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  3. 2006年

SPIRITS OF SUNGLIATH

#50 東野 憲照 『ポジションが変わると見ている景色が変わる』

◆厳しい振り

—— チームメートにも監督にも、笑いを取るコメントを短時間で求められることが多いですね

結構面白いことを言うことに対しての厳しい振りというか、突然振られることが多いので、常に振られそうな空気を読んで、臨機応変に応えられるようにアンテナを張っています(笑)。

—— それは昔からそのキャラクターだったんですか?

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いや、サンゴリアスに入ってからですね。昔はぜんぜんキャラが違いました。サンゴリアスでは同じポジションの長老に長谷川慎さんがいますが、慎さんが僕をそういう方向にプロデュースするというか、面白いキャラに持っていこうとするところが僕が入って1年目からあって、3年目にしてだいぶ確立されてきたというところでしょうか。自分の中にこういうキャラがあったんだな、と今はそれを楽しんでいます(笑)。

—— 何が長谷川選手をそうさせたのでしょう?

僕のリアクションがたぶん、慎さんを喜ばせるようなリアクションだったり、コメントだったりするんではないかと思います。アイツをいじったら面白い、という気持ちがあの人の中から出てきたのではないでしょうか。

今年の夏合宿ぐらいまで、ずーっと「やられるのが嬉しいキャラ」である「ドMキャラ」、こんなことホームページで言っていいのかわかんないんですが、SとMのMのキャラだという設定できています。アイツは叱れば叱るほど喜ぶというキャラにされて、僕もそれに応えようと、叱られたら「ありがとうございます!」、褒められたら「もっと叱ってください!」と言っていますが、そういうキャラを設定されているんです。

—— それはラグビーに活かされていますか?

いや、ラグビーに活かされているとはあまり思いません。

—— いやド何とかでなくて、そのリアクションの速さというか、頭の回転の速さのことです

頭の回転が速いとは、昔から結構言われました。それと空気を読むのが上手いとも。僕自身は特別にその点がすごいとは思っていないんですが。頭の回転が速いと言われるわけは、昔は勉強をすごく頑張っていたからじゃないかなと思うんです。

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小学校から塾に行ったりしていて、中学ぐらいまでは東大に行けるんじゃないかというレベルにいて、かなり勉強してました。親の転勤で小4の時に鹿児島から横浜に引っ越して来て、桐蔭学園中学に進学しました。ラグビーは中2から始めたんですが、そのままもちろん高校(桐蔭学園高校)でラグビー部に入って、高校の練習が結構きつかったんです。

ちょうど高校へ上がる時に、親が転勤の期間が終わって鹿児島に戻ってしまったので、その後は1人で寮生活になったんです。それで自分に甘えてしまって、練習が終わって帰ってきたら寝るだけ、という生活になってしまい、勉強もそこからやらなくなりました。

頭の回転の速さが瞬時の判断力に繋がっているかどうかは、プロップなんでちょっとあまりそういう局面がありません。ラインアウトのサインプレーは結構瞬時に出てきますので、その点では活きているのかも知れません。

—— 監督の作戦や相手のサインの読みとかに活かされてませんか?

それはないですね。グラウンドではないです。本当はグラウンドでも出していきたいですけど、グラウンド外で活かされています(笑)。

◆蹴る力があって背も高かった

—— 中2でラグビーをやる前は何を?

小学校からサッカーをやっていて、学校のクラブレベルでやっていたんですが、桐蔭中は男子だけで1学年に600人いて、サッカー部がすごい人気で何百人も入部希望者が集まってくるんです。でもあまり部員数が多いと強くなれないので、1学年20人ぐらいしか入れなくて、入るための選抜試験があって、僕はぜんぜん受からなかったんです。

それでサッカー部に入れない人のためのサッカー同好会に入ったんですが、ここは帰宅部みたいな感じで何もしないでブラブラしていた状態でした。そんなときにラグビー部に入っているクラスメートに誘われて、ラグビー部へ入りました。

