2008年3月 5日
「少年サンゴリアス」 Vol.5 坂田 正彰
『血だらけ』
年子だったから、兄貴が怒られているのを見て行動していたので、要領が良かったんでしょうね。今はあまりしないですけどね、「基地遊び」だとかしていました。家の裏に小学校ができるんですけれど、そこに崖があって小学校を造る工事をしている時に、崖のところに「基地だ」と言って基地を造って結構遊んでいました。
先生の家庭訪問の日も、先生が来るから家にいないでおこう、と裏山の崖へ行って「基地」で兄貴と兄貴の友達と遊んでいました。崖の上で兄貴たちがバァーッと走っているところの下に隠れていたら、上から石が落ちて来て、額からドバーッて血だらけになって、泣きながら家に帰ったら先生がいます。
「どーしたのっ!?」ってお袋に言われて、先生とお袋と3人で病院に連れて行かれて、「何なんだろう?」と思ったこともありました。先生もお袋もビックリしながらも、叱られていました(笑)。「何で俺こんな頭が割れているのに怒られてんだろう?」って思ってました。
また僕の下に森岡(恵二)と同期の7歳下の弟がいて、森岡とは高校も一緒でラグビー部だったんですが、兄貴とは年子でそれまで下は僕だけだったので、さらに下が生まれたことで親を取られたみたいな感じがして、ちょっとショックだったようです。
それで一時期、家出をしたらしくて(笑)、家出と言っても家の裏に川があって、その川の用水路の洞窟みたいなイメージのところがあるんですが、家のコロという犬を連れて「俺の気持ちをわかってくれるのは、お前だけだ」とか言って、その用水路の中へ入っていたんです。
昼間は水が流れて来なかったんですが、夜になると水が流れて来て、「気持ちがわかってくれる」はずのそして側にいてくれるはずのコロは、水が流れてきたらさっさと家へ帰ってしまいました(笑)。その後は自分1人で、丸半日以上、家出未遂みたいなことをしたりする、子どもらしいところもありました。
その時は「誰かが早く見つけに来てくれないかなぁ」と思っていましたが、誰も見つけに来てくれませんでした。家ではおじいちゃんたちが同居していたので、おじいちゃんは結構厳しい人だったから、「そんな探しに行くな」みたいな感じだったんですね。
そのおじいちゃんは大学の先生だったんですけれど、家に書庫があるんです。小学校で野球とか放課後にやっていてもう帰らなくちゃいけない時間になっても、「いいよいいよ」と自分がリーダーなので言っていると、親が迎えに来るんですね。「何で?」と訊かれるとみんな「坂田君が」と言うので叱られて、家に帰ったらおじいちゃんに「お前、もう書庫に入ってろ!」とか言われて......でも書庫と言っても、豆球みたいのがポコッとついている部屋なんですよ(笑)。そこに入れられた記憶は多々あります。
3兄弟の中ではいちばんハチャメチャしてましたね。弟が生まれて、ちょっと悔しかったのか、家の庭にちょっとした池があったんですが、金魚が泳いでいて、それで弟に「金魚かわいいねー」なんて言いながら、後ろから弟をバコンとか落としたりして......2歳ぐらいの弟に対して僕が9歳ぐらいですよ(笑)。お袋に、「なんかタケシが落ちちゃったよ、助けてあげたんだけど」とか言ったりしていたんです。深さ的にはそんなに深くないんですけれども、ハチャメチャでしたね。
小学校の時から水泳をやっていたので、あまり家でグダグダしているという時間はなかったんですが、小学校3年生ぐらいまで、そういうちょっと子どもっぽいところがありました。今考えたら、年子だったから兄貴とも仲が良くて、いつも喧嘩したりだとか戦ったりしていました。
今、我が子ができて多少の無茶は許容範囲ですし、喧嘩するとかはぜんぜん問題ないですけれど、途中でやっていることをやめたりすると、無性に腹が立ちますね(笑)。この間、息子が「お父さん、頑張るって何?」と言うから、「頑張るって言うのはね、諦めないで最後までやり通すことなんだよ」って自分で言って、怒っている時って親って自己満足なこともありますから、「いいこと言ってんじゃん!」みたい思ったこともありました(笑)。
親父とお袋は自営業でやっていたので、結構バタバタしていていつも家にいなかったんです。だから僕はおじいちゃん、おばあちゃんに育てられました。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんも一時期一緒に住んでいたので、2人、2人でうちが5人家族だから、4世代で9人家族、そんな家で育ちました。
1つ上の兄貴(写真右)と