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SPIRITS OF SUNGLIATH

#207 仲村 慎祐 『自信に繋がるもんが見えてきた』

◆親父も、ラグビーやらへんか?

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—— 選手名鑑とはヘアスタイルが変わっていますが、学生の頃は選手名鑑のような髪型?

4年生の秋ごろに、同学年がヘマをしまして、連帯責任で全員坊主にさせられました。ほとんどスキンヘッドに近いくらい坊主にさせられて、そのまま髪を伸ばしたままだったんです。それでやっと今になって、もとのヘアスタイルに戻ってきました。

—— 出身地はどちらですか?

出身は兵庫県西宮市です。高校(報徳学園)3年まで西宮に住んでいました。大学から東京に出てきたんですが、その間にも実家がけっこう引っ越したりしていました。兵庫県は兵庫県なんですが、宝塚とかにも住んでいました。

—— そうすると東京は5年目ですが、西宮と比べるとどうですか?

兵庫の三宮とかもそこそこ栄えてはいたんですが、東京は人がめちゃくちゃ多いって感じましたし、緑が少ないと感じました。やっぱり都会だな〜って思いました。あと外国人の方がもの凄いいっぱいいることにびっくりしました。街を歩いていると、古着屋などやっている外国人の人に、「大きい服あるから!ヘイ、ブラザー!」って声かけられて10人位に囲まれてお店に連れていかれました(笑)。買わされそうになりましたけど、買わずに逃げました。

—— ラグビーを始めたのは何歳ですか?

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16歳からで、高校1年からです。中学3年間はバスケットをやっていました。高校行ったらラグビーをしようかなと考えている時に、中学の監督には高校に行ってもバスケットをやった方がいいとは言われました。バスケットは5人でやるスポーツでめちゃくちゃ走ってしんどかったんですけど、楽しいのは楽しかったんです。でも飽きちゃったんだと思います。

—— バスケットを始めたきっかけは背が高かったからですか?

そうです。単純に背が高かったから始めました。走るのはそんなに得意じゃなかったんですけど、球技は得意でした。基本的にゴール下でシュート打っていました。そんなに強い中学ではなかったんですけど、僕が3年の時に西宮市で3位になったんですよ。そこで満足してしまったのと、他のメンバーが特進クラスで、高校からは勉強していい大学目指す人が多くて、みんなバスケットをやめてしまったんです。

僕は勉強があまり得意じゃなかったので、バスケットをやめて他のスポーツをしようと思ったんです。体育の先生が柔道部の顧問だったんですけど、身体測定で結構握力が強かったんですよ。中学3年の時に80kgくらいあって、柔道部の顧問先生から「お前はバスケットじゃなくて、柔道やった方がぜったい良い」と言われて、一回見学に行きました。

あと担任の先生が野球部の顧問だったんですけど、やたらとラグビーを勧めてきたんですよ。何でそんなに勧めてくるのか分からないまま家に帰ったんですけど、その時にはもう親父も言いくるめられていて、親父も「お前、ラグビーやらへんか?」とか急に勧めてくるようになったんですよ(笑)。もの凄く勧められるので、「一回練習行っとかな」って思って、見学に行ったんですよ。そしたらもの凄くおだてられて、ちょっと面白いなって思うようになってきたんです。

そんな時に新入生歓迎会があるからと誘われて、焼き肉を食べさせてもらったら、そこで先輩が僕の本入部届けを書いて、勝手に出されていて、「お前は明日からラグビー部だから」って言われたんです(笑)。それでラグビー部入りました。柔道部の先生からは「柔道せぇへんのか」って言われましたけど。

—— ラグビーはやってみてどうでした?

