりませんでした。大学では社会人リーグでサッカーをやっていたり、遊びでバスケをやったりしていましたけれど、大学のチームではやっていません。

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――大学を卒業した後は?

大学を卒業して日本に帰ってきました。日本に帰ってきてどうしようかと考えている時に、知り合いが英会話教室をやっていたので、そこに最初はアルバイトで入って、自分が何をしたいか考えようと思いました。最初はお手伝いで入ったんですけれど、そこのオーナーがグループ会社にしていくということで、少しずつ役割も増やしてあげたいからアルバイトでは難しいけれど社員ではどうかと言われました。そこで社員になって、そこの学校の先生の統括的なことを少しやりました。その後、買収とかあり、子会社が出来て、その子会社を回ったりしていました。その時には先生は辞めました。

グループ会社のひとつは人材派遣や留学斡旋をしていました。留学斡旋は春~夏の時期じゃないと留学もあまりないので結構時間があって、「何か新しいプロジェクトを考えてみて」と言われたんです。その時に某大学ラグビー部と繋がることがあって、その大学が外国人のラグビー選手を呼びたがっていました。そういったご縁があり、言われた3週間後にニュージーランドに行って、ルールも何も分かっていなかったんですけれど、ニュージーランドに選手を探しに行きました(笑)。
その後、たまたまサントリーに練習見学に来たら、サントリーが通訳を探していたんです。外国人選手が増えてきていて、外国人(ミルトン・ヘイグ)が監督になるということで、「ヨシさん(吉水奈翁/現静岡ブルーレヴズ通訳)ひとりじゃ足りないからもうひとり探している。やらない?」と言われて、「やります」と答えました。

――やってみようと思ったのはなぜですか?

まずはスポーツに憧れている部分があったと思います。常に「スポーツチームは良いな」と思っていたところがあるので、やりがいがある仕事だと思いました。あとはサントリーという会社も素晴らしいと聞きましたが、正直に言うとラグビーのことは一切分からず、最初はどういうチームかも分かりませんでした。話を聞いたりいろいろと見たりしている中で、こういうチームなんだなと分かりました。サントリーってストイックなチームですし、リーグの中でも独特な色もあると思います。僕は最初に来た時はサントリーっぽい人ではありませんでしたが、サントリーに来て良い意味で変われたなと思います。

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――変わらないと出来なかったんですか?それともこちらの方が良いからと思って変わったんですか?

どちらもありますけれど、僕は人が何かを言いやすいタイプだと思うので、何か思ったら言ってくれる人が多いんですよ。言われることによって学べますよね。「これは違うよ」とかちゃんと言ってくれていたので、そこから学ぼうと思って、変わらなければいけないところは変わりましたし、自分の中でそれは違うと思えば変えませんでした。

――ラグビーを全く知らない状態で、不安はありませんでしたか?

最初の頃は、コスさん(小野晃征/ヘッドコーチ)にも、ラグビーのことを分かっていないから、通訳の内容をいろいろと言われました。

――通訳がふたりいて、最初はどういった役割だったんですか?

最初はメディカルとフォワードがメインでした。ヨシさんが色々と教えてくれて、少しずつ役割を増やしていきました。メディカルに関してはポーピィ(サイモン・ポープ)がいましたし、フォワードコーチにタイ(マクアイザック)がいて、日本語がとても出来る人でした。日本語は出来るからサポートをして欲しいということと、「フォワードのことを理解したらラグビーは分かる」と言われました(笑)。

――ラグビーの理解度はどうですか?

相当ついたと思います(笑)。今年6年目ですが、フォワードのことでしたら、結構分かるようになりました。

――最初の頃はコーチや選手が言ったことが分からないこともありましたか?

内容を分かっているわけじゃないので、本当に直訳しか出来ませんでした。内容を分かっているのと分かっていないのとでは、通訳は全然違います。直訳し過ぎるから、あまり理解が出来ないということになっていました。本当に言葉言葉を直訳しか出来ていませんでした。直訳し過ぎると、ニュアンスがズレる時もあります。

――そのことを小野ヘッドコーチから指摘されたんですね

言われましたね(笑)。コスさんだけじゃないですけれど、年齢も26歳だったので、半分くらいは年上の選手でしたね。

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◆チームが勝つために言われている

――悩んだりしませんでしたか?