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当時は上背はでかい方で、横幅は普通、サッカーではディフェンダーをやっていました。サッカーは小学校5、6年生から始めました。その前まではサッカーも野球もドッジボールも、何でもやっていました。サッカーは結構得意で、学校では脚力がある方だったので、といっても走る方ではなくて蹴る方の脚力ですが、あと背も高かったのでヘディングも、他の人よりうまくできていました。

さっき話したサッカー部の選抜試験は、Jリーグのジュニアチーム上がりの1年生も沢山受けていて、そういう奴らばかりがサッカー部に入りました。でも、その試験は今までの実績で見るのでなく、その時点での実力だけで完全に選んでいたので、アピールすればいつかサッカー部に入れるかなと思って、1年間、同好会に入っていたんです。

当時両親と結構話していたんですが、「お前はラグビーか柔道にむいているんじゃないか?」と親父がずっと言っていたので、その記憶もあって、そんなに抵抗なく、ラグビーをやってみようかな、という気持ちになったんです。親父はずっと野球でしたけど。

—— サッカーの面白かったところは何処ですか?

今考えたらサッカーだけじゃないのかも知れないけど、11人全員で同じゴールに向かってパスを繋ぎながらやる、同じ目標に向かってやる、ということが楽しかったんだと思います。

◆相手の前に体を入れるプレーが得意

—— それじゃぁラグビーは面白かったでしょう

ラグビーはすごい面白いなと思いました。体をぶつけられるというのが、僕としては新鮮でした。サッカーの時、そんなに足が速くなかったので、相手の前に体を入れるプレーが得意だったんです。そういうコンタクトプレーが思う存分できるラグビーが、面白かったですね。タックルがいちばん好きでしたし、タックルが得意なプレーにもなりました。

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—— 中学でのラグビーはどんな成績だったんですか?

神奈川県の中学でラグビーをやっているチームは、10チームぐらいしかありませんでした。サッカーとは比べものにならないくらい少ないので、その中ではいちばん強かったんです。

僕は2年生の秋の公式戦から試合に出ていました。ポジションはセンターで、その頃はまだバックス体型でした。3年の時にキャプテンになって、ポジションは変わらずセンターをやっていて、県で優勝、関東大会では東京のチームに負けて、1回戦敗退で終わりました。

—— さっきの話では高校では迷いなくすんなりとラグビー部に入ったんですね

中学で負けてラグビーにどっぷりハマっていました。高校では当然のようにラグビー部に入って、高校になって親が鹿児島へ戻ったので寮に入りました。初めての寮生活でしたが、ホームシックみたいのはぜんぜんなくて、友達とか先輩とか一緒にいて楽しかったですよ。寮にはラグビー部の仲間は自分以外に1人ぐらいしかいなくて、野球部と同じ寮に入って、一般の生徒も一緒のところでした。

—— その寮生活時代から宴会係の資質を発揮してましたか?

中学をキャプテンで終わったんで、宴会を端から見ていて笑っている、そんな硬派な キャラでした。

—— その頃の友達とは今でも交流がありますか?

たまにその当時の寮生で集まって、飲みに行ったりとかしています。サントリーでは試合に出てませんでしたが、大学(早稲田)の頃は試合の応援にも来てくれたりしていました。

◆高校の1つ上に大悟さん

—— 高校でのプレーは?

高校では1年目はずっとセンターとフルバックをやっていて、試合にはリザーブで入る程度でした。1つ上に大悟さん(山下)と菅野さん(功治/一橋大学)というセンターが2人いて、2人の壁が厚くてスタメンにはなれませんでした。

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2年になった時、コーチにいきなり「フォワードの練習をやってみろ」と言われて、ちょっとやるだけかと思ったら、そのままずっとナンバーエイトになって、そこからフォワードになったんですけど、「これが同じラグビーか?」というくらいに見ている景色が違って、最初ビックリしましたし、コンタクトプレーが多いのですごく疲れました。

バックスだと自分の視界にスペースが沢山あるけど、フォワードは近くに何人もでかい人たちがいて、本当に最初はどう動いたらいいかわからず、1からラグビーをやる感じでした。それから2か月ぐらい、「お前何やってんだ!」と言われるレベルでした。ナンバーエイトからポジションが変わって、ロックになって、ロックでスタメンで出られるようになったんです。それが高2の1年間で、高3になってまたナンバーエイトに戻りました。