おだてられるのは最初だけで、新入生歓迎会の次の日からは練習がめちゃくちゃキツくなって、毎日泣いていましたね(笑)。夏合宿の時に、一回辞めようと思って監督に言ったんですよ。そしたら監督に「お前はそれでも男か!」ってめっちゃ言われて、それで「やります」って言っちゃいました。親父にも「キツイだろうけど、お前がやるって言って始めたんだから、途中で辞めたら家に入れへんからな」って言われました。あんまり自分からやるって言ってないけど、とも思ったんですけどね(笑)。

◆僕以外、格闘技やっていました

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—— お父さんは何をされていたんですか?

昔ボクシングと、バスケットと柔道をやっていたみたいですね。身長も180cmちょっとあります。けど中学くらいまでは150cmないくらい小さかったみたいなんですよ。それで高校に入るまでそのくらいの身長しかなかったんですよ。親父は中学はたぶん兵庫の学校に行っていて、高校から大阪の学校に行っていたんですけど、大阪の学校に行ったらいじめられると思って、もの凄く怖かったみたいなんです。それで、バスケットをやっていたんですけど、いじめられるのが怖くて、ボクシングや柔道を習ったみたいなんですよ。

バスケットやっていたのもあると思うんですけど、身長がどんどん伸び始めて、180cmくらいまでになったんです。いま親父が57、8歳なんですけど、その当時で180cm超えていたら、かなり大きかったらしくて、逆に無敵になってしまって、かなり荒れたって話していました(笑)。ボクシングで少しだけプロにもなったみたいですよ。180cm以上あっても体重が60kgくらいしかなくて、相手とのリーチがぜんぜん違って、自分のパンチしか当たらなかったって言っていました。けど、ケンカしちゃってプロを辞めたって言っていました。

—— そういうやんちゃな部分は受け継がなかったんですか?

僕はあまり受け継いでないですね。兄貴が2人いるんですけど、2番目の兄貴が受け継いでいます。ボクシングもやっていましたし、バスケットも柔道もやって、親父と同じことやっていました。幼稚園の時から親父にボクシングを教わっていて、幼稚園児同士のけんかでボクシング使っちゃって、相手に怪我させて幼稚園を辞めてくれって言われるぐらいの人だったみたいです(笑)。いまは普通に働いていますけどね。

—— やっぱりお兄さんも背は大きいんですか?

いちばん上も2番目も186cmあります。お姉ちゃんもいるんですけど、152、3cmくらいで小さいですね。

—— いちばん上のお兄さんは何かスポーツをやっていたんですか?

テコンドーとちょっとボディビルをやったみたいです。

—— お母さんは何かやっていたんですか?

バレーボールを少しやっていたみたいです。身長は164cmくらいですね。

—— お父さんの影響を受けた、スポーツ一家ですね

そういえばそうですね。僕以外、格闘技やっていましたしね。

—— 4人兄弟の末っ子で、お姉さんにもお兄さんにも可愛がられたんじゃないですか?

歳が凄い離れているんですよ。お姉ちゃんとは17歳離れているので、僕が物心ついたころには、結構大人だったんで、小遣いをくれるような感じでした。他の兄弟の歳は近いんですけど、僕だけ離れているんです。親にも凄い可愛がられました(笑)。

◆僕とそいつのためのサインプレー

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—— ラグビーが面白く感じてきたのはいつ頃からですか?

最初ラグビーを始めた時はロックをやらされたんですけど、ぜんぜん走れなくて、3、4ヶ月でプロップに転向させられたんです。高校3年間を通してもぜんぜん走れてないんですけど、始めた頃は特に走れませんでした。それで1年の時はあまり試合にも出られなかったんです。僕はもともとバスケットをやっていたので、人とぶつかることにもの凄く抵抗があったんですよ。

けど「一回なにも考えずに行ってみろ」って言われて、2年生になって試合に出た時に、一回びっくりするくらい抜けたんですよ。モールからだったんですけど、僕が最後尾にいてボールを受け取って、そのまま行ったらスルスルスルってディフェンスが離れていって、20mくらい走れたんですよ。その時に凄く気持ちよかったんです。あと当たり方も慣れてこないとちゃんと当たれないじゃないですか。ある日偶然タイミングが合って、練習中に当たったら、プロップをやってる3年生の先輩が吹っ飛んだんですよ。それでみんなに褒められて、楽しいと思いましたね。その時はまだ偶然で、コツまでは掴めなかったですね。

—— その後は段々と会得していったんですか?