悩んだりしていましたね。でも、言われていることも僕を責めて言っているんじゃなくて、チームが勝つために言われているんだろうなと思っていました。

――ミーティングで通訳をしている姿って、その人になり切って言っているように見えるんですけれど、訳す人によって口調が変わったりしますか?

いちばん最初にヨシさんから通訳のことを教えてもらった時に、「映画の字幕と同じ」と言われました。最初は演技というか、同じようなエナジーで言わなければいけないと言われて、その人が怒っているのに訳す人が笑っていたら、話が変わってしまいます。まずはそこを合わせなければいけないと言われました。

映画の字幕って直訳じゃないんですよね。直訳だと映画の意味が分からなくなってしまうので、映画を理解されるための言葉をそのタイミングで選んでいるということを言われて、それが本当に大事だなと感じましたね。

――話している人をよく理解していないと出来ない?

コーチ陣とは事前にミーティングをしますし、これだけ毎日一緒にいて話を聞いていると、「こういうことを言うんだろうな」という予測も出来るようになります。

――逆に選手側から、どういうことを言っているのか分からない時はありますか?

遠回しな話をされると難しいですね。国によって違うんですけれど、アメリカのような直接的な話し方は通訳しやすいですね。

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――これは失敗したなと思うことはありますか?

シーズン前にサントリー社内でやる出陣式での通訳は失敗しました(笑)。相当緊張していましたね。言い訳になってしまいますが、敬語って大学を卒業してから使い始めたんですよ。フォーマルな場で、どこまで敬語にすべきか分からなくなると緊張しちゃうんですよ。メディアのインタビューも、外国人選手はフランクに話すのにどこまで敬語にするべきか、分からない時は緊張します。

――そういう時にはどうするんですか?

もう頑張るしかないですね(笑)。ある程度の敬語のレベルはキープしながらやろうとしています。

――いちばん上手くいった時は?

自分の中では、コスさんが話している時は、コスさんとの関係性も出来ているので、何を言おうとしているかが事前に分かります。コスさんはミーティングで英語と日本語を混ぜて話をするのですが、そこでの通訳はよく出来ていると言われているので、そういうところかもしれないですね。

――スピリッツ・オブ・サンゴリアスのインタビューの通訳はどうですか?

難しい時もありますね。ラグビーの良さって、チームの時は共通言語で話すんですよ。だから通訳しやすいんですけれど、インタビューになるとどこに対しての話になっているのか、聞く人全員に合わせることは難しいので、そういう部分が難しいですね。インタビューに関しては、後で編集をしてくれていると思うんですが、どこに対してのインタビューなのかによってトーンが少し変わると思います。

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◆前に進むしかない

――1日のスケジュールは、コーチ、スタッフと共に始まるんですか?

そうですね。何時どこで呼ばれるか分からないので、ずっとスタンバイですね。

――こっちでもあっちでも呼ばれた時は、どうするんですか?

どっちが優先かを考えますね。通訳がいた方が話しやすいけれど、いなくても話は出来るとか。

――通訳の人数はどうですか?

平松(航/ヘッドS&Cコーチ)も話せますし、コスさんも話せますし、英語を話せる人は結構います。先ほど言ったように共通言語があるので、今の外国人選手も理解は出来ると思います。細かいところには入らないといけないという感じです。本当の理想は、通訳はいない方が良いなと思います。日本に来たばかりの外国人選手やコーチもいるので、現実的ではないと思うんですが、頑張って自分の言葉で話をすることが大事だと思います。努力しないと関係性は出来ませんし、ラグビーで身体を張っていて信頼を勝ち取らないといけない人たちですからね。結局は信頼だと思うので。

――6年やってきて、面白いと思う時はどんな時ですか?

それは試合に勝った時ですね。

――そうすると今シーズンの第4節まではどんな気持ちでしたか?