ロックは周りがナンバーエイトよりさらに狭いけど、バックスからフォワードへ変わった時のような違和感はありませんでした。ただスクラムを組むダメージや疲労がぜんぜん違って、またそれは大変でした。バックスからフォワードに変わって大変だなぁと思ったし、フォワードでロックになってもまた大変だなぁと思いました。その辺りのラグビーの試合で、より大きいダメージをもらうようになって、ドMの才能が芽生えてきました(笑)。

これ両親も読むと思いますが、両親は僕がまだキャプテンのキャラだと思ってますから、がっかりしちゃうかも知れませんね(笑)。今はキャプテン・キャラは出してませんが、まだ自分の中にはあると思います。出せと言われればいつでも出します(笑)。

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—— もう一度プレーの方へ戻ります

高2の時は、3年が大悟さんの代で、花園でベスト4まで行きました。高3になって、またキャプテンをやったんですけど、県予選の決勝で負けて、花園へ行けませんでした。法政二高に負けたんです。

花園は前年も出ているし、ノルマ的なところがありました。そして同期にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。いい選手が沢山いたのに、花園に連れて行けなかったということが、後悔というか何というか、そういう気持ちはずっと残っています。

◆きつい練習を怠った

—— その後悔には理由があるんでしょうか?

理由は、練習メニューを監督と僕と副キャプテンで、話し合って決めていましたが、いちばんきついコンタクト練習を、春のうちにやらなくて、前年の延長のような形でチーム練習をやっていました。

法政二高はそのきつい練習を春からやっていて、春にはこちらが勝ったんですが、最後はきつい練習を怠ったために、土台で勝負ができなくて負けたんだな、という反省がありました。それを言い残していったんですが、1つ下の代はまた花園に出てくれました。

—— さて大学です

昔バックスだったんで、その時から早明戦を見ていて、早稲田に憧れていたのもありますが、いちばん大きいのは大悟さんが早稲田に行ったということですね。大悟さんを尊敬してますし、大悟さんについて行ったら間違いないと、早稲田に決めました。

早稲田は噂には聞いていたんですが、練習がものすごく長くて、5時間ぐらいやりました。アナログな練習が多くて、それまで持ってたイメージとも、自分がやりたいと思っていたものとも、ちょっと違っていました。

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ウエイトトレーニングをしっかりやって、ラグビーで戦える体を作りつつ、効率的に2〜3時間練習してということをやりたかったんですが、入ってみると5〜6時間練習して、体のエネルギーがなくなって、ウエイトもできなくて、それでマラソン選手みたいに痩せていってしまいました。これではコンタクトプレーはできません。皆もそうでしたので、他の大学と試合をやると、コンタクトの差がそのまま試合結果に繋がっていました。

2年になる時に、清宮さんが監督になって、ガラリと変わりました。キックオフミーティングで監督から「今年はこうやる」と聞いた時に「あ、これだ!」思いました。こういうラグビー、こういう練習をやりたかったなと思って、すごく嬉しかったんです。

「ダラダラ長時間やるのではなくて、集中して練習する、2時間しかやらない」と清宮さんは言い切って、皆「オーッ!」って声を挙げましたし、あとは今まで早稲田で1年間やってきた中でなかったくらい試合を緻密に分析してて、「ここが悪い」「去年はここが負けてる」と、誰にでもわかるように僕らに説明してくれた時に、そう思いました。

◆ウエイトがはけ口

2年の時にチームは強くなっていったんですが、僕はこの年、怪我がメチャクチャ多くて、肉離れが癖になってしまってました。最初に肉離れした後にリハビリをして復帰しようとしていましたが、それを引き摺りながらチームがスタートして、どんどん他の選手も上手くなっているし、清宮さんが入ってきてラグビーが変わってチームも強くなるのがわかるし、早く復帰したい気持ちが強くなって、治っていないのに思いっきり走って再発、というパターンを繰り返しました。結局この1年間、丸々ラグビーをやれなかったんです。