徐々にですね。抜いていくのも、1試合か2試合に1回くらいビッグゲインすることがあって、その時のコーチにも「1試合に1回のあのビッグゲインだけでいいから」って言われていました(笑)。あと監督も出番を与えてくれて、僕と同じ代で3番をやっていたやつがいて、いま近鉄に行った坂井佳史なんですけど、そいつも凄い大きくて、180cm超えていて120kgくらいあったんですけど、そいつと一緒にペネトレーターとして使ってくれたり、ゴール前になったら、僕とそいつのためのサインプレーを作ってくれたりしたんですよ。

ラインアウトからは2人で突っ込めとか、ゴール前になったら残ってていいから、スピード付けてトライ取りに行けって言ってくれたりとか、そういうサインを作ってくれて、それが成功したんですよ。高校生の中では結構大きい2人が突っ込んでいくので、トライを取る機会も増えて、それで余計ラグビーが楽しくなりましたね。

—— 近鉄とも対戦しますが、いまの坂井選手はどうですか?

ちょっと前に電話したんですけど、まだ試合には出ていないみたいです。凄い絞れているみたいで、いまは110kg切っているんじゃないですかね。

—— 日本大学に入るきっかけは何だったんですか?

高校2年の時に花園に出て、その時に親父から聞いたんですけど、「日大の監督が声掛けてくれているぞ」って言われました。結局僕に声を掛けてくれたのは日大だけだったんです。ただ3年の最後にラグビーで大学行きたいやつは志望校を書いたら、監督が掛け合ってくれるって言っていたんですよ。一応志望校を書いたんですけど、いちばん最初に声を掛けてくれて、唯一来てくれと言ってくれていた日大に行った方が、試合に出る確率も高いし、いろいろと良くしてくれるんじゃないかとアドバイスをもらったので、日大に決めたんです。

—— 花園には毎年出たんですか?

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僕は2、3年の時です。2年の時は1回戦勝ったんですけど、2回戦でその年に優勝した啓光学園と当たって負けました。その時、みんな食中毒になってしまって、38、39℃とかある状態で朝に点滴を打ってから試合に出ていました。3年の時は1回戦勝って、2回戦で流経大柏高校を破って、その年で唯一シード校に勝ったんですよ。それで「行けるんじゃないか」と思ったんですけど、3回戦でその年の優勝校の伏見工業にボコボコにされて負けました。優勝校と当たってばかりだったので、僕らの下の代は「報徳に勝ったら優勝だ」って言われていたみたいですね。

—— 花園でも2人を活かしたプレーで攻めたわけですか?

ありましたけど、あまりトライは取れなかったですね。接戦になったので、どうしてもモールとかみんなで取るトライが多くなりました。ただ流経柏戦で印象に残っているのが、僕がラインに残っていて、スタンドから平パスをもらって、バーンって抜けたのがあったんです。それが自分でもびっくりして、その後プレーが繋げなかったですよ(笑)。びっくりし過ぎて、すぐ倒れてしまったんです。

—— 自分が思っているよりも足が速くなっていたりするんですか?

高校1年の時と比べたら、だいぶ速くなっていると思います。

—— 大学では1年生から試合に出ていたんですか?

最初の1年目はリザーブでした。ポジションは高校1年の時からずっと1番ですね。普通は3番の選手の方が大きい選手なんですけど、監督が「お前は1番だ」って言って、ずっと1番でやっていました。他の高校のプロップの選手からは、「形がおかしい。スクラムが組みにくい」って言われていました(笑)。

—— 大学時代のいちばんの思い出は何ですか?

