SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

#54「自分の可能性を信じて、強い気持ちでチャレンジすれば、道は必ず開けます」

#54「自分の可能性を信じて、強い気持ちでチャレンジすれば、道は必ず開けます」

卓球 橋本 弘子選手

サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第1期 対象選手

Q.競技との出会いは?

私は先天性骨形成不全症のため、赤ちゃんの頃から骨折を繰り返していました。小学校時代は、郡山療育園のベッドのうえで過ごしました。13歳から車いすで移動できるようになりましたが、体育の時間はずっと見学でした。そして養護学校の高等部の頃、車いすバスケが普及し始めます。すごく憧れましたが、私はボールがぶつかっただけで骨折してしまいます。そんな私でもできるスポーツが卓球でした。さっそく放課後、友達と車いすで卓球を始めました。あくまで遊びですが、体を動かし、汗をかくことがとにかく楽しかったですね。卒業後、卓球をする機会はなくなりましたが、25歳くらいのとき、養護学校の先輩と再会します。その時、「また卓球をやりたいね」という話になり、障がい者が卓球を楽しむための「まゆみ会」を立ち上げました。当時、本宮市には卓球台があるところ、ましてや車いすでプレーできる場所などありません。そこで公民館の館長さんにお願いし、卓球台を買ってもらい、場所を使わせてもらうことにしたんです。

Q.その後、28年間、まゆみ会の運営に携わってきましたね

みんなであちこちの大会に行くようになり、いつの間にか私がマネージャー的な存在になっていきました。自分が試合で勝つことより、みんなを大会に連れて行くことにやりがいを感じていました。まゆみ会は今も継続していて、福島県内に40人ほどのメンバーがいます。下肢障がいや知的障がい、精神障がいの方など、様々な方が卓球を楽しんでいます。今日まで続けてこられたのは、みんなが卓球をして喜んでいる姿を見るのが好きだったから。そのための機会や場所をつくらなくてはいけない、という思いがありました。運営を続けることが大変な時期もあり、やめたいと思うこともありました。でもみなさんからの期待や、支援していただいた方の気持ちを思うと、やめることはできませんでした。

Q.まゆみ会、また卓球を続けてきて良かったことは?

障がいをもったたくさんの方が、卓球を通して成長したり、生きがいを見いだしたりする姿を見ることが、何より嬉しいですね。知的障がいの人が、社会性を身につけ、就職に結びついたこともあります。ふさぎこんでいたお子さんが卓球を始めてどんどん元気になり、その姿に大喜びする親御さんも多いです。私自身、卓球を始めたことで、たくさんの人との出会いや感動をもらいました。夫と出会えたのも卓球が縁です。もし私が卓球をしていなかったら、ずっと家に引きこもったままだったかもしれません。卓球が私を変えてくれたんです。

Q.ご自身も選手として活躍されていますね

試合にでる以上は勝ちたいので、昔から練習は一生懸命やっています。実業団で活躍され、日本チャンピオンにもなった方に頼み込んで、指導をしてもらっています。また2016年には、まゆみ会とは別のクラブで出場したジャパンオープン・パラ卓球選手権大会で、団体戦優勝できました。メダルをいただくのはこれが初めてです。このような強いチームで試合をさせていただけたのはすごい名誉です。私が出たのは予選だけですが、クラブの方から「優勝に貢献したよ」と言われ、本当に嬉しかったです。実は少し前に車で事故を起こして入院し、今は卓球は休んでいます。でも何とか回復して、また選手としてプレーしたいと思っています。

Q.今後の目標、夢は?

私は4歳のとき、父に背負われて、福島を通るオリンピックの聖火ランナーを見ました。走ることができない私はそれを見て、スポーツへの強いあこがれを抱きました。2020年の東京パラリンピックで、当時の私のように〝スポーツをやりたい〟と強く思う障がい者がたくさん生まれるといいなと思います。リオパラリンピックに出場した吉田信一選手は、もともとまゆみ会で練習していました。最近はまゆみ会にも若い子が増えているので、パラリンピックで活躍できるような選手も育てていきたいです。また障がい者の卓球人口、理解者、サポートしていただける方をもっともっと増やしたい。そのためにも、障がい者がスポーツを楽しむための環境づくりが大切です。どんな人でも自分に合ったスポーツが楽しめるよう、新しいスポーツをつくったり、ルールを考えたりすることにも取り組みたいと考えています。