肉離れは高校の時から癖になっていて、両足の裏腿なんですが、自分がラグビーできないし、同期も2年生になると試合に出始めたりして、気持ち的にとても暗い時期でした。大学ではラグビー部の寮に入っていて、この時からウエイトトレーニングをメインでやり始めました。

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1年目は痩せ細った体だったのが、筋肉がどんどん付いてきて、ウエイトトレーニングが面白くて、暗い気持ちのはけ口を見つけた感じでした。まだ清宮さんが1年目だったので、トレーニング場は小屋のような建物で汚かったし、器材的にも充実していませんでしたが、ずっとやっていて筋力がものすごく上がって、体も大きくなりました。

1年目が終わった時は体重が85kg、それが3年生になる時には95kgになっていて、10kgの筋肉が付いていて、ウエイトの数値にもそれが反映されてました。3年生の春の最後の方までウエイトをやってる怪我人生活をしていて、そこでポジションがフランカー、ナンバーエイトの第3列から、第1列のプロップになりました。その変更は監督から言われました。

—— プロップでも景色が変わった?

プロップになって、また景色が全然変わったんです。最初は自分より小ちゃいプロップの先輩に対してスクラムを組んだんですが、力では全然こっちが上なのに簡単に負けたりして、すごいなと思いました。いろいろここをこうしろ、先に首を取れ、とか言われてやろうとしてもできなくて、何をどうすればいいかわかりませんでした。

◆鬼の寮長

—— 先に首を取れ、とは?

スクラムで組んだ時に、相手の胸ぐらいまで頭が入ったら勝ち、そのポジションにこっちが行くか相手に行かせないかの攻防で、フロントロー特有のスキルがあるんです。なかなか口で説明するのは難しいんですが。

3年の秋ぐらいまで、そのスキルの感覚を得るのに時間がかかりました。毎日やっていて、ある日突然、「あ、こういうことかな?」という感触を掴んで、それをいつも使えるようにやっていったら、とうとうできるようになっていました。相手に自分の体重がすべて乗っているって感じで、相手には僕の力と体重が乗っかってるイメージです。それが繰り返しやっているうちに、できるようになったんです。

そうやって段々スクラムがそれなりに組めるようになってきて、3年生の時にスタメンの選手が怪我をして、繰り上がってリザーブで入る感じでした。

4年では寮長をやっていて生活面のことを皆に厳しく言いました。
(※「寮長」という言葉に側を通りかかった佐々木隆道選手が反応、『鬼の寮長!今でも語り継がれるような鬼の寮長』と言いながら通り過ぎる)

—— 例えばどんなことですか?

先ず起床時間に起きてこないという寝坊が多いし、サンダルは脱ぎっぱなしだし、常識的なことができてない人が沢山いました。注意してもなかなか直らなくて、常々言い続けていました。

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—— 厳しくしたのはなぜですか?

自分に対して寮長という責任があったんで、言わなくなったり見過ごすようになったら、肩書だけになってしまうと思ってやりました。1年やって、若干効果が出てきました。

—— プレーの方は?

1つ下に同じポジションで次の年にキャプテンをやった諸岡(せいご=省吾)という選手と、ずっとポジションを争っていて、スタメンでゲームに出たり、リザーブになったりでした。

最後の大学選手権は決勝までいったんですが、決勝戦は僕がリザーブで、スタメンで出られなくて、試合も関東学院に負けてしまって、準優勝で僕の4年目が終わってしまいました。

メチャクチャ悔しかったです。スタメンで出られなかったのも悔しかったけど、早稲田にいて4年生で優勝できないというのは、今もそうですけど後々ずーっと引き摺っていくような感じの悔しい思いなんです。

4年の時の決勝で浮かんでくるのはそこで、結局最後までベンチで見ていて、僕は試合に出ていなかったということです。社会人でやることは既に決めていましたが、その悔しさが今もやる気というか、力になっているのは間違いありません。

◆『荒ぶる』が歌えなかった

—— でも早稲田でそういう思いをする人は他の代にもいるでしょう

早稲田の伝統として、優勝した時の4年生しか歌えない第2部歌『荒ぶる』ってのがあるんですが、それが歌えなかったわけです。後輩たちがどんどん優勝して『荒ぶる』を歌っていても、その度に決勝戦で負けた気分が蘇ってきて、後輩が勝つのは嬉しいけど、とても複雑な心境になります。それを背負って生きていかなきゃいけない、ってのはあります。たぶん歌えなかった代は、自分と同じかそれ以上に悔しがっていると思います。

—— それはいつの日か払拭できるものなんでしょうか?