2年の時が2部だったので、いちばん頑張ったかもしれないですね。その時のキャプテンが、いまサントリーフーズでやっている福田奨さんだったんですけど、その人が凄い頑張って、「俺らの年でぜったい1部に上げたる」って感じで、「ついていかなあかん」と思って頑張りました。それで1年で1部に上がって感動しましたね。

3年目でリコーの馬渕武史さんがキャプテンになって、馬渕さんももの凄い熱い人で、試合中に声を出し過ぎて、息するのを忘れて倒れるくらい熱い人なんですよ(笑)。そういう人だったので、みんなで助け合って頑張っていこうという感じになっていました。それで、1部に上がって1年で大学選手権に出れたんですよ。けど、大学選手権で東海大学にボコボコにやられてしまって、もう点数も覚えていないくらいです。4年目はぜんぜんダメで、1勝もできなかったですね。

—— 高校、大学でキャプテンやバイスキャプテンの経験は?

1回もやったことないですね。僕はそういうタイプじゃないんで。ずっと平社員です(笑)。

—— その方が合っていると感じますか?

僕はあまり「俺が俺が」というタイプじゃないです。例えば、監督なりキャプテンなりで、このチームはこう攻めるとか、いろいろと決めるじゃないですか。そういう時に言われたことをそのままやるようなタイプなんです。

—— ラグビーを始めた時からそうですよね?

ラグビーを始めるきっかけも、先生と親父の陰謀じゃないですけど、その話を聞いてラグビーを始めましたし、いい環境であれば凄く成長できると思っています。ただ逆に環境が悪いと、そっちに流されちゃう感じはあると思います。

◆こんなとこおってええんか

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—— 大学の時は、まだ日本代表の話はなかったんですか?

大学3年の時に日本代表に声を掛けてもらったんですけど、いきなりフル代表だったんでびっくりした。高校3年の時にU19のスコットには入ったことがあって、それが初めてだったんです。日和佐(篤)は高校日本代表とにかも呼ばれていたんですけど、僕には声も掛からなかったんです。それで初めてU19のスコットに選ばれて合宿に行きましたけど、ぜんぜんダメで落ちました。

「日本代表には縁がないな〜」とか思っていたんですけど、大学3年の時にいきなりフル代表のスコットに選ばれたんです。それで熊谷のホテルに集合だったんですけど、行ってみたらそうそうたる顔ぶれじゃないですか(笑)。平さん(浩二)とか畠山さん(健介)とかいたし、「こんなとこにおってええんか」って思いましたね。

—— その時は試合には出ましたか?

試合にはついてきましたけど、試合には出られなかったですね。それで大学4年の時にも呼ばれて、カザフスタン戦で初めて試合に出ました。たしか後半から出場したんですけど、もの凄く緊張しました。プレーとしては、ただ頑張ったという感じですね。緊張しすぎてあまり覚えていないんですけど、あとでビデオ見たらまだグチャグチャでしたけど、とりあえず頭からは行っていたかなという感じです。その後は、シンガポールでシンガポール代表と試合をした時に初めてスタメンになったんです。

—— 手ごたえは感じましたか?

その時はぜんぜん感じていなかったです。まだ日本代表での自分の持ち味というものを分かっていないし、何をすればいちばん良いのかも分からなくて、JK(ジョン・カーワン/日本代表ヘッドコーチ)とかコーチ陣が言ってくれるんですけど、やってみないと分からないじゃないですか。やってみてまだ感触が掴めていない感じでしたね。ただひたすら言われたことを、思いっきりやることしかできませんでした。

—— ジョン・カーワンヘッドコーチからはどんなことを言われたんですか?

例えば、「オーバーで仕事しろ」とか言われましたね。ブレイクダウンで自分のチームのボールキャリアが倒れていて、上に相手の選手がいたら全部どかせということです。本当に基本的なことなんですけどね。

—— それはできたと思いますか?

