SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

#15 「リオでの悔しさを胸に、東京で「金」へ」

#15 「リオでの悔しさを胸に、東京で「金」へ」

視覚障害者柔道 半谷 静香選手

「サントリーチャレンジド・アスリート奨励金」第1・2期対象

Q.競技との出会いは?

中学1年のとき、兄の影響で柔道部に入部しました。私は生まれつき弱視ですが、健常者と一緒に練習したり、試合に出場したりしていました。相手の位置は影で判断していました。高校でも柔道を続けましたが、しんどかったですね(笑)。「視覚障害者柔道」という競技があると知ったのは、筑波技術大学に入学してからでした。

Q.困難に直面し乗り越えた経験は?

福島の盲学校に在籍していた2013年からの3年間は、練習場所を見つけるのが大変でした。「視覚障害者柔道」はまだマイナーな競技です。近隣の学校にお願いしても「危ないから」と断られることもありました。そこでトライアスロン、ブラインドサッカーなど他の競技に挑戦しました。それまで柔道以外のスポーツ経験がほとんどなかったので、スポーツに対する劣等感がありましたが、いろいろな競技を経験することで「なんでも出来る」と、自信を持つことができました。あと、ブラインドサッカーはサッカーという名の格闘技なんです。急に止まって、まったく違う方向に走っていくなどの動きは、柔道にも生かせています。

Q.挑戦の中で大切なことは?

「感謝」の気持ちです。福島で東日本大震災を経験したとき、練習場所を探してくれた方々、大学に練習に行くとサポートしてくれる学生のみなさん。人とのつながりが、私の挑戦を支えてくれています。

Q.夢、目標は?

リオパラリンピックでは、3位決定戦で敗れてメダルを逃しました。本当に悔しかったです。いまでも映像を見ると、「もうちょっと攻めの姿勢を早く出せていれば、勝てていたのに...」など考えしまいます。なので目標は「東京パラリンピックでの金メダル」です。銅メダルを目指していたら絶対に表彰台に上がれません。「金」を目指します。

Q.東日本大震災を経験し、地元・復興への想いを教えてください。

東日本大震災が発生したとき、私は22歳でした。福島の実家は被災。練習場所が見つからず途方に暮れていた私に手を差し伸べてくれたのが「小川道場」(神奈川)を主催する小川直也さんでした。
 地元のひとたちは、私の試合を見て「勇気が出る」「励みになる」と言ってくれます。スポーツを続けていてよかったなと思います。世界の舞台で結果を出すことで、福島の方々に元気を届けていきたいです。

Q.読者の皆さんへメッセージをお願いします!

視覚障害者柔道は、組み合った状態で試合が始まるので「逃げ」の柔道ができません。だから最後の1秒まで大逆転の可能性があるスリリングな競技です。ぜひ大会を観に来てください。そして柔道経験者はぜひ一緒に練習してください!

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半谷 静香選手SHIZUKA HANGAI

「サントリーチャレンジド・アスリート奨励金」第1・2期対象

  • ●1988年7月23日生まれ

  • ●福島県いわき市出身/東京都在住

  • ●生まれつき弱視で、中学1年生のときに兄の影響で柔道を開始し、筑波技術大学に入学後、視覚障害者柔道を開始。

  • ●全日本資格障害者柔道大会優勝(2014年・2015年)

  • ●2012ロンドンパラリンピック7位入賞(柔道女子52kg級)、2016リオパラリンピック5位入賞(柔道女子48kg級)

PASSION FOR CHALLENGE
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