Q.読者へのメッセージをお願いします

私はこれまで、まわりから「あなたにはそんなことできない」と言われるなか、「いや、きっとできる」「自分は絶対にやりたい」と、いろんなことに挑戦してきました。自分の可能性を信じて、強い気持ちでチャレンジし続ければ、道は必ず開けます。不思議と助けてくれる人が現れます。とくに若い人は自分で自分の可能性を決めつけないで、スポーツに限らず、さまざまな ことにチャレンジしてほしいですね。

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橋本 弘子選手HIROKO HASHIMOTO

サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第1期 対象選手

  • ●1960年7月9日生まれ

  • ●福島県本宮市出身/福島県本宮市在住

  • ●「先天性骨形成不全症による両下肢機能全廃」車椅子使用 障害等級1級

  • ●1990年、本宮町在住で郡山養護学校卒業生の先輩と在学中の様に卓球がやりたいと意見がまとまる。町内に車椅子で卓球が出来る施設が無かった事から本宮町中央公民館長に相談し、卓球台を購入、練習場の提供を頂き、郡山養護学校卒業生、賛同する知人の8名にてまゆみ会を結成。
    5年後に福島県で開催される全国身体障害者スポーツ大会へ出場することを目標に練習を行い、障がい者に参加資格のある大会へ出場。
    1996年より練習拠点を障がい者利用設備が完備された本宮体育館に移す

  • ●競技生活における経緯
    ・1990年 まゆみ会を結成し卓球競技を行いながら、バドミントン部も創設
           宮城県仙台市で開かれる障がい者バドミントン大会へも出場
    ・1998年 まゆみ会に水泳部を創設
    ・2011年 東日本大震災発生
          福島第二原子力発電所事故により本宮体育館に隣接する
          本宮第一中学校体育館に被害があう
    ・2013年 二本松市に桑原要勝氏(元シチズン卓球部所属、
          日本チャンピオン)が開設した桑原卓球センターで練習を行い、
          同時にまゆみ会の練習拠点を桑原卓球センターに移す
    ・2014年 まゆみ会と並行して桑原卓球センターの卓球クラブ「T.C赤井沢」
          に所属。一般(健常者)の大会等へはT.C赤井沢にて出場
    ・2015年 まゆみ会、T.C赤井沢と並行して、福島県出身の吉田信一選手が
          所属する車椅子卓球クラブ「ディスタンス」に所属。
          福島県以北の障がい者大会へは「まゆみ会」、
          関東以南の大会へは「ディスタンス」、
          一般(健常者)の大会へは「T.C赤井沢」として大会へ出場

  • ●2016年の事故以来、それぞれのクラブに所属のまま卓球競技の再開を目指し、リハビリに励んでいる

  • ●主な大会出場実績・戦績
      1995年 第31回全国身体障害者スポーツ大会(ブロック2位)
      2008年 第8回全国障害者スポーツ大会(ブロック1位)
      2008年 第9回国際クラス別日本障害者卓球選手権大会
            個人戦 クラス5女子 (第3位)
      2013年 第13回全国障害者スポーツ大会(ブロック2位)
      2014年 第14回全国障害者スポーツ大会(ブロック1位)
      2015年 第15回全国障害者スポーツ大会(ブロック1位)
      2015年 第7回国際クラス別パラ卓球選手権大会
            車椅子女子(ダブルス3位)
      2016年 第36回ジャパンオープン・パラ卓球選手権大会
            車椅子の部 団体戦 (優勝)
      その他、大会多数出場、入賞経験あり

  • ●趣味
      ・卓球(選手育成、パラリンピックメダリストの輩出)
      ・まゆみ会代表兼事務局としての事業実施
      ・NPO法人本宮いどばた会会員 
          (本宮市を中心とした福島県内の福祉向上の取り組み)

  • ●家族構成
      ・夫(正美) 1957年生まれ、60歳。
             まゆみ会結成時に紹介を受け、1993年結婚
             下肢に障がいを持ち、クラス8で卓球選手登録。
             共に卓球に取り組んできた。
      ・子(明寿香)1994年生まれ、24歳。
             専門学校卒業後、現在、千葉県浦安市在住。

PASSION FOR CHALLENGE
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