大学4年生の時にいろいろ経験して学んだことが多くあって、この時こうだったから試合に出れなかった、あの時ああだったから試合に負けた、とか反省をしてきているので、僕は今サントリーでラグビーができていて、サントリーで優勝することが、その悔しい思いを消せはしないけども、いちばん気持ちを和らげることになるんだ、と思っています。

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—— サントリーに入ったのは?

大学3年の時にスタメンでバリバリやってたわけでもないんで、社会人になってもラグビーをやろうと思っていたけど、それほどお声が掛かることもないだろうと思って、いちばん最初に声を掛けてきてくれたところに入ろうと思ってました。

それがサントリーで、サントリーのラグビー部は僕の中でも憧れの部分だったので、願ったりかなったりで即答しました。大悟さんがいたのがいちばん大きいかな。

—— 今年は3年目?

今年3年目ですが、サントリーに入ってからもずっとプロップです。この2年間、サントリーのスクラムのレベルに僕が全然達してなくて、スクラムの練習をしていても、「お前危ないから、ちょっとどいてろ」と言われて練習すらできなかったことが多かったんです。

怪我もちょくちょくしてましたし、スクラムで悪い姿勢になって、腰を痛めて足に痺れが出ることもありました。自分でも「何やってんだろう」と思っていた期間がありました。今はもうちゃんと練習もやれてますし、スクラムのレベルもまだまだ慎さんみたいにはいかないけど、少しずつ上がってきています。

—— 公式戦への出場は?

これまでは1回もありませんでした。公式戦は、この間の開幕の神戸戦が初めてでした。すごい緊張もありましたが、出れてとても嬉しかった。2年間ずっと外から見てきて、出たいと思っていたので、出た時間は短かったんですが、公式戦独特の緊張があって、お客さんが沢山いる中でプレーができる喜びを、大学の時以来感じました。

—— 緊張する方ですか?

結構緊張します。緊張するのはしょうがない、誰でも緊張するもんだ、と思ってやっています。いざ試合に出てしまえば、大丈夫です。

◆タフになって怪我をしなくなった

—— 今年初めて公式戦に出られたのは、どこが良くなったからだと自分では思いますか?

プロップなんで、スクラムがちょっとは強くなったのではと思っています。いちばん変わったのは、自分自身すこしタフになって、あまり怪我をしなくなったことです。今年は怪我を全然していません。それでスクラムを沢山組む練習もずっとできてますし、そこが大きく変わったところだと思います。

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去年よりもチーム内でガチガチのスクラムを組むことが多くなって、それは練習で試せる機会が多くなったからなんです。シーズンが始まる前に、皆密かにクラブハウスに来たりしてましたが、僕も2月、3月は体をでかくすることに重点をおいてウエイトトレーニングをしたり、体重を増やすために無理にご飯を食べたりしました。

今108kg、社会人になった時が100kg、去年も100kgを1、2kgオーバーというところでした。体重が増えて、ウエイトも自分を追い込む強度にして、新田コーチ(博昭/フィットネス&ストレングスコーチ)とも相談してやってきました。

—— 今年の目標は?

スタメンで試合に出て、優勝することが目標です。

—— 将来的な目標はありますか?

将来的な目標は立てていません。仕事は3年目になりましたが、営業で結構バリバリやれるようになりました。

—— 結婚とかは?

今は完全にラグビーに目が向いています。

—— 宴会リーダーは?

中堅どころになったらキャラ替えをしたいですが、慎さんがチームにかかわっている限り、無理かなっていうのがあります(笑)。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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