CLUB HOUSE

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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2008年4月23日

「少年サンゴリアス」 Vol.8 川村 拓也
『肥満児』

少年サンゴリアス 川村拓也写真1

僕はずーっと肥満児だったんです。自分としてはそのことに対して「まぁ、いいや」と思っていました。周りからはデブとも言われてましたが、肥満児だったので親がラグビーか相撲かと、薦めてくれていました。相撲は周りにそういう環境がなかったのでやらなかったのですが、ラグビーは小学校6年からやり始めました。小学校1年からずーっと言われていましたが、ずーっと断っていたんです。野球とか周りの友達ともうちょっと遊びたくて、ラグビーをやると市の方でやらなければいけないので、ちょっと街中の方へ行かなくちゃいけなくて、離れてしまうんですね。

野球ではファーストをやっていました。一応、4番を打っていました。でも「あぁ、これもう伸びないなぁ」と思ったんです。地区に3つぐらい野球チームがあって、練習試合をすると必ず負けていました。それで、相手投手の投げる球が速くて、「これを打てなければ上にはいけないだろう」と自分で思っていました。それで打てなかったので、「あ、ダメかなぁ」と思いました。

それで親にずっと言われていたので、「ラグビーをやってみようか」と思ってやり始めました。楽しかったですね。万年プロップですけれど。

家は農家で米を作っているんですが、当時、おやつもどんぶりごはんでした。おかずは味噌汁をかけたりとか、納豆だったりとか。朝も昼も夜も、ずーっと4食か5食、ごはんを食べていました。クラスの中でもいちばん食べる方だったと思います。小学校を卒業する時には70kgぐらいありました。身長も160cmありましたけれど。太ってましたね。

多少のコンプレックスはありましたが、動けるようにはなりたいなと思っていましたが、野球をやったりラグビーをやったりして、ある程度は動けましたし、太っていても大丈夫ですよね。食べたい時に食べて、やりたいことをやる、それがいちばんだと思います。僕はそうやって生きて来ました。

小学校時代、家に帰る時、吹雪のこともよくあって、家の周りは田んぼだらけなんですが、風をもろに体にあびて、体中凍りつきそうになって、泣きながら帰っていたということもありました。そういう面で泣き虫だったし、クラスの中でもいじられて、いろいろと泣いていました。泣き虫は直さなきゃなと思っていましたので、中学になった頃には直っていました。でもいじられるキャラクターはずっと変わりませんでした。そういう話をしていると、あまり僕は大人になってない気がします(笑)。

いじられていたのと、いじめられていたのとは、ある面、境だと思いますが、本人の受け取り方によっても違ってくるとは思います。無視とかをされていたのではなく、必ずみんなが呼んでくれて輪の中にはいました。輪の中にはいたけれど笑われていて、だから今と変わらないんですよ(笑)。捉え方だと思います。それは中学、高校、大学でも変わっていません。今もいじられてます。

泣いてもその次には忘れていました。あの頃、何で泣いていたんだろう?ちょっとわからなくなっちゃいましたが、いじられていたのも遊びでですよね。今の陰険ないじめとかではなくて、みんなと遊んでいる時にからかわれてすぐに泣くことが多かった、という感じです。悔しいか、嬉しいか、何でも僕は泣いちゃう方なんです。中学の時に部活でレギュラー取れたとか、そういう時には隠れながら泣きそうになってた、ということはありました。今も抑えられなくて、岩手の怪我明けの試合の時に泣いちゃったりしましたよね(笑)。変わってないです。

少年サンゴリアス 川村 拓也写真2

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