CLUB HOUSE

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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2009年3月31日

「少年サンゴリアス」 Vol.24 大久保 尚哉
『カズノコ』

少年サンゴリアス 大久保尚哉写真1

ちびっこサンゴリアスでしたっけ?(笑)昔とにかくうちの母ちゃんを困らせていたというのは、母ちゃんから聞いたんですけれど、何かやるとすばしっこいからすぐ逃げて、悪知恵というか何と言うか、そういう子供だったようです。

それでとにかく僕はカズノコが好きで、カズノコがあると食べちゃうんですよ。うちの母ちゃんが冷蔵庫の上の高いところに置いておくんだけれど、椅子を持って来てそこで食っていたとか、ですね(笑)。

幼稚園ぐらいの時はそんなに大きくなくて普通で周りの子と一緒で、でかくなったのはもっと先の中学になってからです。だから当時から活発だったんですね。

正月におせちの準備をしている時に、重箱に入れる前のカズノコをもともとの容れ物から取って食べていたそうです。今でも好きです。醤油漬けにしてちょっと鰹節がかかっていて、最高です(笑)。実家へ行ったら必ず出してもらいます。カズノコの歯応え、つぶつぶ感というか、それが好きです。

少年サンゴリアス 大久保尚哉写真2

正月だから、お重に入ってるし、それぞれの小皿にもとってそれはそれであるんですが、さらに母ちゃんからもらったりお婆ちゃんからももらったりして食べていたそうです。あまり食べると鼻血が出るんだかわからないんですけれど、怒られるので、また次の日に食べるという日々でした。正月はカズノコとお雑煮はもう、大好き。

(カズノコで大きくなった?)そんなことはないですよ(笑)。1年中食べている訳じゃないですから。カズノコは正月だけですよ。

そうやって動いていただけに怪我も多くて、停まっているトラックの下に入って、夢中になっちゃって状況を忘れて、思いっきり頭を上げたんですね。そうしたら頭をガンとぶつけて割れて血が出て、何針も縫う怪我をしたりしました。それは僕が幼稚園ぐらいだったので、あまりよく覚えてないんです。

覚えているのは小学校の時で、ゴールデンウィークの連休の時に、公園で友達と遊んでいたら、ゴミ箱に乳母車みたいなのがあって、その何か間に手を挟んじゃったんですよ。それを思いっきり引っこ抜いたら、右手の人差し指が肉ごと抜けて骨が見えるくらいで、たまたまその時、救急病院の外科がやっていたので、縫ってもらって良かったんですけれど。

その時のエピソードは、電話帳で救急病院がないかとうちの親父が探したらしいんですけれど、うちの親父もあせっちゃって、電話帳のページ数に電話しちゃったそうです(笑)。つながらない。その当時まだ黒電話だったんですよ。

この怪我の後は少し大人しくしていたと思いますけれど、とにかくやんちゃでした。家の前が高校だったんですけれど、今みたいに変な人が入るとかはなかったので、門も開いていましたし、よく潜入して生徒が帰った後の校舎とかでも遊んでいました。結構広いグラウンドでしたし、そこでしょっちゅう遊んでいました。

兄弟は姉貴がいます。2つ上なので小学校ぐらいまでは遊んでいましたけれど、中学ぐらいになると、姉ちゃんも学校の友達とというふうになって、僕もラグビーを中学からやり始めたので、それぞれのやりたいことをやるようになっていきましたけれど、小学校の時はしょっちゅう喧嘩してました。

こたつに2人で入っていて、足が当たった当たらないで、バーンとけり合いが始まって、取っ組み合いの喧嘩になるみたいな(笑)。当時は何か僕が悪いことしていると、うまい具合に見ているんですよ。それを母ちゃんとか父ちゃんに告げ口するぞ、と脅迫されるんですよ。それが恐かった(笑)。

少年サンゴリアス 大久保尚哉写真3

それが恐くて姉ちゃんの買い物をしてくる、みたいな(笑)。その時僕は二子玉川の塾に通っていたんですが、高島屋の地下のソニープラザでアクセサリー類で欲しいのがあるから、それを買ってこいってお金を渡されて、僕は「言わないでよ」と言ってから、買いに行きました。

中学の受験の時だったんで、テレビを見ちゃいけないという家でのルールがあったんですね。時間帯によって良かったのか覚えてないんですけれど、ダメな時に見ていたか何かで、そーっと帰ってきたりしてそれを上手く見つけるんですよ、やつは(笑)。それでバーンと戸を開けて「あっ!見てる」とか言って。

うちのお袋には、小学校の時に僕が買い食いして帰って、なぜかバレていて、「おかえり」なんてニコニコして出迎えてくれて、「あ、わかってないんだ」と思った瞬間に横っ面ひっぱたかれたりとかしました。「買い食いしたでしょ!」とか言って。結構そういうところは厳しかったですね。

親父はそんなに言わないですけれど、要所要所で姉弟座らされて、怒られたりとかというのもありました。でも顔は殴られたことはなくて、いつもひっぱたかれたのは、けつですね。そんな覚えがあります。

いちばん泣いた思い出は、高2の時だったと思います。その頃、姉ちゃんがオランダに留学していて、夏休みに家族みんなで行ってみようという話が出て、僕はもうその頃ラグビーもありましたし、嫌だと反対したんです。

そんなことを言うなという親父と取っ組み合いの喧嘩になって、怒鳴りながらもう大泣き。でも最後はお袋に「もう家族で旅行するチャンスもそうないだろうから」と説得されて、行きました(笑)。オランダとフランスのツアーでした。

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