残念な結果でしたけれど、「前に進むしかない」という感じですね。あまり過去のことは考えずに。前を向くしかないので。ラグビーは毎週試合があって、過去のことを考える時間もないですね。

――いちばん辛かったことは何ですか?

決勝で負けた時は辛いですね。1年目がコロナで途中で中止になってしまって、その後に2年連続でパナソニックに決勝で負けて、4位、3位という結果です。

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◆裏でどのくらいサポートが出来るか

――今シーズンが1/3ほど過ぎましたが、今シーズンの目標は何ですか?

優勝のみですね。僕としてはコミュニケーションミスがないように訳せることは訳して、どのくらいサポートが出来るかだと思います。

――たまにコミュニケーションミスも起きるんですか?

ありますね。個人的な部分でも、ニュアンスをパッとミスしています時もありますけれど、そこよりも僕がいないことでコミュニケーションミスが起きる時もあると思います。

――入るべき時に入るという勘のようなものも大事になりますね

周りで見ていて、ここに入った方が良さそうだな、あそこは大丈夫そうだな、とかありますね。

――日本代表や他チームでの通訳の可能性は?

僕はサンゴリアスが大好きなので、ラグビーで通訳をやるのであれば、サンゴリアス以外はやりたくないと思っています。

――ラグビーの通訳を目指す人にメッセージは?

楽しいですよ。スポーツチームのスタッフは大変なことがあると思いますし、サントリーはストイックなチームで、ミーティングも多く、体力は使いますね。コーチミーティングは選手が来る2時間くらい前からミーティングをしていて、2時間とか3時間ぶっ通しでミーティングすることもあります。5~6人がミーティングしていたら、通訳は休む時間がないので体力仕事ではありますけれど、その大変さ以上に、楽しい仕事だと思います。

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② シーズン後インタビュー (取材:2025年5月)

◆日本と海外の架け橋になる仕事

――大変なシーズンだったと思いますが、シーズンを終えて、今の心境はどんな感じですか?

悔しいシーズンにはなりました。最後に優勝してチームから去ることを自分の中で目標にしていましたけれど、みんなも一生懸命取り組んで、成長はしていたと思うので、これからもずっと応援をしていきたいと思っています。次のシーズンではより強くなって戻ってくると思うので、それをとても楽しみにしています。

――辞める決断をした背景には、次の大きな目標があるんですか?

スポーツチームの仕事をすることは、自分の中でとても楽しく、やりがいのある仕事だったんですけれど、さらに自分が成長するためにも、通訳から次の段階に進んでいかなければいけないという気持ちを持って、辞める決断をしました。

――次はどんなことをやるんですか?

次の仕事は車関係の会社なんですけれども、中古車や新車などを扱っています。主には海外の車関係の仕事が多い会社ですね。

――それはやってみたかったことですか?

もともとそしてずっと、仕事としては日本と海外の架け橋になる仕事を求めていたので、日本の会社ですけれども、海外で仕事をしている会社、昔からそういうところで仕事をしていきたいと思っていました。

――今後、日本の選手がもっと海外に出ていくような時代になれば、またラグビーに戻ってくる可能性もありますね

そうですね(笑)。

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◆勝った後の仲間とのお酒

――通訳をやっていて、楽しかったこと、思い出に残っていることは何ですか?

全ては勝つために準備をしているので、勝った後の仲間とのお酒は気持ちが良いですね。僕がいる間は優勝できませんでしたが、試合に勝った後のビールを一緒に飲むということが、いつも楽しかったです。

――大変だったことは何ですか?

大変だったことは、あまりないかもしれないですね。

――チームの成績には影響は受けませんでしたか?

決勝で負けた時のことが、自分の中ではいちばん印象に残っていますし、この3年は決勝にも進めていないので、辛い気持ちはありますけれど、大変ということは特にないかもしれません。

――それを聞くと、人生の中に大変ということは存在しないんじゃないですか?

ちゃんと理由があれば(笑)。

――サンゴリアスのみんなへメッセージを

僕は次のキャリアに進んでいきますけれど、常に皆さんのことを応援していますし、みんなが次のシーズンで優勝できるよう常に応援しています。

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(インタビュー&構成:針谷和昌)
[写真:長尾亜紀]

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