できたとは思います。ただJKがいつも言っていたのが、「練習は全部100%でやれ。練習で100%でやったら試合でも100%でやれ」っていつも言っていて、少しでも力を抜くともの凄く怒られるんです。そして、全部100%でやっていたら、ちょっとずつですけど、できるようになってきたんです。最初コンタクトが大学とはぜんぜん違って強くて、「自分が当たりにいっても動かないんじゃないか」って思っていたんです。それが段々となくなってきましたね。本当に自信をつけるように仕向けてくれたと思います。いまやっとオーバーの部分で自信がついて、バコバコいけるようになりました。

—— 試合には何試合出ましたか?

大学の時は3試合で、社会人になって3試合で、計6試合ですね。社会人の時は、サントリーに合流する前に日本代表に行きました。

◆ONとOFFの切り替え

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—— サントリーに入った理由は何ですか?

坂田さん(正彰/チームディレクター)に熱心に誘って頂いて、エディーさん(ジョーンズ/ゼネラルマネージャー兼監督)とも話をさせてもらって、そしてエディーさんと何回も話をする機会を与えてもらいました。それに清宮さん(サンゴリアス前監督)にも「来ないか?」って直接言ってもらったことがありました。それに大学の先輩の敬介さん(沢木/バックスコーチ)にも、長谷川慎さん(サンゴリアス前フォワードコーチ)にも声を掛けてもらいました。

入る前にほとんどのコーチ陣に会わせてくれて、必要とされている感じが伝わってきて、本当に嬉しかったんです。それにコーチだけじゃなくて、青木さん(佑輔)や畠山さんとか、選手の人たちにも誘ってもらって、いろいろとチームの細かいところまで教えてくれたんです。そこで安心ができました。

—— 実際に入ってみてどうですか?

みんな優しいというか、熱心に教えてくれるんですよ。それにONとOFFの切り替えが凄いなと思いましたね。練習前にアホなことを言っていたり、体調悪くても、全く関係なく練習をするじゃないですか。プロっぽいと思います。

—— サントリーでの手ごたえはどうですか?

いまのところはまだ感じられていないです(笑)。Bチームでは試合には出ているんで、そろそろAに上がりたいですね。エディーさんも頑張れって言ってくれているので、Aに上がれるように頑張っていきます。

—— ラグビーの楽しさというのは、具体的にどういうところですか?

例えば、テレビでラグビーの試合を見てて、凄いプレーとか出るじゃないですか。そういうのを見ていても、どっかで「自分には無理やな〜」って思っているところがあったんです。ただ試合中にそういうプレーがふっと出来た時に「自分でもできんねや」って思うことがあって、それで自信に繋がるもんが見えてきたんです。もともと運動も音痴だったし、勉強もそんなに得意ではなくて、自分に自信がない人間だったので、余計そういうことが嬉しかったですね。

僕の中で親父は凄い人で、いまでも勝たれへんなというイメージを持っているんですよ。親父を凄い尊敬しているんですけど、そんな親父に「お前は俺の子だから、やれば絶対出来る」って、いつも言われていたんですけど、小学校のマラソン大会ではベベだし(笑)、勉強もいい成績は取れないしで、親父に申し訳なかったんですよ。そんな中ラグビーを始めたら、頑張ったら出来るようになるということが、凄く感じることができて、それが凄く嬉しかったですね。

—— では、サントリーに入ったことも、日本代表に選ばれたことも、お父さんは喜んだんじゃないですか?

凄く喜んでくれました。ちょっと前に親父に「お前は俺の手の届かないところに行ってしまったな」って言われたんです。嬉しかったんですけど、そんなこと言わんといて、って言いました。自分の中ではまだ親父を超えられていないと思っています。

—— 今年の目標は?

近い目標というか、近くはないんですけど、公式戦に出ることです。

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(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]

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